――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港152)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港152)
【知道中国 2270回】                       二一・九・初二

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港152)

ここで、『修訂平劇選』の冒頭を飾る「打漁殺家」に注目すると、冒頭に置かれたわけだから、修訂作業の模範例であり、?介石政権からして理想的な「社会教育の意義」を期待できる演目であったと考えても強ち間違いはないだろう。

『水滸後伝』の第九回を種本にした「打漁殺家」の主人公は漁師の蕭恩で脇を固めるのは娘の桂英。敵役は網元とその背後の県知事。いわば強欲非道な越後屋と悪逆苛烈なオ殿サマだ。彼らの役どころを往時の東映映画で例えるなら蕭恩は大友柳太朗、桂英は高千穂ひづる。となれば網元は進藤英太郎で県知事は山形勲・・・イメージとしてはサイコーだ。

県知事の権力を笠に着て網元は悪逆非道・苛斂誅求の限り。人々の苦しみは増すばかり。我慢に我慢を重ねた蕭恩だが、遂に堪忍袋の緒が切れた。桂英を引き連れ、たった2人で網元の屋敷に乗り込んで大暴れ。網元一族を皆殺しにした末に、2人は何処かへ去る。

「打漁殺家」の山場は網元の屋敷での大立ち回りだが、結局は大量殺人物語。「社会教育の意義」は大いに疑問だ。だが修訂の結果、「貪官汚吏や悪徳地主の罪悪を告発し、彼らの悲惨な末路を描く。社会を諫め、庶民の不満を代弁する。極めて有意義な教育的意義を持つ」と認定される。?介石政権にとっては大陸ではもとより遁走先の台湾でも、「貪官汚吏や悪徳地主」は打倒すべき対象だった。自らを巡る環境が激変しようと、「打漁殺家」は?介石政権が求めた「社会教育の意義」を表現していることになる。

ところで「打漁殺家」は稀代の戯迷であった毛沢東が好んだ演目の1つであり、主人公の蕭恩が見せる“好漢(おとこ)振り”にゾッコン惚れ込んでいる風でもあった。蕭恩こそ、毛沢東好みの「官逼民反(官ガ逼レバ民ハ反ス=役人が横暴だから民衆は反抗する)」を体現する英雄像に近い。だから民衆を「官逼民反」「造反有理(造反ニ理有リ=造反には道理がある。反抗は正しい)」で煽るには、「打漁殺家」は格好の演目となるはずだ。

ただ毛沢東は「娘と2人だけでは、蕭恩は無謀が過ぎる。やはり民衆と共に網元屋敷に乗り込むべきだった。それこそが民衆蜂起と言える」といった趣旨の発言もしている。

この毛沢東の発言を受けたかのように、共産党は「打漁殺家」を種本にした現代京劇「松花江上」を制作した。1938年7月1日、延安で抗日戦争1周年と共産党建党17周年を祝賀すべく開催された戯劇節において、毛沢東を筆頭とする共産党幹部の前で披露されたのである。

「松花江上」は「打漁殺家」を換骨奪胎気味に書き換え、舞台を満州事変後の松花江一帯に設定している。蕭恩は趙瑞と名前が変わるが娘は同じく桂英。趙瑞の2人の友人は共産党軍の司令官で、網元を後ろから支えているのが県知事ではなく日本軍。松花江は「九・一八」(=満州事変勃発の1931年9月18日)と並んで抗日のシンボルだったのだ。

筋運びは「打漁殺家」と同じだが、最後のシーンが大いに異なる。助っ人として登場した共産党軍司令官は、「趙瑞と娘に合流して、網元屋敷を襲撃だ。県知事と背後の日本軍を打倒せよ。いまこそ抗日戦争が始まるのだ。中国を救え。満州国打倒だ」と、舞台の上の民衆役を煽るが、同時に舞台の下の観衆を煽り抗日の意義を説いた。

もう多くを言う必要はないだろう。誰もが知っている「打漁殺家」とほぼ同じ設定の「松花江上」を見せることで、抗日の宣伝・教育を狙ったのである。芝居の持つ「借古諷今(古ヲ借リテ今ヲ諷メル=過去を題材に現在を批判・告発・風刺する)」という働きである。

「借古諷今」から考えるなら、「松花江上」はともあれ、「打漁殺家」に求めた「社会教育の意義」は、国民党も共産党も五十歩百歩ではなかったか。

第六劇場でも「打漁殺家」は屡々公演された。もちろん「社会教育の意義」を求めるはずもない。京劇として面白いが、じつは小規模一座でも公演が出来るからだろう。《QED》

タグ: , , ,