日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載
◆お詫びと訂正
先ほど発行した本誌で、李登輝元総統の仙台における「李登輝先生を歓迎する夕べ」ご挨拶(全
文)をご紹介しましたが、そのご挨拶は瑞巌寺の句碑におけるご挨拶でした。
ここにお詫びするとともに、改めて「李登輝先生を歓迎する夕べ」ご挨拶の全文をご紹介して訂
正させていただきます。
なお、ご挨拶の中で「200名を超える国会議員の先生方」と述べられています。主催した「李登
輝先生の講演を実現する国会議員の会」によりますと、国会議員は292人、秘書などの代理出席は
112人だったそうです。その他、本会副会長の川村純彦、黄文雄など関係者も聴講していますの
で、会場には450人ほどが参加していたことになります。
7月24日の本誌で「212人の国会議員が参加」と紹介しましたので、これも併せて訂正させていた
だきます。
◇ ◇ ◇
村井嘉浩(むらい・よしひろ)宮城県知事、日本李登輝友の会・宮城県支部の嶋津紀夫(しま
づ・のりお)支部長、宮城県日台親善協会の相沢光哉(あいざわ・みつや)会長、そして会場の皆
さま、こんばんは!
今回、私は国会における講演のご招待を受けて日本に参りました。昨年と同じく、2人の娘がつ
いて来てくれたほか、亡き長男の嫁と、年末に結婚する予定の孫娘も同行してくれました。どうぞ
よろしくお願いいたします。
また、本来であれば、家内も一緒に日本へ来る予定だったのですが、直前になって体調を崩して
しまい、日本へ来ることが出来ませんでした。
家内も今回の日本訪問、特に松島を訪れることをずっと楽しみにしてきましたので残念でなりま
せん。次の機会には、ぜひとも2人でまた日本を訪れたいと思っております。
おかげさまで、22日に行われた国会議員会館での講演では、200名を超える国会議員の先生方を
中心に、400名もの皆さんが集まってくださり、「台湾のパラダイムの変遷」と題した講演を行い
ました。
また、その翌日の、日本外国特派員協会での講演でも、満席になるほど、たくさんの記者に集
まってもらい、無事に講演を終えることができました。
退任して時間が経ったとはいえ、台湾の総統経験者が国会で講演したことは、昭和47年に国交が
途絶えた後はもちろん、戦後の歴史を通じても、初めての出来事です。
これもまた、日台関係が新しい時代の枠組み、つまり「新しいパラダイム」に変わって来た一つ
の証と言えましょう。
そして、この仙台には、2007年以来、8年ぶりにやって参りました。
日本大震災で、仙台の街や、美しい松島もかなり被害を受けたと聞き、大変心を痛めておりまし
た。
しかし、車の中から見ておりますと、前回訪問した時と変わらず、美しい風景が広がっており、
安心するとともに、復興に努力されている皆さまに敬意を評したいと思います。
8年前に松島を訪問した際、私と家内が作った俳句の句碑が、瑞巌寺に建てられたことは、たく
さんの方から聞いておりました。
松尾芭蕉は、松島の風景が余りにも美しすぎて俳句を作れなかったと聞いておりましたので、恥
ずかしながら「それでは、私と家内でちょっと作ってみましょうか」と言って作ったのが、2つの
俳句です。
私は「松島や光と影の眩(まぶ)しかり」と読み、家内は「松島やロマン囁く夏の海」と作りま
した。
あの時、家内から「光と影」と読んだら、雨が降った時どうするのか、と笑われたことを思い出
します。
その後、日本李登輝友の会・宮城県支部の皆さまが大変努力されて、瑞巌寺に句碑が建てられた
と聞いたとき、これは「ノーベル賞以上の栄誉だ」と感激したものです。
そして、次回、日本に行く機会があったら、再び松島を訪れて句碑を見に行こうと、常々、家内
と話していたのです。
今日やっとその願いが叶い、午後に瑞巌寺を再び訪問することが出来ました。
台湾へ帰りましたら、家内にも、たくさんの方々から盛大に歓迎していただいたことを報告した
いと思います。
明日、私は台湾へ帰りますが、再び仙台や松島を訪問出来たことは一生の思い出です。
今回、準備してくださった方々、かくも盛大に歓迎していただいた方々に感謝しつつ、私の挨拶
といたします。どうもありがとうございました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【7月25日】 230人以上が集い仙台で「李登輝先生を歓迎する夕べ」
李登輝元総統のご来日に関して、昨日の本誌で、総合南東北病院・BNCT研究センター訪問な
ど7月24日以降の動きをご紹介しました。
ところが、不思議なことに地元紙の「河北新報」は24日に仙台入りしたことや瑞巌寺で植樹され
たこと、千年希望の丘の慰霊碑に献花されたことをインターネット版で伝えていましたが、なぜか
25日夜に仙台市内の勝山館で行われた「李登輝先生を歓迎する夕べ」は紙面のみで、インターネッ
ト版には掲載しませんでした。
この「李登輝先生を歓迎する夕べ」の主催者は宮城県庁、宮城県日台親善協会、日本李登輝友の
会宮城県支部の三者。230人以上が参加し、村井嘉浩(むらい・よしひろ)知事や本会の小田村四
郎会長名代として常務理事でもある梅原克彦(うめはら・かつひこ)前仙台市長も歓迎挨拶し、仙
台出身の清野智(せいの・さとし)JR東日本取締役会長による乾杯の発声、また江口克彦(えぐ
ち・かつひこ)参議院議員、安藤俊威(あんどう・としたけ)宮城県議会議長なども挨拶する一大
イベントでした。
紙面では、李元総統がにこやかに手を振られる写真まで掲載しながら、どうしてインターネット
版に掲載していないのか、本当に不思議です。
ちなみに、本会の梅原常務理事は、李登輝元総統の2001年からのご来日経過を振り返り、2007年
になって、台湾観光客のノービザと相俟って「東京に入らない」「いかなるところでも講演しな
い」「いかなるところでも記者会見しない」「公の場で政治家と会わない」という4つのビザ発給
条件が撤廃されたことを紹介しました。会場のあちこちでうなづきながら真剣に聞く様子がとても
印象的でした。
河北新報紙には、梅原氏が述べたこれまでの経緯についてご紹介いただきたかったと、残念で
す。紙面ではどういう記事になっていたか、下記にご紹介します。
なお、会場には、本会関係者では、青森県支部の菊池晃・支部長、岩手県支部の佐々木孝・支部
長、福島県支部の林慎平・支部長、山形県からは五十嵐真徳・理事、秋田県からは2007年に李元総
統が宿泊された都わすれの女将の佐藤京子さん、長田幸子さん姉妹、東京からは拓殖大学の渋谷
司・海外事情研究所教授なども駆けつけ、本当に盛会でなによりでした。
—————————————————————————————–
李登輝氏来県 夕食会で歓迎 仙台・県などが開催
【河北新報:2015年7月26日】
写真:夕食会で拍手に手を挙げて応える李氏=25日午後6持すぎ、仙台市青葉区の勝山館
来県中の元台湾総統、李登輝氏を歓迎する夕食会が25日、仙台市青葉区の勝山館で開かれた。県
や県日台親善協会などの共催で、約230人が参加した。
村井嘉浩知事が「東日本大震災では台湾に多くの支援をいただいた。大変な尽力をした李先生に
感謝する」とあいさつ。日李登輝友の会常務理事の梅原克彦前仙台市長は「日台は運命共同体。交
流を一層深めよう」と呼び掛けた。
李氏の来県は2007年6月以来。25日は前回に続き松島町の瑞巌寺を訪れ、自作の句「松島や光と
影の眩(まぶ))しかり」を刻んだ碑のそばで記念植樹を行った。
夕食会で李氏は「震災で仙台や松島がかなり被害を受けたと聞き、心を痛めた。しかし、車窓に
は前回と変わらない麗しい風景が広がっていた。復興に努力した皆さんに敬意を表する」と日本語
で述べ、大きな拍手を受けた。
李氏は26日、岩沼市の「千年希望の丘」で献花し、震災犠牲者を慰霊した後、仙台空港から帰国
する。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━