――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘15)橘樸「中國神話研究」(昭和3年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2054回】                       二〇・三・卅一

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘15)

橘樸「中國神話研究」(昭和3年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

橘は「中國人氣質の母型」――「中國なる國家を構成する諸民族中の漢民族」の「發生の歷史的及地理的基礎」――を、『周易(繋辞伝)』や『礼記』などに求めた。

『周易(繋辞伝)』は建國神話の時代を包犠(伏羲)、神農、黄帝堯舜の三期に分割しているが、「此の分割法は社會進化の近代的觀念から見ても有意義なものである」とする。

包犠期は「食糧採取時代であり、其後の生産時代と區別される」。神皇期は「既に農耕時代に進み入つたとは云ふものゝ」原始的な段階に止まっている。次の黄帝堯舜の時代に移ると状況は一変する。「包犠神農文化と黃帝文化との間には單に程度の差のみならず、同時に性質の差があるらしく考へられる」。

「神農の種族が〔中略〕農耕を以て其の經濟生活を立てゝ居るのに、之と隣接した黃帝の種族が狩獵兼牧畜を營むところの行營生活者であると云ふ事は、誰人にも此の二つの種族が互に異れる種族である事を思はせる」。性質の異なる両種族が「共に華北の或地方に棲息し、且つ神農族は東方に黃帝族は西方に占據して居た」。地理的環境が同じ華北に「著しく其生活を異にした二つの種族が接觸して居る理由」を、橘は両者の移住の時期の違いに置いた。

新たな移住者は「移動し易い行營生活者であること及び西方に位置することから考へて、軒轅族でなくてはならない」。「先住者たる神農族が原始以來の土着民であるか」、はたまた遥か昔に「(軒轅族と同じく)中央亞細亞の共同祖先から分岐したものであるか」は不明である。だが、神農族は「軒轅族に比ぶれば土地に馴染み深く、其の自然的條件に順應した農耕生活を營みつゝ相當の蕃殖を遂げて居たと云ふだけを推測し得るに過ぎない」とする。

「中國の古代文化には牧畜的要素が他の文明民族の其れに較べて著しく乏しいものである」ことから、橘は神農族と黄帝族の「鬪爭は大體政治的範圍に限られて、征服者も被征服者に對する最高支配を獲得するに滿足した」と推測する。

一般的には、「黃帝を建國者とし、軒轅族と神農族との混融合したものを中國の基本民族としている」。だが、これを否定し、橘は「中國の基本民族は、兩者の複合に非ずして其れ以前の神農族に外ならぬ」と説く。「基本民族たる神農族は軒轅族に征服せられた」が、じつは「彼等に缺けて居た狩獵牧畜文化、就中發達した政治及軍事上の知識と能力を與へられ」た結果、「近隣に比類のな無い輝かしい文化を盛るところの強大な國家を建設することが出來た」というのだ。

その上に「兩族の著しい人口の差は、長い歳月の間に征服者を被征服者の大きな胃の腑中で消化し呼吸する結果を生じた」。かくして橘は「約言すれば神農族の文化及性情の特質は、同時に現在中國民族の特質――少なくとも其の基礎を爲すと言へる」と結論づけた。

「文化の程度を等しくして而も著しく其の内容を異にする二つの種族の完全に融合し自由に混血した結果、彼等にとつて頗る幸福な將來を結果したものは申す迄もない」とも説いている。

――中国の神話から導かれる「中國人氣質の母型」は農耕民族気質を核に狩猟民族気質でコーティングされたもの。それが中国人に「頗る幸福な將來」をもたらした。つまり橘に依れば、農耕民族気質と狩猟民族気質のハイブリッドが「中國人氣質の母型」となる。

たしかに互いに異なる民族気質を融合させたことは、「彼等にとつて頗る幸福な將來」を約束しただろう。だが歴史のみならず現状から判断しても、「彼等にとつて頗る幸福な將來」が周辺諸民族にとっての「頗る幸福な將來」に繋がるわけではないことは明らかだ。その点を、橘は語ろうとはしない。仏作って魂入れず。フト、そんな疑念が湧いた。《QED》


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