――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘64)「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘64)「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房)
【知道中国 2104回】                       二〇・七・仲八

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘64)

「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

やはり西洋(=覇道)対東洋(=王道)と単純に線引きした図式の持つ曖昧さの根源と問題点を解き明かさないままに時を過ごしてしまい、同じ「東洋人」として中国・中国人との交流を重ねたことが、その後の日本の大陸政策の躓きを誘発したと考える。 

同じく漢字を使ってるからといって、互いに分かり合えるわけはない。近くに住み、同じような姿形をしているからといって、互いに胸襟を開いてウソ偽りのない付き合いができるなどと考えるのは幻想に過ぎない。分かり合えるなどと言った浅はかな姿勢を後生大事に抱えて出発していたからこそ、過去の失敗があった――

たとえば「東洋」「東洋人」の捉え方である。

中国人一般の見方に従うなら、東洋とは中国大陸の東方の海洋を指す。台湾もフィリピンも東洋に含める文献も見られるが、一般に東洋は殊に日本を、東洋人は日本人を、東洋刀は日本刀を、東洋鬼子は日本兵を、東洋車は日本オリジナルの人力車を指す。だが日本では殊に明治以後はオリエントの訳語として東洋が充てられ、西洋(欧州)の対義語としてアジア全域を指すようになった。だから漢字に足元を掬われる。要々々々・・・要注意。

 さて幾度も、大いに回り道をしてしまったが、どうやら本題である橘が記した「王道論の註釋及批評」に行き着いたようだ。

 橘は孫文の説く王道は「さつぱり要領を得ない」が、「恐らく仁義道德を基調とする政治と云ふ意味であらう」と捉えた。だからこそ「我々が今、『王道』なるものゝの正體を見極めようとするには、先づ王道に事實と理想とを區別してかゝる必要がある」とし、孫文に加え彼の理論面の秘書であり、中国人による日本論の白眉と今もなお評価されている『日本論』を記した戴天仇の見解を引用する。だが、「孫文氏や戴天仇氏の意見を聞いたゞけでは、中國で發達した王道思想と云ふものが果してどれ程の價値を持つものであるか一寸見當がつかない」と率直に疑い、「從つて王道思想を其の理論的根據とするところの大亞細亞主義の權威も亦不明であると云ふ事になる」と結論づける。橘のこの姿勢に異議な~しッ!

 いわば「西洋の覇道文化に對して東洋の王道文化が優れた價値を持つと云ふ判斷の眞實性も疑はしくなる」から、「日本人が孫氏の勸めに從つて王道の提燈持ちをしようと云ふ奮發心を起さうにも甚だ心許ない氣がするのである」。たしかにそうだ。「日本人が孫氏の勸めに從つて王道の提燈持ち」などを断固として為すべきではなかった。にもかかわらず「王道」の2文字に目晦ましされたまま、無自覚に「(孫文式の)王道の提燈持ち」に奔ってしまった。これが当時の日本におけるアジア主義者の“不都合な真実”ではなかったか。

だが「提燈持ち」という悪癖は、その後も治癒されることはなかった。

「百戦百勝」と讃えられた毛沢東の「提燈持ち」から始まって、周恩来、林彪、文革派、紅衛兵、鄧小平、江澤民、胡錦濤、習近平、天安門のみならず中華圏全体の「民主派」まで・・・時代や社会状況を問わず生まれては消える種々雑多なスターを、日本人は余りにも無自覚に、そして無反省に粗製乱造してきたように思う。「提燈持ち」が過ぎたのである。

『毛主席語録』の一節を綴ったプラカードを首から下げ文革最盛期の中国を得意然と歩いたバカな日本社会党員や紅衛兵然と「革命無罪」「造反有理」を叫びながら大学の施設を打ち壊したノンセクト・ラジカルと称したバカから始まった「子々孫々までの日中友好」分子まで・・・数多の「提灯持ち」の跳梁跋扈を忘れるわけにはいかない。

さて橘だが、「孫氏の大亞細亞主義に關する講演」における「誤謬」として、「西洋勢力の下に呻いて居る弱小民族の不平と云ふ事と、亞細亞と云ふ一種の地理的觀念とを非論理的に結び付けて居る」ことを指摘した。けだし名言、いや慧眼と言っておこう。《QED》

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