――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習170)
73年4月だが、やはり特筆すべきは15日に人民大会堂で開かれた周恩来主催のシハヌークシ親王(カンボジア)の歓迎宴に�小平が登場したことだろう。6年前に失脚し公の場から姿を消していただけに、“�小平復活劇”を裏側に毛沢東の差し金があったことは明らか。やはり文革は大きな曲がり角に差し掛かりつつあったということだろうか。
4月の出版で架蔵しているものは以下の10冊である。
『両種社会 両種工資』(上海人民出版社)、『美国経済的衰落』(北京大学経済系編著 人民出版社)、『列寧是怎様写作学習的』(人民出版社)、『新兵之歌』(王群生 人民文学出版社)、『軍墾新曲』(旭宇・火華等 人民文学出版社)、『怎様打算盤』(上海人民出版社)、『初級刀術』(人民体育出版社)、『鋼筆行書字帖 3』(上海書画社)、『李時珍与《本草綱目》』(鐘毅 上海人民出版社)、『曹雪芹和他的《紅楼夢》』(李希凡 北京人民出版社)――
先ずは『両種社会 両種工資』から見ておきたいが、じつは同年11月に同じく上海人民出版社から『両種社会 両種貨幣』(尚仁杭編写)が出版されている。書名から判断して、いわば姉妹書籍とも考えられる。
そこで双方を関連付けて読んでみれば、資本主義と社会主義の「両種社会」における「両種」の「工資(賃金)」と「貨幣」に関する文革当時の考え方を捉えることができるに違いない、と考えた。あの時代、中国では資本主義をどのように捉え、共産党政権は国民をどのように教え導こうとしていたのか。
『両種社会 両種工資』は「我われ労働者は、旧社会では資本家に代って労働して賃金をえる。新しい社会では社会主義のために働いて、同じように賃金を手にする。新旧の異なった社会における異なった賃金と分配とは、とどのつまり本質的にはどのように違うのか」と問題提起した後、「マルクス主義政治経済学の原理を用いて、この種の問題に答えてみよう」と続ける。
資本主義の守り手たちは「労働者は労働力を、資本家は賃金を提供する。労働者は1日働いて1日の賃金を得る。これは公平な取り引きであり、完全に合理的である」などと甘言を弄し、労働者と資本家の間には搾取・被搾取などという関係はなく、相互の間の“公平な売買”があるだけなどと強弁するが、労働は断固として商品などではない。
商品なら当然のように値段がある。値段は何で決まるのか。全ての商品の値段はそれに含まれる労働量の総体で決められる。かりに労働の値段が労働量によって左右されるものなら、労働が労働を決めるという堂々巡りとなり、「これこそ、紛うことなき同義反復」(『資本論』)ということになってしまうだろう。
このように主張する『両種社会 両種工資』は、建国前の上海のタオル工場を例に挙げて自らの主張の正しさを示す。
タオル1ダースを作った労働者に払う賃金は1角だが、それを資本家は12元で売る。賃金と利潤の比率は、なんと1対120。
そこで「賃金は本来的には労働者が提供した労働の全報酬であるべきだ。なにが“公平”で、どのツラ下げて“合理的”だとヌカスのだ。荒唐無稽なペテンではないか」と、暴利を貪る資本家と資本主義の矛盾を告発した後、公平無私な労働者の天国である社会主義社会でこそ『各尽所能、按需分配(各自の能力に応じた分配)』が行われるのだと胸を張ってみせる。
「生産資料」――生産設備、原材料、ノーハウなど生産に関する一切――は集団の所有となり、資本家の搾取がなくなり、生産は適正に行われ、「社会主義社会における安定した物価は、労働人民の生活水準を一日一日と高める重要な要素となる」そうだが。《QED》