会場には全国から約200人が集い、受付を済ませると、会場に設けられた蔡先生の遺影に献花の後、黙祷をささげてから開会されました。
渡辺利夫・日本李登輝友の会会長の開会挨拶にはじまり、ご縁の深かった方々が次々と追悼の辞を述べられました。お名前だけ挙げますと、吉田信行(元産経新聞台北支局長)、金美齢(評論家)、花田紀凱(月刊「Hanada」編集長)、門田隆将(ノンフィクション作家)、熊坂 隆光(産経新聞社代表取締役会長)、三宅章文(不二歌道会)、永山義高(元週刊朝日編集長)、池辺史生(元週刊朝日副編集長)、阿川佐和子(作家・エッセイスト)の方々です。
続いて、李登輝・元台湾総統のご弔辞を故黄昭堂・台湾独立建国聯盟主席令息の黄正澄氏が代読し、福永武・不二歌道会代表が蔡先生の和歌「この道は日本台湾つなぐ道共に歩まう敷島の道」を朗詠。その後、ご遺族を代表して三男の清水旭氏が挨拶されました。
また、森敬恵さん(ソプラノ歌手)の指揮により「仰げば尊し」を全員で斉唱、最後に国家基本問題研究所副理事長、日本会議会長、日本李登輝友の会副会長を兼任する田久保忠衛・杏林大学名誉教授が閉会の辞を述べ、2時間にわたった第1部「偲ぶ会」は慎ましやかな中にも笑いや涙をさそう場面をまじえながら閉会となりました。
続いて第2部の「清宴」は、趙中正・全日本台湾連合会会長の開会挨拶にて幕を明け、明石元紹・明石元二郎台湾総督令孫による献杯のご発声から清宴へと移っていきました。
清宴の半ばからは「蔡焜燦先生の思い出を語る」として、やはりご縁の深かった藤井厳喜(国際政治学者)、河添惠子(ノンフィクション作家)、江口克彦(前参議院議員・李登輝基金会最高顧問)、高山正之(コラムニスト)、黄文雄(文明史家)、呉正男(元信用組合横浜華銀理事長)、野嶋剛(元朝日新聞台北支局長)、斎藤毅(元台湾協会理事長)、森敬恵(ソプラノ歌手・甦れ日本の心コンサート主宰)、高池勝彦(弁護士)、福島香織(ジャーナリスト)といった方々に、いろいろなエピソードを交えつつお話しいただきました。最後に、坂口隆裕・蔡焜燦先生を慕ふ 和歌の会代表が閉会の挨拶を述べ、4時間にわたった「蔡焜燦先生を偲ぶ会」は滞りなく閉会となりました。
この模様は、産経新聞と毎日新聞が報じており、別途ご紹介しますが、ここでは李登輝元総統からの「追悼の辞」全文をご紹介します。漢数字を算用数字に改めたことをお断りします。
—————————————————————————————–追悼の辞
本日、東京で蔡焜燦先生を慕う皆さんが集まり、偲ぶ会が行われるにあたり、追悼の言葉を述べたいと思います。
昭和2年生まれの蔡焜燦先生は、大正12年生まれの私とは4つ違い。同じく日本時代に生まれ、日本の教育を受けて育ったいわゆる「日本語族」です。
戦後、台湾と日本は別個の国となり、その関係も大きく変わりました。日本の皆さんを前にしてこうしたことを言うのは憚られますが、台湾が日本のことを想い続けているのに対し、日本はあたかも台湾の存在を忘れ去ってしまったかのような時代が長く続いたのです。
こうした台湾の「片思い」ばかりが続く日台関係に風穴を開ける、大きな功績を残された方のひとりが蔡焜燦先生でした。
特に、国民作家でもあった司馬遼太郎先生が台湾を訪れ『街道をゆく 台湾紀行』の取材をされるにあたり、蔡先生は「老台北」として水先案内人としてだけではなく、台湾の文化から風土、宗教、台湾人の気質にいたるまで、台湾に関するありとあらゆる知識を司馬先生に授けました。
一冊の本を書くにあたって万巻の書を読むと言われた司馬先生さえも舌を巻くほどの博覧強記ぶりを見せたと聞いております。
蔡焜燦先生がお膳立てをしたといっても過言ではない『台湾紀行』は歴史的、文明史的視点で台湾をくまなく巡り、場所や人々の行いを綴ったものでした。
そしてこの本は、台湾が日本の統治から離れて半世紀以来、台湾のことを知らない日本人、最良の隣人である台湾に関心を持たないたくさんの日本人に、直接大きな啓蒙作用をもたらしたのです。
さらに、半世紀前に台湾より引き揚げ、台湾を自分のふるさとと想い、台湾を愛している日本の人々に絶大な感動を与えました。そして、40数年来、強権政府のもとで育てられた台湾の子供たちに、自分の国台湾とは何か、ということを教えてくれたのです。
1990年代前半という、台湾の民主化が胎動を終え、まさに一歩ずつ歩み始めたこの時期に著された『台湾紀行』は歴史的文書に位置づけられるべきものだと評価しており、それに大きな貢献をされたのが蔡焜燦先生だと私は信じています。
実際、蔡焜燦先生の記憶力は常人離れしており、ある宴会の席で、昭和20年に私が基隆から日本内地へ船で向かった話をしていたら、突然蔡先生から「総統閣下!その船はもしかして『吉備津丸』ではありませんか。私もその船に乗船して内地へ行ったのです」と話され、大変驚いていたことを覚えております。
これほどまでに共通点の多い蔡焜燦先生と私ですが、その底流にあるのは、純粋な日本教育を20歳前後まで受けて育った元日本人ともいうべき精神世界を有していること、そして日本の精神や文化を評価するとともに、日本のことがどうしようもなく気懸かりで、どうか日本人にもっと自信を持ってほしいと心から願っていることに他なりません。
蔡焜燦先生が日本の皆さんへ必ずといっていいほど呼びかけたのが「日本人よ、胸をはりなさい」でした。日本が自信を持ち、台湾とともにアジアを引っ張っていくことを強く望まれた蔡焜燦先生の心の叫びともいえるでしょう。
幸いにして、日本人の皆さんはここへ来て少しずつ自信を取り戻して来ているかのように見えます。これはまさに日本人に自信を取り戻させることに晩年を捧げた、民間外交官ともいえる蔡焜燦先生の功績でしょう。
どうか日本の皆さんにはぜひとも蔡焜燦先生の思いを継いで、日本と台湾のために心を寄せ続けてくださることを願っております。
最後になりますが、蔡焜燦先生の数々のご功績に対し、心から尊敬と感謝を捧げ、謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
2017年10月8日
台湾元総統 李 登輝