――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘30)
橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)
「中國人の國家觀念」は、今に続く国民党対共産党の長い戦いの発端となった事件勃発の月に発表されている。偶然と言うには、余りにも平仄が合い過ぎるようにも思う。
橘は「新しい主義乃至思想を中國人が受容する條件」は、(1)それが物質的か精神的に「生活利�を増進する」。(2)それを受容し理解する事が「面子保持」に繋がる――であると指摘する。利益があって面子が保てれば、どのような主義・思想でも「案外容易に彼等の歡迎を受けるであらう」と言うのだが、その典型が�小平の説いた「白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕るのがいい猫だ」となろうか。
橘は「善かれ惡かれ後に發生する問題だから」として「面子保持」は後回しにして、先ずは「『國家』なる新しい主義乃至思想」と利益の関係から説き起こした。
「孫文の民族主義」こそ最初に「纏つた形を備へて中國に唱へられ始めた」「近代的國家思想」であると見做し、「民族主義とは即ち國族主義である」と主張する孫文の狙いを、「民族國家を打建て、斯の如き新國家の力で他の強盛なる民族國家と對抗協力しつゝ、自民族の繁栄を企圖し、同時に全人類の福祉を増進したいと云ふにある」と敷衍して見せる。だが、ここではっきりしないのが「國族主義」である。
孫文は「今日の中國には唯家族主義及び宗族主義あるのみで國族主義が無い」と言っているところから判断するなら、「國族主義」の意味するところは個々人をその一生と結びついている家族や宗族という小さな枠から解き放ち、中国人としての意識を持たせ、国家(=中国)と言う大枠に統合する、という考えとも思える。
これを要するに、橘が「纏つた形を備へて中國に唱へられ始めた」「近代的國家思想」である「孫文の民族主義」とは、「家族主義及び宗族主義」の打破・超越を目指すことになるが、孫文は宗族観念が強すぎて、「中國人の團結力は宗族の範圍に局限されて、未だ國家にまで擴張する事が出來ぬのである」と嘆く。
これに対し橘は、「(孫文が)如何に家族や宗族制の統制力が強すぎる事を呪っても、先ず民族乃至國家の統制力を強めた後でなければ、家族、宗族と云ふが如き血縁的部分社會の機能を弱める事は出來ないであらう」と“忠告”してみせる。
伝統的に中国には民間の相互扶助組織として、家族や宗族といった血縁で結ばれた宗親会の外に、地縁で結ばれた同郷会、同業に基づく同業会が存在する。宗親会が極めて限られた地域における結びつきであるのに対し、同郷会や同業会が広い範囲からの構成員によって維持されているだけではなく、時に全国を網羅することすらある。
このような全国規模の民間組織の存在が、橘の孫文への“忠告”に繋がったのだろう。だが橘は誤解している。往々にして宗親(血縁)=同郷(地縁)=同業(業縁)は重なっている。つまり3つの「縁」はそれぞれが不可分に互いに干渉しないように存在しているわけではなく重なり合っている。それぞれが別個のものではなく、密接不可分である以上、同郷会や同業会をテコにしたところで、それが「國族主義」に繋がるわけはないだろう。
とどのつまり橘の表現を借りるなら、「民族主義」であれ「國族主義」であれ孫文式の「近代的國家思想」の方が、宗親(血縁)=同郷(地縁)=同業(業縁)の結びつきに基づいた民間の相互扶助組織より利益があることを如実に示すことが肝要ということになるはずだ。
単純明快に説くなら、アッチ(宗親、同郷、同業)よりコッチ(近代的国家)の方がトクであることを示すのが、この時期の中国における近代国家建設の重要な柱・・・ではなかろうか。厄介なことではあるが、「志士的な特異な学者」の話は実に回りくどい。《QED》