――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘67)「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房)

【知道中国 2107回】                       二〇・七・念四

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘67)

「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

同文同種は「兄弟の國」を意味し、落魄した兄を羽振りの良くなった弟が助ければ昔のように仲良くなれる――これが孫文の主張なら、たしかに手前勝手と言うべきだ。

橘は日本人の一部に孫文の考えを支持する者があるものの、「(日本人の)大多數は未だ傳統的保守的思想に縛られて『輕薄にして不道�』なる中國の爲に髪毛一本でも犠牲にすることは出來ないと云ふに傾いている」と説く。そして「孫氏は、日本が中國の爲に不平等條約廢止を援助して呉れたら、其れが日華親善を實現する第一歩の方法であると觀て居る」と、孫文の狙いを捉えた。ここでも孫文の身勝手が顔をもたげる。

案の定である。日本では「所謂王道文化を骨子とした大亞細亞主義に對しては」孫文を満足させるような反応は起こらなかった。「不平等條約廢止に對しては之に同情しつゝも、理論及事實の兩方面から其の實現の容易ならぬ事を主張する者が多かつた樣である」。また「孫氏は日本が歐米列國の協同戰列から離れて中國と握手せんことを望んだ次第であるが、日本の側からは之に共鳴する聲が起こらなかつた」。

孫文の日本に向けられた大きな期待が外れた原因を、橘は「日本の輿論が相變らず國際關係の紋切り形を押破る氣力を持たぬ事」「日本人の自負心の乏しい事」に求める一方で、孫文の中国それ自身の現状に対する甘い認識を指摘している。

孫文が「中國統一問題として軍閥打破を選ばずに所謂帝國主義の打破を選んだ事」を、橘は「聊か不合理の感なきを得ない」とした。なぜならば、帝国主義列強が「軍閥を煽動したり援助したりする」ことが「中國の國内問題の解決を妨げ」ているからであり、「中國統一の敵は軍閥が主であつて、(帝国主義)列國は從である」からだ。

かくして橘は「孫文氏に軍閥と云ふ事の觀念に就て可成り不徹底な所があつた樣に思ふ」とする。それと言うのも孫文は自らが打ち立てた「廣東政府の首領としてデモクラシーを高唱した」が、彼自身が「軍閥の上に立脚して」いたからだ。自らの政府が軍閥を基盤にして成り立っていることに気が付かない孫文だからこそ、自らが「廣東省の人民を苦しめて居た事」に意を注ぐことができなかった。これを言い換えるなら、孫文には自己省察が欠けていた。正しいことをしていると確信(盲信?)するあまり、自らが進める政治が結果として「廣東省の人民を苦しめて居た事」に無頓着であったとことだろう。

孫文には、中国統一への最大の障害である「軍閥退治を比較的輕視し、列強退治を比較的重視する傾き」がある。「其の主なる原因の一つが、或は此の點――軍閥に關する觀念の不徹底――にあるのではなからうか」。橘による孫文批判である。

かくして橘は、「孫氏の最後の日本に於ける講演は、今日迄の所、大體上失敗に終つたと言ふべきである」と見做す。では、なぜ失敗したのか。一つには軍閥に対する不徹底な態度が招いた中国統一に関する「理論に缺點のあつたこと」。もう一方に「全く日本人が中國知識に乏しく、同時に東洋の強大民族であると云ふ事に關し充分にして且つ正當な自負心を持つて居ない事に歸せねばならぬ」。つまり日中双方が共に自己省察に欠けていたわけだ。

だから日本人は中国人による中国統一、つまり「『国家改造』と云ふ事業に對し何の程度の情熱と希望とを懷いて居るかを研究」すべきであり、その一方で「東洋の先進國であるとか世界の五強國の一つであるとか云ふ事に就て眞面目な自負心を懷いて居る事が事實であるなれば」、「如何なる使命と責任とを負はねばならぬものであるかに就て深く自ら反省しなくてはなるまい」と結んだ。

ここに見える橘の慨嘆は2020年の現在にも通じる。であるとするなら、この辺りに“普通の国”に飛躍できない日本の根本的病理が潜んでいるように思えるのだが。《QED》


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