先ほど発行した本誌で、李登輝元総統の仙台における「李登輝先生を歓迎する夕べ」ご挨拶(全
文)をご紹介しましたが、そのご挨拶は瑞巌寺の句碑におけるご挨拶でした。
ここにお詫びするとともに、改めて「李登輝先生を歓迎する夕べ」ご挨拶の全文をご紹介して訂
正させていただきます。
なお、ご挨拶の中で「200名を超える国会議員の先生方」と述べられています。主催した「李登
輝先生の講演を実現する国会議員の会」によりますと、国会議員は292人、秘書などの代理出席は
112人だったそうです。その他、本会副会長の川村純彦、黄文雄など関係者も聴講していますの
で、会場には450人ほどが参加していたことになります。
7月24日の本誌で「212人の国会議員が参加」と紹介しましたので、これも併せて訂正させていた
だきます。
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村井嘉浩(むらい・よしひろ)宮城県知事、日本李登輝友の会・宮城県支部の嶋津紀夫(しま
づ・のりお)支部長、宮城県日台親善協会の相沢光哉(あいざわ・みつや)会長、そして会場の皆
さま、こんばんは!
今回、私は国会における講演のご招待を受けて日本に参りました。昨年と同じく、2人の娘がつ
いて来てくれたほか、亡き長男の嫁と、年末に結婚する予定の孫娘も同行してくれました。どうぞ
よろしくお願いいたします。
また、本来であれば、家内も一緒に日本へ来る予定だったのですが、直前になって体調を崩して
しまい、日本へ来ることが出来ませんでした。
家内も今回の日本訪問、特に松島を訪れることをずっと楽しみにしてきましたので残念でなりま
せん。次の機会には、ぜひとも2人でまた日本を訪れたいと思っております。
おかげさまで、22日に行われた国会議員会館での講演では、200名を超える国会議員の先生方を
中心に、400名もの皆さんが集まってくださり、「台湾のパラダイムの変遷」と題した講演を行い
ました。
また、その翌日の、日本外国特派員協会での講演でも、満席になるほど、たくさんの記者に集
まってもらい、無事に講演を終えることができました。
退任して時間が経ったとはいえ、台湾の総統経験者が国会で講演したことは、昭和47年に国交が
途絶えた後はもちろん、戦後の歴史を通じても、初めての出来事です。
これもまた、日台関係が新しい時代の枠組み、つまり「新しいパラダイム」に変わって来た一つ
の証と言えましょう。
そして、この仙台には、2007年以来、8年ぶりにやって参りました。
日本大震災で、仙台の街や、美しい松島もかなり被害を受けたと聞き、大変心を痛めておりまし
た。
しかし、車の中から見ておりますと、前回訪問した時と変わらず、美しい風景が広がっており、
安心するとともに、復興に努力されている皆さまに敬意を評したいと思います。
8年前に松島を訪問した際、私と家内が作った俳句の句碑が、瑞巌寺に建てられたことは、たく
さんの方から聞いておりました。
松尾芭蕉は、松島の風景が余りにも美しすぎて俳句を作れなかったと聞いておりましたので、恥
ずかしながら「それでは、私と家内でちょっと作ってみましょうか」と言って作ったのが、2つの
俳句です。
私は「松島や光と影の眩(まぶ)しかり」と読み、家内は「松島やロマン囁く夏の海」と作りま
した。
あの時、家内から「光と影」と読んだら、雨が降った時どうするのか、と笑われたことを思い出
します。
その後、日本李登輝友の会・宮城県支部の皆さまが大変努力されて、瑞巌寺に句碑が建てられた
と聞いたとき、これは「ノーベル賞以上の栄誉だ」と感激したものです。
そして、次回、日本に行く機会があったら、再び松島を訪れて句碑を見に行こうと、常々、家内
と話していたのです。
今日やっとその願いが叶い、午後に瑞巌寺を再び訪問することが出来ました。
台湾へ帰りましたら、家内にも、たくさんの方々から盛大に歓迎していただいたことを報告した
いと思います。
明日、私は台湾へ帰りますが、再び仙台や松島を訪問出来たことは一生の思い出です。
今回、準備してくださった方々、かくも盛大に歓迎していただいた方々に感謝しつつ、私の挨拶
といたします。どうもありがとうございました。