――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習77)

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習77)
【知道中国 2411回】                       二二・八・念三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習77)

 程志敏の提案を傍で聞いていた「反動的な技術“権威”」である船長は飛び上がって驚き、「石頭沙では解放前も海難事故が数限りなく発生したではないか。夜間航行など滅相もない。不可能だ。航行は絶対にダメだ」と言い張った。

そこで程志敏はスックと立って、「石頭沙の夜間航行が難しいことは先刻承知です。だが我々共産党人には、毛主席の支えがあります。これが難しい、アレは出来ないなどと弱音は吐きません。たとえ刀の山であれ、猛火の海であれ、飛び込んでみせる」と敢然と言い放つ。すると、その場に居合わせた誰もが、「毛主席の教えに従って、みんなで力を合わせましょう」とばかりに程志敏の手を固く握るのであった。

じつは程志敏は超人的な努力で最下級の船員から出発し、現在の地位を築き上げたのだ。

「旧社会で母と2人の兄弟は敵の醜い刀によって惨死させられた。共産党、毛主席がプロレタリア革命を領導してくれたことで暗雲を払い明るい太陽をみることが出来た。『毛主席がいなかったら、程志敏の今日はありえない』」と心の中で深く感謝しつつ、全員に航路環境を説明し任務遂行を求める。かくて60人の乗組員の心は一つになった。航標五号は暴風雨の中を現場目指し抜錨する。

水路は狭く、浅瀬や岩礁が続く。風雨は増すばかり。

甲板に立った「程志敏と同志たちは偉大なる領袖・毛主席の『我われと全人民とが団結し共同して努力すれば、あらゆる困難を押しのけ勝利という目的に到達できるのだ』との教えを心にシッカリと刻んだ」。天候はいよいよ荒れ、航標五号の行く手を阻もうとする。

その刹那、程志敏の脳裏に「偉大なる領袖の教え」が浮かぶ。「勇敢なる戦闘精神を発揮せよ。犠牲を恐れるな。疲れを恐れず連続作戦の作風を発揮せよ。短期間に休むことなく波状攻撃で戦い抜け」である。まるで数世代昔の「スポ根」ならぬ「毛根(?!)」だ。

やがて現場に到着。沈没寸前の船から乗組員を救助し、任務は完了した。そこで程志敏は「この軍隊は前例なき精神を秘めている。敵の一切を圧倒し、断固として敵に屈服しないのだ」との『毛主席語録』の一節を声高らかに読み上げる。

こうして「キラキラと光り輝く金波銀波を蹴立てて、程志敏と同志たちが操舵する航標五号は革命の航路を勇敢に前進する」のであった。

『胸懐朝陽戦冰雹』は、1969年5月の上海郊外の曹行人民公社が舞台。

激しい雹の被害を受けながらも、老人から幼児までもが毛沢東の「一に苦しみに怯むことなく、二に死を恐れず」の教えに従い刻苦勉励の末に遂に豊かな稔りを手に入れた物語。

『宋師傅学外語』はアフリカやラテンアメリカからやって来る賓客を前に、流暢な英語で国際連帯を説く埠頭で働く老港湾労働者の涙ぐましい努力を説く。

建国前、貧しかった彼に教育を受ける機会は与えられなかった。新中国で港湾労働者となった彼は、入港する外国船舶の船員と接する機会が多くなった。だが外国語ができないことから、毛沢東の偉大な教えを伝えることができない。そこで一念発起である。超人的努力を重ね英語をマスターし、海外からの友人を前に毛沢東思想の偉大さを語り尽くす。

『優秀的共産党員 ――陳波』は、解放軍在籍10年間で13回も人命救助を果たしながら、遂に犠牲になった陳波の一生を描く。

彼の爺さんは、旧社会で地主のために一生を牛馬のようにこき使われ、父親は日本鬼子(にほんへい)の漢奸(いぬ)に拉致され、惨めな体にされてしまう。

極貧家庭だから、彼は6歳で家を出て乞食となった。やがて毛沢東の手で建国が果たされるや、彼も学校へ。最初に覚えた漢字が「毛主席万歳」の5文字である。やがて解放軍に入隊し、毛沢東思想を活学活用し、我を忘れて「為人民服務」の日々を送った。《QED》

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