――「臺灣の事、思ひ來れば、感慨無量・・・」――田川(6)田川大吉郎『臺灣訪問の記』(白揚社 大正14年)

――「臺灣の事、思ひ來れば、感慨無量・・・」――田川(6)田川大吉郎『臺灣訪問の記』(白揚社 大正14年)
【知道中国 1969回】                       一九・十・仲二

――「臺灣の事、思ひ來れば、感慨無量・・・」――田川(6)

田川大吉郎『臺灣訪問の記』(白揚社 大正14年)

田川は歓迎会の席上で、「内地人は、今も尚、臺灣人と、蕃人との、區別がつかず、臺灣人を、即ち蕃人だと思ふてゐますから、この迷妄を、一日も早く打破して下さい、臺灣は蕃地では無い、蕃地のやうに、人文未開の僻地のやうに思はるゝのは、遺憾であります」との抗議を受けた。

田川は「若し臺灣人が蕃人なら、日本人も蕃人でせう、日本人が文明人で、臺灣人のみが野蕃、未開の民であるといふ譯」はない。台湾には「生蕃」と呼ばれる「僅に八萬人前後」の原住民と、大陸から渡来した「三百六十萬にあまる」漢族系が住む。だから「我が内地人が、今も尚、この差別のあることを知らぬのか、若くはこれを混同して、一面には、その知識の欠乏、不注意を示し、一面には、臺灣人を憤ふらせ、無用の反感を招きつゝあることを、殘念に」思う。

そこで田川は台湾人に「内地人を罵る言葉」を尋ねてみた。

先ずは「臭狗」である。「その身なりや、態度、言葉つきの、�柄なこと、尊大ぶつて、ひねくれて、意地の惡いことを、總括する、憎惡、嫌忌の言葉だそう」だ。

次は「走狗」だが、「内地人の中、多くの巡査に對して、この程の惡口が使はるる由」だが、もちろん「日本人に阿附して、利�を得た」ことから「紳士と申す」台湾人を「走狗」と呼ぶこともある。ならば当時、「紳士といふ字は、敬稱にあらず、貶稱であ」ったらしい。

「蕃那」は、当初は西洋人に対して使われていたが、いつからか「内地人に對しても用ゐらるゝことになつた」。「臭狗などよりは、輕い惡口の由」。

「蹴り靴」は警察官の履く靴に由来し、主に警察官に対する別称になる。

最悪は「洩尿的換一ケ滲尿的」で「甚だ、陋しい言葉であるが、譯すれば、/寝小便をする者に寝糞をする者が換つて來た/一層惡くなつたといふ意です」。

一方、「内地人の、彼等に對する、普通の言葉で、何が、彼等の癩に觸るか」だが、先ずは「?や」である。これは目下の者を呼ぶ際に用いられ、内地人から「?や」と呼ばれると、「奴隷扱ひにでもされた樣」に思えるとのことだ。次いで「おい、こら」「土人」。「ちやんちやん、ちやんころ」は「臺灣人から、支那人から考へれば(中略)實に、深刻な、皮肉千萬な、侮辱、漫罵の意味に聞こゆる由」。さらに「支那人」の3文字だが、「臺灣人、支那人に取つては、矢張り、輕蔑の意味に響き、いやに、不快に感ずる言葉の由」だ。

とはいえ「臺灣島人は、日本人である、日本人と申し、或場合にのみ臺灣島人、本島人と申しませうか」。

「支那を旅行するたびに、又、このたびの臺灣旅行でも、實に西洋と、よく似て居る、何から、何まで、よく似て居ると思ひました」。だが、便所と風呂の造りが違い過ぎる点に気づく。加えて物を食べる際の無作法や騒がしさに、田川は不快感を隠さない。

田川は台湾人から学ぶべき点として「勤と儉」を挙げる。「臺灣人は、この�を多量に備へて居る、内地人以上に備へて居る、これは學ばねばならない」。「臺灣に於る、内地人と、本島人との、競爭の將來に就ては、悲觀せざるを得ない」。「その競爭の將來は、内地人の敗北の外は無い」。それというのも、「彼等は、質朴である、我等は華靡である」からだ。「臺灣の内地人は、たゞ、どうして、らくに暮さうかと、らくな事ばかりを目がけて居る」。だから「臺灣には活氣がない」。

酒の消費量から「内地人の生活の、酒に浸つて居り、酒に亂されて居る」。「臺灣人よりも、五倍大の酒を飲んで居」て「金にして、約十五倍以上の失費」だとの事実から「兩者の、盛衰の將來は、やがて、兩民族の、臺灣に於る盛衰の將來とに一致する」とした。《QED》

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