――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習161)
「圧迫のあるところ反抗あり」は、世界革命に向けての毛沢東思想の圧倒的に揺るぎなく、怒濤の如き理論支柱だった。いや支柱でなければならなかったはずだ。
だからこそ抑圧され、虐げられた全世界の人々が連帯し、「ヨーロッパ資本主義の萌芽と発展に従って生まれた近代資本主義」と真正面から対峙し、「資本主義の特殊な歴史段階である帝国主義」と戦う。かくして「諸悪の根源である殖民地主義と帝国主義を徹底して葬り去り、超大国の覇権主義を木っ端微塵に打ち砕き、全世界人民の大解放を迎えることになる」と、じつに“理路整然”と結論に立ち至ることになるわけだ。
だが、「歴史知識の有無こそが革命政党が勝利するか否か条件である」と掲げはするが、『読一点世界史』が根拠とする「歴史知識」が余りにも粉飾され事実とかけ離れているゆえに、どう考えても「革命政党が勝利する」との結論に行き着きそうにない。
たとえば18世紀末頃から顕著になる華工(中国人労働者)の大量出国という現象にしても、「西方の殖民地主義の奴隷商人」の下働きとして人身売買ネットワークを築きボロ儲けし、時には「西方の殖民地主義の奴隷商人」など及びもつかないような阿漕・悪辣・非道・極悪・冷酷・インチキなビジネスを繰り返していたのは、なんと中国人業者だったのだ。
また「中原」と呼ばれる黄河中流域の黄土高原に出現して以来、王朝交代、内戦、自然災害などの歴史を繰り返すなかで、漢族は故郷を捨て新しい生存空間を求めて「僑(出稼ぎ・仮住まい)」という行動(「出郷⇒移動⇒異教での定着」)を繰り返しながら自らの住む世界(中国世界)を拡大してきたわけだから、帝国主義の時代になったことで「強引に南北アメリカに連れ去」られたわけでもない。
このような民族の伝統的生き方を背景にして、同胞の人身売買業者の手を経て東南アジアや南北アメリカ、オーストラリアなどに渡った。これが華僑の偽らざる実態だろう。
その証拠に�小平が対外開放に踏み切るや、「西方の殖民地主義の奴隷商人」が暗躍せずとも、「蛇頭(スネークヘッド)」と呼ばれる中国人による非合法出国ビジネス・ネットワークが動き出し、大量の中国人が非合法で海外に渡っている。2002年になって江沢民が全国に「走出去(海外に飛び出せ)」と号令を掛けてからは合法的に、大量に海外に移動するようになり、世界各地で「郷に入っては郷に従う」わけではない生き方を押し通す。
中国における華僑・華人問題の権威でもある陳碧笙が「歴史的にも現状からしても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動は停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」(『世界華僑華人簡史』厦門大学出版社 1991年)と説くように、古来、彼らが重ねてきた「僑」と言う現象を「西方の殖民地主義の奴隷商人」に結びつけることには些か、いや相当にムリがある。
であるとするなら、「歴史知識の有無こそが革命政党が勝利するか否か条件である」などといったゴ託宣に発した「超大国の覇権主義を木っ端微塵に打ち砕き、全世界人民の大解放を迎えることになる」などは、やはり革命的お伽話と斬り捨てるしかないだろう。
さて、これから1973年に出版された数多の“紙の爆弾”を読み進むわけだが、これまでのように同一ジャンル別に纏めて扱わずに、出版された月毎に見ることとする。
そこで、これまで扱った『現代資産階級的実用主義哲学』と『読一点世界史』を除いた73年1月出版分の書名を挙げておくと、『奴隷社会』(史星 上海人民出版社)、『送茶壺』(人民美術出版社)、『三個孩子和一瓶油』(上海人民出版社)、『石大虎 SHI DA HU』(大慶油田工人写作組 上海人民出版社)、『論現代漢語中的単位和単位詞』(陳望道 上海人民出版社)、『語文小叢書 幾組常用詞的分別』(北京人民出版社)となる。《QED》