――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習125)
児童少年向けの読物を終え、次に『棗林村集』(李瑛 北京人民出版社 4月)を手始めに文芸作品、敢えて言うなら「文革文芸」を読んでみる。
巻頭に置かれた「内容提要」によれば、『棗林村集』に収められた54編の詩は、「毛主席の革命路線の指導の下で、目下の我が国の社会主義農村で次々に勢いよく生まれている新しい情況を描いている。著者は棗村の階級闘争と村人による断固とした戦い、火と燃える労働の様を描くことを通じて、農民支援の人民解放軍、老幹部、老隊長、保管員、下放運動に応じて都市からやってきた知識青年、農村人民公社を構成する農民のなかの先進人物を生き生きと描きだし、我が国農村の広範な貧農下層中農の社会主義革命と社会主義建設における英雄的な気概と稔り豊かな闘争生活を反映している」とのことだ。
まあ、ゴテゴテと形容詞を虚しく重ねた“革命的四六駢儷体”の文章に呆れもするが、なにはともあれ、あまり過激そうではない2つの作品を見ておくことにする。
長編の「微笑み」と取り上げるが、やはり見所は最終部分だろう。
「70歳を過ぎたがまだまだ若い」農夫が老妻と2人で夜長を、辛かった昔、毛沢東のお蔭で安穏に暮らせるようになった現在、そしてより豊かで輝かしいであろう明日を語り明かす。農村の夜の静謐な時間が流れる。
――年老いた農夫はむっくと起きて胡坐をかく。シュッとマッチを擦る。紅く燃える炎を高く掲げる。
婆さんが何を照らしてござる、と話し掛ける。すると爺さんはもう一度、毛主席像(しゅせきのおすがた)を拝むんじゃい。
なんとまあ幸せなこった。他老人家(あのお方)がわしらをお導きになって陽関道(陽の当たる道)を歩かせてくだすったんじゃから。他老人家(毛主席)にも、わしらを見て戴くんじゃい。それ、わしを眺めて微笑んでおられる・・・
夜は深く、人は眠りにつく。涼やかな風・・・夢で歌を唱い、新しい褥で微笑む。棗の花の芳しい香りが村に満ちている――
全編、毛沢東に対する歯の浮くような拍馬屁(ヨイショ)の羅列である。
次は村人総出で害虫を徹底して駆除しようという「滅虫戦」である。やや長い引用ではあるが、
――清々しい朝、梢の拡声器が呼び掛ける。村を挙げての一大戦争がはじまった。
大きく目標が記された紙が高々と掲げられ、人々の心は火のように燃え上がる。庭の生垣を早く刈れ、風除けを取っ払え。地面に目を凝らせ、庭を見逃すな。大人は背負い、子どもは抱いて、枯れた茎を束ねる。
しっかりと縛り、埋めたり、刻んだり、蒸したり、焼いたり。誰もが心に思う、『一匹たりとも害虫は逃がさない』
群れ集う村人を割って小さな一輪車がやってきた、おやッ、張爺さんだ。70歳近い。だが年寄りなんかじゃない。ズボンの裾をたくし上げ、枯れた茎をイッパい運ぶ。車を押しながら大声で、『昔から、害虫は天が差し遣わすから、百姓(わしら)にゃ到底かなわねえ。どうにもこうにもなりゃしねえ。だがよ、さあ来い。来てみやがれ。人民戦争の威力はでかい。見つけたら最後よ、一匹たりとも逃がしはしねえ、わしらの社会主義の新しい苗を食い尽くさてたまるかい・・・』
夜の帳が下り、梢の拡声器が伝える。耳を澄ますと、我らの戦果を報じている――
じつは文革時より10数年前、全土を挙げてスズメ駆除に狂奔した。収穫物を掠め取り食べてしまうスズメは害鳥だ。殲滅せよ!・・・直情径行・単純愚鈍・無知蒙昧だ。《QED》