――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘62)「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房)

【知道中国 2102回】                       二〇・七・仲四

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘62)

「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

 王道を歩む東洋は、西洋流の覇道に奔らないという固定観念が“諸悪の根源”とまでは極論しないが、少なくとも誤解の第一歩と言えるだろう。覇道は西洋の、王道は東洋の専売特許と見做してしまったことで、日本がその後の歩みを間違えたように思える。

銀行強盗が革命家人生のスタートだったはずのスターリンの例を持ち出すまでもなく、1932(昭和7)年に日本共産党が引き起こした銀行強盗事件(大森ギャング事件)にしても、我われ団塊世代を熱狂に包んだ当時の1971年2月に発生した真岡銃砲店襲撃事件にしても、革命の大義の末に王道を思い描くのは勝手だが、現実の革命活動を動かす最強の駆動力は間違いなく闘争資金であり、それを王道に則って調達することは至難だろう。およそ革命の物語を紐解けば、その成否にかかわらずカラクリは自ずから明らかだ。

革命のような大規模な仕掛けを必要としなくとも、日常的な政治活動であれ“善意の人民の浄財”を集めてみてもタカが知れている。精々が慰め、いや精神的支援程度でしかない。王道であり政治的正義に裏打ちされているゆえに政治的投機の成功が約束されるなどという考えは、非現実的であり淡い夢物語だ。目的達成を確実にするためには、先ずは潤沢な活動資金だろう。

卑近な例ではあるが、昨年の広島における参院選挙の1.5億円対0.15億円の違いが如実に物語っているではないか。やはり「札束で横っ面を張り倒す」という“鉄則”が通用しないのは我が子だけ。洋の東西を問わず札束は万能の妙薬に近い。

やや飛躍するが10年ほど以前にタイで起こったタクシン派(赤シャツ)対反タクシン派(黄色シャツ)の対立にしても、長期に及ぶ激しい街頭活動の現場に立って筆者が抱いたのは、双方の陣営が醸し出す熱量の違いが自派の政治的主張に向けられた信頼感というよりは、むしろ自陣営の備えた闘争資金量に依拠しているのではないかという疑問、いや確信だった。「武士は食わねど高楊枝」は短期闘争では有効であるかも知れないが、やはり長期闘争の原則は「腹が減ったら戦ができない」だろう。もちろん壮大な構想が大前提だが。

香港を例に考えるなら、2014年の「雨傘革命」と昨年6月以来の街頭過激行動の違いである。共に民主化=反中を掲げた街頭闘争ではあるが、外形的には異質だ。「雨傘革命」が闘争手段とした幹線道路占拠の現場で筆者が痛感したのは、メディアの報道が煽る熱気に反比例する闘争現場の寒々しさだった。闘争資金の不足は覆うべくもなく、過激なスローガンにも拘わらず、警備当局も軽めの警備態勢で対応していたフシが見られた。

ところが昨年6月からの街頭闘争は日を追うごとに激しくなり、警備当局の過剰なまでの重装備が目立った。どの勢力だとは特定できないが、香港外から大量な闘争資金が持ち込まれたとでも考えない限り、あれほどの過激な闘争を長期に、しかも同時多発的に起こせるなどとは考え難い。200万人余の市民が立ち上がり街頭抗議に繰り出しところで、“善意の浄財”では長期で過激な闘争は支えきれない。匹夫の勇なんぞを振り回したところで自己満足に終わるのが関の山であり、大きな目標の達成は不可能だ。

閑話休題。

毛沢東が終生の信条としていた「鉄砲から政権が生まれる」という考えもまた、どう屁理屈を捏ね廻しても王道とは言えそうにない。断固として覇道、いや覇道の典型だろう。

建国前後の土地改革からはじまり反右派闘争、大躍進、文化大革命と毛沢東が繰り広げた政治闘争を振り返ってみても、頭に浮かぶのは運動の名称とは裏腹の冷酷と暴虐、破壊と殺戮の歴史でしかないはずだ。如何に詭弁を弄したとしても、毛沢東の政治を総括するに王道の2文字は相応しくない。ならば毛沢東から「好好学習 天天向上!」と教え込まれた習近平ら“毛沢東のよい子”が覇道を暴走するのは自然の成り行きではないか。《QED》


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