台湾への「恩返し」ワクチン提供、実現のために必要なこと  野嶋 剛(ジャーナリスト)

【WEDGE infinity:2021年6月2日】https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23145

 5月に入ってからの突然の感染拡大に苦しむ台湾に対して、日本から英製薬大手「アストラゼネカ社」の新型コロナワクチンを提供する計画が浮上している。実現すれば、ワクチン不足にも見舞われている台湾にとって「干天の慈雨」(謝長廷・駐日経済文化代表処代表)とも呼べるほどタイムリーな支援になる。

台湾の人々が日本に巨額の義援金を贈った2011年の東日本大震災からちょうど10年が経過して「日台友情の一年」と位置付けられているタイミングで、台湾に対して絶好の「恩返し」の機会となる。ただ、中国からの反発のほか、実現のためにクリアしなければならないハードルもあり、早急かつ一定規模のワクチン供与が実現するかどうかは、なお予断を許さない状況だ。

 日本政府はアストラゼネカと1億2000万回(6000万人)分のワクチン供給を受ける契約を結んだが、接種後に血栓が生じる例が副反応への懸念などから国内での接種は見合わせている。ファイザーから年内に1億9400万回(9700万人)分、米モデルナからは9月までに5000万回(2500万人)分の供給を受ける予定で、アストラゼネカ製がなくても国内分は確保できる見通しだ。

 加えて、アストラゼネカのワクチンは3000万回分が国内に到着しており、9月ごろに使用期限を迎えるとみられる。そんななかで浮上したのが、ワクチンの入手が遅れている台湾へ供与するアイデアで、先週から日台の水面下で話が進んだとみられ、産経新聞と毎日新聞などが27日から28日にかけて相次いで報じた。

 加藤信勝官房長官は翌日の会見で「国内の接種対象者の数量を上回る分のワクチンの他の国、地域への供給のあり方を早急に検討し、具体的方針を検討したい。個別の国からの依頼の有無については外交上のやりとりでもあり、答えは差し控える」と述べ、台湾供与について否定しなかった。茂木敏充外相も、台湾が供与相手の候補に入っていることを認めており、この件は、内閣の最高レベルで了解を得て進んでいることをうかがわせた。

 ワクチン問題を担当する河野太郎大臣も29日のテレビ番組で「東日本大震災の時、台湾には義援金などでお世話になった。困っている時はお互い様だ」と述べており、日本側における政治的な根回しはほぼ完了したとみていいはずだ。自民党では親台湾派の議員を中心に、このワクチン支援の計画をぜひ実現したいとの意見が強い。ワクチン問題では批判を受けることの多い菅義偉政権だが、台湾提供については世論の反応も歓迎一色だろう。あとは日台間のワクチン受け渡しに関する「技術的な問題」ということになるが、意外に厄介な課題が多いように思える点が気になる。

◆少なすぎてはインパクトが弱いか

 まず数量についてだが、台湾へのワクチンの供与量はまだ明確になっていない。日本政府内では、最初はまず無償提供100万回ぐらいから始めてはどうか、という意見も出ているようだ。しかし、それではインパクトは小さくなる。国会議員からは、1000万回は出して欲しい、という期待の声も聞かれる。できるだけたくさんのワクチンを送るほうが、東日本大震災時に250億円という巨額の支援をしてくれた台湾への「恩返し」に釣り合うのは間違いない。

 次の問題は、誰が供与の窓口になるかという問題だ。日本と台湾は正式な外交関係がないので、政府間でのワクチンの譲渡は理論的にはできない。そうすると、現在、日本と台湾との間で民間窓口となっている日本側の「日本台湾交流協会」と台湾側の「台湾日本関係協会」ということになる。ただ、彼らは医療関係の物資を取り扱う実務能力は持たないので、医療団体や慈善団体など絡めることになる可能性もある。また、ワクチンの分配枠組み「COVAX」のルートを経由して提供するという方法も検討されているようだ。

◆「日本自身がワクチン不足ではないか」と牽制する中国

 それに絡んで懸念されるのは、中国政府が何らかの形で日本のワクチン提供に横槍を入れてくるかどうかだ。通常であればこれは人道的な措置なので、そこまで中国も反発を示さないかもしれない。しかし、中国は台湾で感染が広がると、真っ先に中国製ワクチンの提供を表明したが、台湾の蔡英文政権ははっきりと応じない考えを表明し、中国は不快感を示しており、中台間でワクチンは政治問題化している。

 そういう中台間の微妙な問題があるため、日本からのワクチン提供に対して、例えば7月に控えた東京オリンピック・パラリンピックへの協力を絡めて日本が台湾に提供しないように中国から圧力をかけてくることを心配する声が政府内にもある。そのため仮に台湾への提供が決まったとしても、荷が台湾の空港に空輸で到着するまでは保秘するなどの中国対策が検討されそうだ。

 31日、中国外交部の報道官は「中国は防疫を借りて政治的なショーをし、中国内政に干渉することに堅く反対する。日本は現時点で自身のワクチンの十分な確保ができていないことに留意する。この状況下で、日本政府が台湾地区へのワクチン提供を検討すると表明したことは、台湾島内の多くのメディアや民衆から疑問視されている。ワクチン援助が生命を救うためという理念に立ち返り、政治的な私利を図る道具になってはいけない」と述べ、やや間接的な表現ながら、日本の動きに疑義を示す牽制球を投げてきている。

 また、アストラゼネカのワクチンで万が一、台湾の接種にあたって健康被害が生じた場合、誰が責任を取るかという問題もある。日本における責任はアストラゼネカではなく、日本政府が負うことになっている。台湾に提供した場合は、日本政府もアストラゼネカも、日本での委託製造を行う三共第一製薬も、法的責任を負うことはできないので、台湾政府が責任を引き受けることでしか解決しない問題であり、台湾政府が難色を示せば話は一歩も動かなくなるだろう。ただ、台湾の政府内では、国際慣習からしても法的責任は使用者側(今回は台湾政府)が負うという点は了解が得られそうな見通しだ。

◆6月前半が一つのタイミング

 それにしても何より重要なのは、供与実現までのスピードであろう。日本のワクチン提供について、28日の記者会見で問われた陳時中・衛生福利部長は「早ければ早い方がいい。遅れてしまうと意味がない」と語った。その語り口調がいささか突き放したものだったことが一部の関係者の間で憶測を呼んだため、衛生福利部はすぐさまプレスリリースで日本への感謝を述べ、蔡英文総統もその日の夜にツイッターで「その深い友情に、心から感謝します」と日本語で投稿した。

 ただ、実際のところ、台湾では8月からの国産ワクチン供与を控えて、6月と7月のこの空白期をいかにしのぐかが政治的にも感染対策的にも大きな課題になっており、できる限りスピーディな提供が求められているのは確かだ。ワクチン確保をめぐって台湾政府も独自ルートで入手を急いでいるほか、米国へも支援を求めている。一方、親中派の起業家や民間団体、宗教団体が中国製ワクチンや外国のワクチンを独自に入手できるという意思表明を相次いで行なっており、蔡英文政権に強いプレッシャーを与えている。

 もし他から大型の供与が実現したときは、日本のワクチン支援はそこまでは大きな政治的効果は生まないことになる。人道的な支援という最大の目的に加えて、近年の東日本大震災や熊本地震、台南地震や花蓮地震など、大きな災害のたびにお互いに支援を展開する日台間の新たな明るい話題にしたいというプラスアルファの政治的効果を狙うのであれば、日本からの提供は6月前半が最善のタイミングになるのではないだろうか。

 ワクチンを受け取る側である台湾の事情もないわけではない。台湾では、連日、日本からのワクチン提供のニュースが報じられ、注目度は高い。台湾では急速な感染拡大によって、早急なワクチン確保を求める国民の世論が一気に高まっていたからだ。

◆アストラゼネカ製は海外輸送に便利

 一方で、日本が使用を控えているアストラゼネカのワクチンを台湾に提供することについて、日本側としては「せっかく確保したものなので有効に活用するためにも困っている台湾に差し上げたい」という善意の気持ちからの行動であったとしても、台湾のSNSなどでは「日本が危険だから使わないワクチンを台湾に与えるというのか」という声が一部で上がっている。ただ、台湾では正式にアストラゼネカのワクチンを政府承認し、輸入したアストラゼネカワクチンの接種も行なっているので、拒否反応は強くならない可能性が高い。

 こうした問題を気にしてか、河野大臣は先のテレビ番組で「ファイザーとモデルナは非常に低温で保管・運搬しないといけない。アストラゼネカは冷蔵庫で保存でき、その程度の冷蔵で運搬もできる。一番使いやすいアストラゼネカを台湾に少し支援したらどうか、という議論になっている」と述べて技術面での海外輸送の便利さを強調し、「余ったワクチン」という指摘を受けないように予防線を張っている。

—————————————————————————————–【編集部註】野嶋レポートへの補足的な事柄

◆蕭美琴・駐米代表がテッド・リュウ下院議員にアストラゼネカ製ワクチン購入の意向を伝える

 Taiwan Today誌は5月31日、台湾系アメリカ人でロサンゼルス選出のテッド・リュウ(Ted Lieu、劉雲平)下院議員が5月24日、「アントニー・ブリンケン国務長官と米国際開発庁(USAID)のサマンサ・パワー長官に個人名義で書簡を送り、『重要な盟友』である台湾を助けるため、米国が所有する余剰分のアストラゼネカ(AZ)製新型コロナウイルスワクチンを速やかに台湾に売却するよう求めた」と報じています。続けて、下記のように伝えています。<テッド・リュウ議員は今月20日にも、下院外交委員会のメンバーと共同でアントニー・ブリンケン国務長官宛てに書簡を送り、台湾へのAZワクチン売却を訴えたばかり。台湾における新型コロナウイルスの感染拡大が深刻していることから、24日に改めて個人名義で、アントニー・ブリンケン国務長官と米国際開発庁のサマンサ・パワー長官宛て同様の書簡を送った。書簡の中でテッド・リュウ議員は、今年4月に台北駐米経済文化代表処(=アメリカにおける中華民国大使館に相当)の蕭美琴代表(=駐米大使に相当)と会見した際、蕭代表からAZワクチン購入の意向を伝えられたことを明らかにしている。>

◆ワクチン接種が進む英国で昨年3月以来の「死者ゼロ」

 新型コロナウイルスの累計感染者は約450万人、累計死者は約12万8000人と欧州ではもっとも多いイギリスにおいて、「英政府は1日、新型コロナウイルス感染による1日当たりの死者数がゼロだったと発表した。BBC放送によると、死者数ゼロは昨年3月以来。ワクチン接種が進む英国の状況改善が示された」(共同通信)と報じられた。やはり、ワクチン接種は効果絶大のようです。 台湾の陳時中・中央感染症指揮センター指揮官が5月28日午後の記者会見で、日本からのワクチン支援について「もちろん歓迎する」と述べつつ、時期について「早ければ早い方がいい」と言及したのは、喉から手がでるくらいワクチンを渇望している現在の台湾の危機的状況を表しているようです。その台湾の危機的状況は、4日後の6月1日には、楽観はできないものの「国内の感染状況は全体的に落ち着いた」と陳時中指揮官は判断しています。

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