――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘63)「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房)

【知道中国 2103回】                       二〇・七・仲六

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘63)

「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

 やはり習近平を筆頭とする現在の共産党指導層は、毛沢東の教えを「好好学習 天天向上(しっかり学んで、日々に向上)!」したからこそ現在がるはず。ここで注目すべきは何を「好好学習」したのか。つまり学習内容になる。そこで典型例を1つ挙げておく。

 『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著 兒童讀物出版社 1955年)が出版された当時、現行簡体字は未採用。だから横書きながら繁体字で全42頁である。

物資不足を物語るザラ紙の表紙を開くと「歴史ジイサン」なる狂言回しが登場し、「子供たちよ! ワシがキミらの友だちになって1、2年になるかのう」と切り出す。「ワシは歴史という名前じゃが、みんなも知っているだろう」と語り掛け、「歴」は「経歴」で「史」は「記録」だと説明しながら、「ワシが歴史を記すようになってから、かれこれ4000年ばかりにもなるかのう」と、それとなく中華民族の歴史の長さを刻みつけようとする。

「遥かに遠い昔だ。ワシが生まれて間もない頃、人々は農業を知らず、河南省一帯の黄河の辺りで魚を捕ったり、猟をしたり、放牧などして苦しい生活を送っておった」。こいう勤労人民の力によって現在の中国がある。「考えてもみてくれ、中国の国土はこんなにも大きいが、隅から隅まで我らが祖先の熱い汗と涙が流されなかった場所はないんだよ」と。

その昔は支配も被支配もなく、誰もが同じく汗を流し平等な生活を送っていた。やがて「奴隷の持ち主、大地主、資本家など働かない奴らが生まれ」ると、ヤツらは「日々に悪知恵を働かせて土地、工場、人々の労働の果実を掠め取る」ばかりか、「“国家”や王朝をでっち上げて労働人民を圧迫し始めた」。そこで「陳渉、張角、王薄、黄巣、李自成・・・」など民族英雄たちが「搾取鬼たち」に次々に戦いを挑み勝利した。

だから中国の広大な領土は革命烈士の鮮血で彩られている。ここで奇妙にも歴史は一足飛びに20世紀に移り、「八路軍、新四軍、中国人民解放軍、中国人民志願軍など、彼らは祖国人民にとっての最も優秀な児女だ。いいかい、中国の広大な領土は祖国防衛のための英雄たちの鮮血に染まっているんだぞ」と畳みかける。

「将来の人民は共産主義の生活を過ごすことになる。これは全く正しいことだ。キミは共産主義の生活が好きかい。だったら共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか。キミが指導しなければならないのだ。さあ、キミたち! ワシはキミにとってかけがえのない友達なんじゃ。キミが一日たりとも離れることのできない素晴らしい友人じゃよ!」と熱を込めて語り掛け、柔らかい頭脳に共産主義思想を刻み込んでいく。

 今になっても頭の中に「歴史ジイサン」が生き続けいればこそ、習近平が「中華民族の偉大な復興」などといった戯言に血道を上げているのも判ろうというものだ。

いやはや橘から遠く離れてしまった。軌道修正して橘に戻る。

明治以来、日本においてアジア主義者を自称した多くの人々は、はたして西洋(=覇道)対東洋(=王道)といった単純図式が持つ矛盾に気づかなかったのか。それが日本式理解でしかないことを弁えたうえで国際政治上の戦略論として喧伝していたというのならまだしも、この単純図式になんらの疑念をも抱かずに頭から信じ込んでいたなら困ったこと。やはり国際社会は強欲で卑怯で巧妙で抜け目なく強か、つまり利害打算の塊だろうに。

であればこそ敗戦で茫然自失だった日本に向けられた「怨みに報いるに徳を以てする」との?介石の巧妙な仕掛けに“恩義”を痛感した人がいたとしても、強ち批判できそうにない。「新中国は道義国家だ」などという愚にもつかない戯言を妄信した一部の日本人が、「日本軍国主義の犠牲になった点では日中両国人民は共に犠牲者だ」との毛沢東のネコナデ声に“拝跪”してしまったとしても、これまた不思議ではないだろう。ヤレヤレ!《QED》


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