――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習101)

【知道中国 2435回】                       二二・十・仲六

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習101)

1961年、彼に思いがけない幸運が舞い込む。毛沢東の著作を、村に進駐してきた人民解放軍兵士から学ぶことになったのである。

「ランプの光が明るさを増すほどに、彼の心はいよいよ輝く。食事を摂らず、睡眠を取らずとも、毛主席の著作の学習は止めるわけにはいかない」。学習の効果というものだろう、村一番の働き者でもあった彼は、やがて毛沢東思想の導き手となって文革の活動家へと成長する。「虚仮の一念」と言うのは失礼だ。やはり「意思あるところに道あり」と言いたい。

18歳の彼に向って村人が将来の希望を問うと、「彼は毛主席像を真正面に見据え、壁に貼られた世界地図を指差して『銃を手に毛主席の歩哨となり、プロレタリア階級のために広い世界に飛び出し、全人類を解放したい』と熱く語った」のであった。

1969年3月2日、念願が叶い、彼は人民解放軍の新兵に。

その時、「憎っくき社会帝国主義が我が領土を侵犯したとの情報が入った」。彼は連隊本部に駆けつけるや、「連隊長ドノ、前線に急行し祖国防衛の任に当たらせて戴きたいであります」。すると連隊長は彼の両腕を強く掴み、「祖国防衛の真の戦士になるためには、毛沢東思想を活学活用しなければならない」と熱く説いた。

以来、彼は「毛主席の著作を読み、毛主席の話を聞き、毛主席の指示に従って事をなせ」という林彪の“金言”を忠実に励行することになる。苦労を厭わず、働きに働く。ケガなんかで弱音は吐かない。ケガを押して軍務に励む。やがて連隊長の推薦をえて共産党への入党を申請する。69年12月29日に提出された申請書の最後は、「全人類を解放するため、燃え滾る真紅の血で地球全体を染めあげたい」と結ばれていた。

年が明けた70年1月25日午後、作業を誤って電線を切ってしまった戦友を救うために、彼は電線を掴んだ。その刹那、高圧電線の先から火花が飛び散る。かくて人々の願いも虚しく、「胡業桃の心臓が再び元気良く動き出すことはなかった」。それにしても高圧電流が流れる電線を素手で掴むとは、いかな百戦百勝の毛沢東思想で完全武装したとしても、無謀が過ぎる。古来、「暴虎馮河、死して悔いなきを匹夫の勇・・・」と言うではないか。

「胡業桃は偉大な一生を送った。生前、革命の青春は燃え盛る炎に似て、死後、英雄的な行いは四海(せかい)に伝わる」。その結果、「1970年12月、中共中央は光栄ある党員として追認し、併せて“模範共青団員”の光栄ある称号を授与した」のである。

「憶苦思甜」は、全国民に毛沢東政治の正しさを植え付ける魔法の4文字だった。建国と共に国境が閉じられたことから、国民は他国との横の比較が出来ない。些か旧い表現だが、建国の瞬間から中国全土は巨大な“毛沢東思想サティアン”と化したのである。全国民の生殺与奪の権を一手に握った毛沢東は、他国とではなく自国の過去と比較することで自らの正しさを国民の頭に叩き込んだ。過去の「苦」しみを「憶」い起こせ。現在の「甜(うるわし)」い生活をもたらした共産党にこそ感謝せよ、というリクツである。

『罪悪的収租院』は「憶苦」を表象化した連環画であるだけに、「階級闘争とは、ある階級がある階級を消滅させることである。これこそが歴史であり、数千年の文明史である」との『毛主席語録』の一節が巻頭に置かれている。だが次の頁には、奇妙にも「階級闘争のなんたるか。搾取のなんたるかが判らないということは、革命が判らないということだ。過去の苦しみを身に沁みて感じていないということは現在の幸運を知らないということであり、ましてや今日の喜びを苦しみと誤解してしまうということだ」との林彪の言葉が記されている。

 

 出版は71年3月だから、『罪悪的収租院』は毛沢東と林彪の権力闘争が顕在化する以前に企画され、決定稿が定まり、印刷に付されたと考えてほぼ間違いないだろう。《QED》


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