【nippon.com:2022年10月31日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c11405/
◆根回し不足の反省から立法へ
台湾との断交をめぐる日米の対応の違いで最も象徴的なのは、1979年4月に米国内法として成立した台湾関係法(Taiwan Relations Act)だろう。その背景には、米中正常化を手柄にしたいカーター民主党政権と中華民国(台湾)を強く擁護する議会共和党の暗闘があった。78年12月、カーター大統領は「翌79年1月に台湾と断交して中国と国交を正常化する」と正式発表したが、事前通告が蒋経国・台湾総統に伝えられたのは発表のわずか数時間前だった。また情報漏洩を恐れて米議会にも十分な説明がなかった。台湾では蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、ワシントンの中華民国大使館では外交文書の破棄、銀行口座の改変、大使公邸の民間売却といった騒動が続いた。
こうした反省に立って、カーター政権は断交後も台湾との非公式な実務関係を維持していくことを定めた法案を議会に提出した。しかし、議会側は「台湾の平和と安全を保障する規定が明文化されていない」と反発し、大幅に原案を修正した上で成立したのが台湾関係法だった。
全文18条からなる同法は、第2条b項で以下のことなどを定めている。
・(西太平洋の)平和と安定は米国の政治、安全保障、経済的利益に合致し、また国際的関心事である
・中国との国交樹立という米国の決定は、台湾の将来が平和的手段によって決定されるとの期待に基づ いている
・ボイコットや禁輸を含む平和的手段以外の方法で台湾の将来を決定しようとする試みは、西太平洋の 平和と安全に対する脅威であり、米国にとって重大な懸念とみなす
・台湾に防衛的性格の武器を供与する
・台湾の人々の安全、社会・経済的システムを脅かす武力やその他の強制に抵抗するための米国の能力 を維持する
◆台湾への共感、中国への警戒感
しかし、この法律がつくられた理由は、上記の民主党(政権)と共和党(議会)の対立だけではない。太平洋戦争から1971年に国連で台湾追放決議が成立するまでの間、中華民国は米国にとって共に日本と戦った友好・同盟国であり、冷戦における反共の同志国でもあった。ニクソン大統領の現実外交という対ソ冷戦戦略上の選択として中国を選択せざるを得なかったものの、米国と台湾のつながりは民間においても深く、単なる実務レベル以上のものがあった。
米国内には蒋介石、蒋経国の父子政権について「独裁的で、腐敗している」との批判があったのも事実だが、その一方で台湾が将来的に「共産主義政権によって武力統一されるのは見るにしのびない」という懸念も強かった。実際、正常化に向けて行われた6年間余の米中交渉において、中国は「(台湾を)武力統一しない」という確約をしようとしなかったという。民主、共和党を問わず、米議会が最も危惧したのは、台湾の人々の将来と安全であったと言ってよい。
朝鮮戦争末期、中国は北朝鮮を支援するために「義勇軍」の名目で人民解放軍を派遣し、国連軍を率いる米国と直接対決し、敵・味方となった経緯もある。アイゼンハワー政権が54年に台湾を防衛するための米華相互防衛条約を結んだのは、中国に対するこうした警戒意識の表れだった。同条約は米中正常化の1年後に失効したが、米国は台湾関係法を通じて実質的な同盟に近い関係を継続させていると見ることもできる。
◆法の原則を基盤に幅広い協力
台湾関係法は「台湾防衛のための武器供与」という軍事安全保障面の機能だけがしばしば強調され、米中対立の要因となることも多いが、同法が果たしてきた功績はそれだけではない。制定40周年にあたる2019年4月、ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)など3大シンクタンクと台湾総統府を結んで開かれた記念ビデオ会議で、基調講演を行った蔡英文総統は「台湾関係法は米台協力の指導原則となった。米議会が台湾の安全保障を堅持してくれたことで、台湾は最も暗黒な時期を乗り切ることができ、今日の自由で健全な民主社会となることができた」と賛辞を送っている。
同法の制定によって、米台間では経済、通商、文化、価値の尊重、人的交流などハードからソフトまできわめて幅の広い協力分野が制度化され、それらが総体となって台湾とそこに住む人々の平和と安全な将来を保障している。バイデン大統領は台湾防衛に関する「放言」めいた発言を繰り返して周辺を振り回しているが、そうした中で台湾関係法は、いわば米台の基本的ありようや関係、相互の認識、原則を定めた基本法といってもいいだろう。
◆日本にも望まれる法的枠組み
蔡英文氏は、上記の講演で対日関係についても「わが国の重要な対外関係であり、インド太平洋協力を対米だけでなく、日本ともビジョンを共有し、経済の繁栄、クリーンな統治、地域の安全保障などを共に促進したい」と述べている。その理由として、台湾の人々の親日感情の強さ、日本が台湾からの最大の旅行先であり、また台湾にとって第3の貿易パートナーであることなどを挙げている。
日本にとって残念なことに、台湾との基本的関係のあり方を定めた台湾関係法のような法律がない。台湾と断交後、日米ともに民間団体(日本は日本台湾交流協会)を相互に設置し、非政府レベルの実務的関係を維持してきた。日本は台湾統治期間が長かったこともあって、台湾の人々の親日感情は東アジアで群を抜いている。東日本大震災時に台湾の義援金が最高額に上った事実にもそれがよく表れている。筆者も大学で教えていた時期に、学生を引率して毎年のように台湾の大学を訪問して学生交流を続けたが、若い世代から古い世代まで熱い親日感情に感動することばかりだった。
それでも、米台関係が危機を経るごとに緊密な協力を重ねてきたのに比べて、日本の国民一般の間では、台湾に関する危機意識が十分に感じられない。日本台湾交流協会など日台双方の実務家らによる地道な努力は貴重かつ有益だ。こうした努力に加えて、日台関係の大切さや危機に関する認識を国民の間にもっと広げていくことが重要になると思う。
とりわけ近年は、中国の「武力統一も辞さず」とする覇権主義的行動がエスカレートし、8月のペロシ米下院議長の訪台後は威圧が一層強まった。「台湾有事は日本有事」(故安倍晋三元首相)の警句のリスクが高まっているにもかかわらず、日台間では防衛当局同士の情報交換や有事の際の邦人保護や退避に関する取り決めもできない状態が続いている。
筆者は四半世紀前の1995〜96年に起きた台湾海峡危機の際、新聞社のワシントン特派員だった。米政府もメディアも緊張した日々を送った半面、軍事能力の差が圧倒的に「米側有利」とみられていたせいか、どこかに「いずれ中国側が引くだろう」といった気分が漂っていた。米中の力が拮抗(一部では逆転との見方も)しつつあるとされる今から振り返れば、牧歌的追憶としかいいようがない。
安全保障のみを強調した法的枠組みの制定は「中国を刺激するので望ましくない」といった意見もあるようだが、政治、経済・通商、文化・人的交流、観光などを網羅した広範囲な視野で基本的な日台関係のあり方を規定する法律であれば、中国が口を出すいわれはない。逆に中国が介入しようとすれば、かえって日本の政府、国会にとって中国の行動を牽制する有力な材料になるだろう。何よりも、台湾の将来を平和的手段以外で決めてはならないことを明確にうたい、武力や威圧による力ずくの解決を認めないことを基軸とすることが必要だ。岸田政権と国会の与野党には、そうした日本版台湾関係法の制定を求めたい。
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高畑 昭男(たかはた・あきお)公益財団法人ニッポンドットコム理事。1949年、東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒。毎日新聞北米総局長、同論説副委員長、産経新聞特別記者兼論説副委員長、白鴎大学教授などを経て2022年より現職。著書に『「世界の警察官」をやめたアメリカ』(2015年、ウエッジ)など。
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