いった台湾の2・28事件。多くの優れたエリートや前途有為の若者たちを中心に約3万人が無実の罪
で虐殺された。
1995年2月28日、台湾の李登輝総統は国家元首として、2・28事件の犠牲者と遺族に初めて「政府
が犯した罪」を認めて謝罪し、2006年には、張炎憲・國史館館長たちの地道な実証研究により、最
大の責任は国民党政権最高権力者の蒋介石にあったことを明らかにしている。
毎日新聞が2月22日の夕刊から「台湾2・28事件 真相求めて70年」を連載しはじめた。2・28事
件の輪郭を鮮やかにつづる、読み応えのある記事だ。執筆は鈴木玲子・台北支局長。連載第3回の
記事全文を下記にご紹介したい。
台湾2・28事件 真相求めて70年(3) 鈴木玲子・台北支局長
故郷に連れて帰りたい 日本人犠牲者の遺族
【毎日新聞:2017年2月24日夕刊】
http://mainichi.jp/articles/20170224/dde/007/040/034000c
写真:父・仲嵩実さんの写真を手に、一家の苦難を語る娘の徳田ハツ子さん(中央)と夫の金一
さん(右)、長女の當間ちえみさん=那覇市の自宅で
台湾北部・基隆港に近い和平島。戦前の日本統治時代は社寮島と呼ばれ、最盛期には沖縄出身者
約500人が暮らした。国民党政権が台湾住民を武力弾圧した1947年の「2・28事件」では目の前の海
に数え切れない遺体が浮かんだという。島の一角にある無縁仏の遺骨を納めた霊廟(れいびょう)
「万善(まんぜん)公廟」が悲劇を伝える。
<山と海を見れば、故郷を思い出す/お父さんと別れて/私はあなたの年齢を超えてしまいまし
た/だけど、あなたも故郷の山と海を忘れてはいないでしょう>
昨年2月28日、島の霊廟前で沖縄県・与那国島出身の徳田ハツ子さん(79)=那覇市=が自作の
歌詞を付けた民謡を与那国方言で歌った。事件に巻き込まれた父の仲嵩実(なかたけみのる)さん
(当時29歳)への思いを込めた。
事件では少なくとも沖縄出身の日本人4人が犠牲になったとみられている。仲嵩さんはその一
人。長女のハツ子さんは父の遺骨も廟にあると考えている。
47年2月末ごろ、船員だった仲嵩さんは石底加禰(いしそこかね)さん(同39歳)と、船のエン
ジン部品を入手するために与那国を出港。社寮島の漁港に到着後、国民党軍の兵士に捕らえられ、
殺害されたとみられている。同じころ、別の船で寄港したハツ子さんの夫、金一(きんいち)さん
(88)は台湾人船長が危険を察知し、与那国に逃げ延びた。
戦後、与那国は台湾との交易で活況に沸き、仲嵩さんは料亭も営んでいた。ハツ子さんは「父
は、私と弟の光明(故人)を両ひざに抱き、『娘と息子、私の財産だよ』と頭をなでてくれた」と
懐かしむ。
事件後、家族の生活は一変した。仲嵩さんの妻のテツさん(故人)は親類らから「台湾に行かせ
たからだ」と責められ、小学3年だったハツ子さんら子ども3人と引き離された。仲嵩さんの母マカ
トさん(故人)は、孫のハツ子さんが中学の修学旅行で石垣に行くのを許さなかった。子どもと引
き離されて石垣に渡ったテツさんに会うと勘ぐったためだ。
ハツ子さんの長女、當間(とうま)ちえみさん(60)は約10年前、新聞で事件の記事を読み、
「祖父が巻き込まれたのはこれだ」と確信した。ハツ子さんらは昨年11月、台湾当局に犠牲者とし
て被害認定と損害賠償請求を申請した。今月28日に台北で行われる追悼式典に親類8人で出席す
る。「父の遺骨を見つけ、故郷に連れて帰りたい。解決するまで、何度でも台湾に行く」と切なる
願いを込めた。【台北・鈴木玲子】=つづく