日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載
李登輝・元台湾総統が語る東アジアの未来(1)日台漁業協定の締結は歴史的快挙
李登輝・元台湾総督が語る東アジアの未来(2)台湾が感動した安倍総理の友人発言
【月刊「Voice」2013年5月号】《『Voice』2013年5月号より一部改稿》
http://shuchi.php.co.jp/article/1413
◆デフレは政治指導力の欠如が原因
じつに私は十数年にわたり、日本が経済的苦境を脱するためには、インフレ目標を設定
するなど大胆な金融政策を採用すべきこと、また同時に大規模な財政出動を実施すること
で経済を強化することの必要性を建議してきた。まさにいま「アベノミクス」と呼ばれる
一連の政策によって、これらが実現しようとしている。私が安倍総理のリーダーシップに
注目する理由である。
そもそも「失われた20年」といわれるほど、日本が長期低迷に陥った原因とは何だった
のか。遡ると、それは1985年のプラザ合意に行き着く。それまで1ドル=250円前後だった
円相場は、87年末には同120円近くにまで急騰した。円高によって国内でやっていけなくな
った日本企業からの資本と技術の導入によって、台湾や韓国、シンガポール、香港など東
アジア諸国は恩恵を受けたが、日本にとっては大きな重荷になった。以後も日本企業は一
生懸命コストを下げ、モノづくりを続けてきたが、それも限界が近づいていた。
やがて日本では、「デフレの原因は人口減である」という人が現れた。だが、これは問
題を見誤っている。経済成長の主要因は、国内投資、輸出、国内消費、技術の変化(革
新)の4つであるが、日本にとっていちばん重要なのは輸出である。資源のない日本が経
済を発展させるためには、外国から資源を輸入し、新しいモノをつくって海外にどんどん
輸出するしかない。これは台湾も同じだ。しかし日本では円高によって、輸出が伸びない
でいた。日本がこの苦境を打破するには、為替を思い切って切り下げるしかないというこ
とを、私は繰り返し建議してきたのである。
ところが、日本には多くの大学があり、多くの経済学者がいるはずなのに、イェール大
学名誉教授の浜田宏一氏のような方を除いて、円安政策の必要性を主張する人はきわめて
稀であった。メディアもインフレターゲットのような「新しい方法」については勉強して
こなかった。
バブル崩壊から20年が経ち、景気循環からすれば日本はとっくに底入れしているはずな
のに、そうならなかった。これは経済学のいう「見えざる手」、つまり市場の調整では停
滞を脱することは不可能なことを示している。こういうときこそ、政策の出番のはずだ
が、日本では国際関係への配慮から、とくに円安政策についてはタブー視されてきた。円
安政策には他国に失業を輸出する近隣窮乏化政策だという批判もあるが、私はそう思わな
い。輸出が伸びて国内景気が回復すれば、生産能力の更新によって、輸入も大きく増える
はずだからだ。
いずれにせよ、これまで日本の指導者は隣国の中国や韓国、あるいはアメリカからの批
判を恐れて、円安政策に踏み切れないでいた。日銀も「事なかれ主義」に陥っていたので
ある。こうした日本の状況を指して、私は2003年2月に発売された『論争・デフレを超え
る』(中公新書ラクレ)に収められた論文のなかで、次のように指摘した。
「デフレはたんに経済的な問題ではなく、日本の政治指導力の問題だ。日本は米国依存
と中国への精神的隷属から抜け出さなければ、いまの苦境を脱することはできない。国際
社会における日本の経済的自立、精神的な自立こそがデフレ脱却の大きな鍵だ」
一国の経済の舵取りには、強いリーダーシップが不可欠だが、安倍総理にはそれがある
ようだ。また現在、安倍総理は金融政策だけでなく、大胆な国内投資の実行も掲げてい
る。これまで日本では「国債の発行残高が高すぎる」「もうお金がないから」という理由
で、大型の公共事業に対して批判的な声が強かった。しかし、安倍自民党は10年間に200兆
円といわれる「国土強靭化計画」を実施しようとしているという。
反対にまったく評価できないのが、野田前首相が決めた消費増税である。長年のデフレ
に加え、東日本大震災の被害に苦しむ国民を苛めるような政策だ。日本の指導者は間違っ
たことをしていると思ったものだ。
◆まやかしの「北京コンセンサス」
目下、経済再生への歩みを着実に進める日本に対し、中国経済の成長には鈍化がみえ
る。中国国家統計局が3月に発表した2012年の実質国内総生産(GDP、速報値)成長率は前
年比7.8%と、1999年以来、13年ぶりに8%を割り込んだ。実態はもっと低いのではないか
と私はみているが、毎年2桁の成長を続けてきた中国経済に翳りがみえてきたのは間違いな
い。
以前から私は、中国の「驚異的」といわれる経済成長に対しては、懐疑的な見方をして
いた。もともと共産党政府が発表する経済指標は、各自治区、各省から報告された数値を
検証もせずに合算したもので、虚偽が多く信用できない。たとえば、内モンゴル(内蒙
古)自治区などは経済成長率が20%に達したこともあったとされたが、あまりに過大にす
ぎよう。
もちろん、中国のような巨大な国が経済成長すれば、当初は10%以上の成長が続くこと
は考えられる。戦後の台湾でも、12〜13%程度の成長を遂げていた時期があった。しか
し、こうした成長が十何年も続くようなことはありえない。
中国は、今年1―2月の輸出は前年同期比の約2割増しと発表している。しかし、現在の世
界景気の状態、とくにEUの状況からいって、今後輸出が大幅に増えるとは思えない。輸出
が無理なら、国内消費ということになるが、中国の国内消費は依然として冴えない。中国
はわずか1%の世帯が富の4割を所有するほど貧富の格差が激しい国だ。国内消費が伸びな
いのは、こうした格差の問題が大きく、簡単には解消されない。また、近年の中国では過
剰な国内投資をやりすぎて、いわゆる不動産バブルの状態に陥っており、その崩壊の問題
もある。
しかし、これらの要因以上に中国経済にとって深刻なのは、反日デモや環境汚染の影響
によって外国資本が逃げ出していることだ。一時期、「北京コンセンサス」という言葉が
流行った。経済発展を第一に掲げる中国の国家資本主義的な経済政策を意味する。だが私
にいわせれば、それはまやかしにすぎない。
自国の資金や技術ではなく、外国の資金や技術を頼りに国内の有り余った労働者を利用
して経済発展を遂げるという中国のやり方は、国民を幸せにはしなかった。13億人のう
ち、中産階級は約2500万人。いまだに総人口の2%でしかなく、国内には不満が渦巻いてい
る。
もともとアジアにおける経済発展は、日本の明治維新や戦後復興がモデルになってい
た。すなわち国家というものが基礎になって「資源の配分」を行なう方法だ。明治日本で
あれば、農民からの地租をもとに財政を整え、工業に資金を再配分する。戦後復興であれ
ば、重化学工業への「傾斜生産方式」が代表例である。
終戦後、台湾大学に編入するまでおよそ1年のあいだ、私は京都帝国大学(現・京都大
学)に通っていた。構内は寒かったが、ストーブはなかった。燃料となる石炭はすべて工
業に回されており、消費者は節約を強いられていたのである。やがて朝鮮戦争の特需にぶ
つかって、日本の重工業は立ち直ったという歴史がある。政府が強力な経済政策を主導す
ることに関して、近年の日本で懐疑的な見方が強くなっているのは、こうした経験が忘れ
られているからではないか。
私が12年間の台湾総統時代に実行したのも、国家が基礎になって「資源の配分」を行な
う方法だ。まず私が力を注いだのが、農業の発展である。そして農業分野で生まれた余剰
資本と余剰労働力で中小工業を育成した。日本の発展が偉大な教師となったのである。日
本や台湾が歩んできた経済発展の道は、外国資金や技術を当てにしたまやかしの「北京コ
ンセンサス」とも、規制緩和や国営企業の民営化、財政支出の抑制などを柱にする「ワシ
ントンコンセンサス」とも明らかに異なる方法であったことを確認しておきたい。
◆「Gゼロ」後の世界における中国の狙い
3月14日、国家主席に習近平氏、15日、首相に李克強氏が就任し、中国では新しい体制が
スタートした。だが誰が中国の指導者になろうとも、共産党体制の維持に邁進するだけ
で、政治的に大きな変動はなかろう。近年の中国は、自国民の不満を逸らすため、周辺国
に覇権的な干渉を繰り返しているが、こうした動きは今後も続くということだ。
89年の冷戦終了後、これでアメリカの世界的な覇権が確立したと考えられていた。だが
実際に起きたのは、サミュエル・P・ハンチントン氏のいうような「文明の衝突」であっ
た。フランシス・フクヤマ氏は「歴史は終わった」といったが、それは早すぎたのであ
る。2001年、9・11同時多発テロに見舞われたアメリカは中東問題に足を取られてアジアか
ら後退し、さらに2008年のリーマン・ショックで経済的な地位も失陥した。
この間に台頭してきたのが中国である。しかしいまの中国には、アメリカと共にいわゆ
る「G2」として国際秩序を維持しようという気はまったくない。このあたりの事情を詳細
に分析してみせたのが、イアン・ブレマー氏の『「Gゼロ」後の世界』(日本経済新聞社)
である。「Gゼロ」とは世界的なリーダー不在の時代を意味する。グローバル・リーダーの
調停機能が失われたなかで、アジアや中東では地政学的なリスクが激化する時代が訪れて
いるのだ。
ブレマー氏によれば、中国はいまだ「自分たちは貧しい」といい、世界のリーダーとし
ての責任を果たすことを忌避している。IMF(国際通貨基金)やWTO(世界貿易機関)をつ
くったのは西欧ではないか、というのが中国の言い分だ。しかし一方で中国には、それら
に代わる新たな体制をつくり出す能力がない。そこで周辺国への内政や領土干渉を繰り返
すことによって、自分たちの力を誇示しているのである。
こうした中国の動きを説明するのに、私は「成金」という言葉をよく使う。経済力を背
景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島でフィリピンが領有していた地域に手を出
し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張
り散らす浅ましい「成金」の姿そのものである。
それこそ私は事あるごとに日本や沖縄の要人、台湾内部に向けて「尖閣諸島は日本の領
土」と言い続けてきた。しかし、肝心の日本の政治家のほうが中国に遠慮して、「尖閣は
日本の領土」という態度を示してこなかった。野田前首相の時代に尖閣諸島は国有化され
たが、あのような手続きを行なったところで、どれほどの効果があるのか。国が買わない
なら都で買う、と表明した石原慎太郎前都知事にしても、彼の個人的な意気を示すだけの
話であったように思う。もともと尖閣諸島は日本国民の領土なのだから、日本政府は手続
き論に終始せず、中国が手を出してくるなら戦う、ぐらいの覚悟を示す必要がある。
現在、私が日本に関してもっとも憂慮しているのは、尖閣周辺海域の「共同管理」を求
める中国の対日外交方針に、日本の政治家のなかで賛成する者が出始めていることだ。こ
れはきわめて危険な発想だ。すでに中国は陸軍の力では覇権を拡張していく道がないこと
もあって、海軍力の強化に努めている。日本が譲歩すれば、中国は「共同管理」を理由に
尖閣に上陸し、たちまち周辺海域を制圧するだろう。そしてそこを出口として、中国海軍
はいよいよ太平洋に進出していくことになる。それこそが中国の狙いなのである。日本の
総理大臣をめざすともいわれる政治家は、「共同管理」とはどういう意味かをよく考えな
ければならない。
いまのところ中国が尖閣諸島に武力侵攻してくる可能性は低いだろう。いまだ中国は、
日本の同盟国であるアメリカのもつ世界一の軍事力を恐れている。しかし、日本政府に揺
さぶりをかけるため、領海、領空侵犯といった脅しを続けてくるに違いない。少しでも日
本が怯んだところをみせれば、中国はアメリカに対し、「日本は尖閣を単独で管理できな
い。だから『共同管理』するしかない」というはずだ。繰り返すが、中国側の尖閣諸島の
「共同管理」の申し出は断固拒絶すべきである。
◆日台の尖閣問題の歴史的背景
他方、台湾の馬英九総統も「尖閣諸島は台湾のものだ」と宣伝している。尖閣問題に関
して馬政権は中国と連携する気はないといっているが、そのような宣伝は日本と台湾の離
間を画する中国を利するものであると、われわれは危惧している。
もともと馬総統は、尖閣諸島の帰属問題について台湾で最初に騒ぎ出した人物である。
1971年、アメリカのボストン通信で「尖閣列島はわれわれが領有権をもつ」と言い出した
のが始まりだ。当時は国連による海洋法の公布がなされる時期であり、さらに尖閣列島の
海底で石油が発見されたという消息が飛び交っていた。そのようなとき、「尖閣は台湾の
領土」という発言を馬氏がしたのは、愛国心を発揮して、国民の支持を得ようとしたのだ
ろう。もちろん、歴史的な無理解かつ国際法の無視に基づく発言である。
なお昨年の12月、日本で次のような報道がなされた。尖閣諸島の魚釣島に台湾軍の精鋭
部隊が上陸するという極秘作戦が1990年に計画されたが、当時台湾総統であった私が最後
は止めた、というものである(2012年12月10日付『朝日新聞』)。だが歴史的事実とし
て、そのような極秘の上陸作戦はなかった。真相はこうである。当時、台湾の漁民が尖閣
諸島の近海に漁に出る際、海軍が護衛するという案があった。しかし私は、海軍に日本の
領海に入るなと指示を出したのである。
もともと尖閣諸島は、かつて台湾が日本の統治下にあったころから台湾と深い関係があ
った。古くから尖閣諸島の近海は、沖縄漁民とともに、台湾の基隆や蘇澳の漁民にとって
も、大切な漁場であった。当時は台湾も沖縄も共に日本国に属し、台湾の漁民も沖縄の漁
民も差別なく、尖閣諸島の漁場で魚を獲ってきたのである。
しかし、第二次大戦で日本は敗北。沖縄はアメリカに、台湾は国民党政府に占領され、
それぞれ異なった政府の管轄下に置かれるようになった。この間、台湾の漁民も沖縄の漁
民もそれぞれ尖閣諸島の漁場を共有してきたが、沖縄が日本に返還されたあと、台湾と沖
縄は異なった国に属するようになった。
しかし、日本政府はこうした歴史的な背景を考慮せず、台湾漁民が習慣的に尖閣諸島の
魚を獲ることは国際法上の領土侵害と見なし、台湾漁民を駆逐した。そこで私は台湾総統
時代に、日本の農林水産省と漁業権の解決に向けて、話し合いを始めたのである。日本と
台湾のあいだの漁業協定の締結に向けた交渉は96年に始まり、2009年に中断していたが、
「日台漁業協定の締結を急ぐべきだ」と日本の首相で初めて指示した安倍総理のもと、4年
ぶりに再開された。そして4月10日。日台はついに合意に達し、協定は調印された。台湾の
漁民のために早期妥結を望んできた私にとっても、じつに喜ばしいことである。まさに歴
史的快挙だ。
これまで、日台のあいだに横たわる大きな問題は、この尖閣諸島の漁業権だけであっ
た。それが解決された以上、日台の友好(親善)の進展を阻むものはなにもない。協定調
印後、中国側は早速「重大な懸念」を表明してきたが、日台は中国共産党の圧力に屈して
はならない。
◆「犬が去って、豚が来た」
もともと台湾は、非常な親日国である。東日本大震災に対する台湾から日本への義援金
は200億円を超え、世界一となった。私も東日本大震災の報に接したときは、刃物で切り裂
かれるような心の痛みを感じ、「自然の猛威を前にしてけっして運命だとあきらめず、元
気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」との励ましのメッセージを送った。台湾人は日本
のことをなぜこうも大切に思うのか。
今年3月13日、東北の大学生30人余りが東日本大震災時の日本支援に対して台湾に感謝を
述べに来た。その学生たちを前に、私は次のような話をした。
「日本は半世紀にわたって台湾を統治しました。この間、もっとも大きな変化は台湾が
伝統的な農業社会から近代社会に進化させられたことです。日本は台湾に近代工業資本主
義の経営観念を導入したのです。また新しい教育制度が導入され、近代的な国民意識が培
われました。やがて台湾人は自らの地位が日本人に比べて低いことに気付きます。ここに
『台湾意識』が芽生えました。『台湾人の台湾』という考えが生まれ、これが国民党に対
抗する力となったのです」
台湾には「犬が去って、豚が来た」という言い方がある。犬は戦前に台湾を統治してい
た日本人、豚は大陸から来た中国人を意味する。渋谷に忠犬ハチ公の銅像があるだろう。
犬は吠えてうるさいが番犬として役に立つ。これに対し、豚は食い散らかすだけで何もし
ない。大陸から来た中国人に比べれば、日本人のほうがはるかにましだったという、台湾
人の考えを表した言い方である。
また、台湾人が好んで用いる言葉に「日本精神(リップンチェンシン)」というものが
ある。これは日本統治時代に台湾人が学び、ある意味で純粋培養されたもので、「勇気」
「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を指す
言葉である。じつはこの言葉が台湾に広まったのは戦後のことで、当初は大陸から来た国
民党の指導者が自分たちには持ち合わせていないものとして、台湾人の気質を示したもの
だ。台湾に浸透したこういう「日本精神」があったからこそ、戦後の中国文化に台湾は完
全に呑み込まれることはなかったといえるし、現在の近代社会が確立されたともいえる。
台湾人の親日にはこうした歴史的背景があるが、これまでその思いは一方的なものにす
ぎなかったのかもしれない。戦後になって、戦前の歴史をすべて捨てた日本人は、「台湾
のこと」も忘れていたように感じるのである。
◆東日本大震災での痛恨事
日本との関係を思うとき、私にはいまだに了解できないことがある。このことについて
少し述べたい。
99年9月21日、台湾大地震が起こったのは台湾総統の任期があと8カ月で終わるときであ
った。各国から救助隊がやってきたが、真っ先に駆けつけてくれたのが日本であった。人
数も多かった。またありがたいことに小池百合子代議士は、仮設住宅の提供を申し出てく
れた。さらに、当時曽野綾子氏が会長を務めていた日本財団は3億円を寄付してくれた。授
与式には曽野氏がわざわざ訪台され、私と会見した。その際に私は曽野氏に対して、もし
将来日本で何か起こったら、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した。
しかし、先の東日本大震災ではその約束が果たせなかった。震災発生直後、日本の対台
湾窓口である交流協会を通じてすぐに救助隊の派遣を申し出たのだが、なかなか話がまと
まらない。時間を無駄にはしたくないと考えたわれわれは、やむなく山梨県甲府市のNPO
(非営利団体)と話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせることにした。
台湾からの救助隊の第一陣が成田空港に到着したのは3月13日。すでに中国や韓国の救助
隊は到着していた。さらに日本に到着してからも、「台湾の救助隊を迎え入れる準備がで
きない」と外務省にいわれてしまう始末であった。
なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。「台湾は中国
の一部」とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその
程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆
けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である。
また2001年、持病の心臓病の治療のために訪日しようとした際、私を入国させることで
中国を怒らせることを恐れた当時の外相や外務省の反対で、なかなかビザが下りないとい
うこともあった。「義を見てせざるは勇なきなり」という武士道の精神を表す言葉があ
る。武士道は日本人にとって最高の道徳のはずである。このとき私は、日本という国がほ
んとうにおかしくなっていると感じた。
だが一方で、こうもいいたい。東日本大震災で日本国民がみせた節度ある行動や献身的
な自己犠牲は、まさに武士道の精神そのものであった。武士道という言葉自体はいまの日
本ではあまり使われなくなっていたとしても、その精神はけっして失われていなかった。
そしてそれを世界の人が称賛したのである。
しかし、東日本大震災で日本国民がみせた際立った優秀さとは対照的に、政府の対応は
あまりに嘆かわしいものであった。
震災直後、時の首相であった菅直人氏はヘリコプターに乗り、上空から被災地見て回っ
たものの、それだけで終わってしまったという。本来であれば菅元総理は、自衛隊の幕僚
長と内閣の官房長官を従え、ヘリコプターから降りて被災地を一つ一つ見回り、被災者を
慰問し、地方自治体の指導者から救済措置と財政負担を聞き取ることが必要であった。国
民が苦しんでいるのに、菅元総理はどのような顔をしてヘリコプターに乗っていたのか。
彼はしょせん民主党の指導者であって、国家の指導者たる資格はなかったのである。
震災以降、いつまでも処理されない瓦礫の山をみて、何度台湾から救助隊を出してあげ
たいと思ったかわからない。私は、日本国民の代わりに涙する機会が多くなった。民主党
の指導者たちには、「国のかたち」をどうしていくのかという政治家として当たり前の視
点が欠如している者が多かった。
◆「台湾は中国の一部」がいかに暴論か
明治維新以来、日本は東西文明の融合の地であった。こうした歴史こそが日本の「国の
かたち」の根本を成している。そして日本がアジアのリーダーであるべき理由もここにあ
る。しかし敗戦後、日本では米国依存が進むと同時に、「中華意識」はますます強くなる
一方だった。これでは国際社会の変化に対応できない。
「経済優先」「商売第一」を謳い文句に中国に進出した企業のなかには、儲けるところ
もあっただろう。しかし結局国内の空洞化が進んだことで、日本人一人当たりの国民所得
は落ち、失業者が増えた。必ずしも日本経済のためにならなかったことは、これまでの不
況が証明している。そもそも、日本が商売の相手とすべきなのは中国だけではない。イン
ドやそのほかのアジア諸国も、重要な取引先となってこよう。日本人はいまこそ「中華意
識」からの脱却が必要だ。
以前、台湾研究を行なっている日本の早稲田大学の学生たちのレポートを読む機会があ
った。将来の台湾はどうなるか、また日本はどうすべきかが題目である。台湾の将来に関
する日本の学生たちの見解は、おおよそ次の三つに分けられる。台湾は中国と統一すべき
だという考え、台湾は独立すべきだという考え、そしていまの中国との関係を現状維持す
べきだという考えである。また台湾と日本の関係については、いまのところ正式な外交関
係がないため、経済と文化的な交流を強めていけばよいという考えが多かった。
もちろん、日台の経済関係を安定させ、文化交流を促進し、日本人と台湾人の心と心の
絆を深めていくことは重要である。さらに、私がはっきりさせておきたいのは、「台湾は
中国の一部」とする中国の論法は成り立たないということだ。400年の歴史のなかで、台湾
は6つの異なる政府によって統治された。もし台湾が清国によって統治されていた時代が
あることを理由に「中国(中華人民共和国)の一部」とされるならば、かつて台湾を領有
したオランダやスペイン、日本にもそういう言い方が許されることになる。いかに中国の
論法が暴論であるかがわかるだろう。
もっといおう。たしかに台湾には中国からの移民者が多いが、アメリカ国民の多くも最
初のころはイギリスから渡ってきた。しかし今日、「アメリカはイギリスの一部」などと
言い出す人はいない。台湾と中国の関係もこれと同じである。
今後日本人は「中華意識」にとらわれて台湾を軽視することがあってはならない。そう
すれば、日本は地政学的にたちまち危機に陥ってしまうだろう。日本と台湾はまさしく生
命(運命)共同体なのである。このことを日本人にはつねに意識してもらいたい。
◆台湾が感動した安倍総理の友人発言
これまで日本政府は中国の意向を気にして、台湾への配慮を怠ることが多かったが、こ
うした流れを一気に変えたのが安倍総理である。日本政府が今年3月11日に主催した東日本
大震災2周年追悼式。そこには各国の外交使節と同様に、指名献花する台湾代表の姿があっ
た。多額の義援金を寄付したにもかかわらず、昨年の追悼式で台湾を指名献花から外した
非礼に関しては、日本国内でも多くの批判があったと聞く。今年の追悼式で安倍総理はそ
れを是正したことになる。
また安倍総理は、交流サイト「フェイスブック」上で台湾の支援に言及し、「大切な日
本の友人」と表現した。これには多くの台湾人が感動した。安倍総理は、歴代の日本の政
治指導者がみせた“中国さまさま”の意識にとらわれることなく、激変する国際社会への
対応を学んでいるようにみえる。
最後に、一国の最高指導者の条件とは何か。私は長年にわたる政治活動を通して、「明
確な目標をもつ」「信仰は動力である」「方法をもつ」ことなどの重要性を学んできた
が、ここでは安倍総理へのメッセージとして「謙虚と冷静さ」の大切さを挙げたい。
憲法改正や集団的自衛権の行使、国家安全保障会議の設置など、戦後日本の積年の課題
に手を付けようとすれば、まず7月の参院選に自民党が勝つことが前提となる。そのうえで
安定政権をつくることが重要だ。そのために安倍総理は、自民党の古参議員や若手、新人
議員、また野党やマスメディアに対して、辞を低くして、自分のめざすところを説明して
いく姿勢が求められる。いま安倍総理には国民の高い支持が寄せられているが、そのこと
には絶えず感謝の意を表すべきだ。さらに憲法改正ともなれば、いまのうちからアメリカ
に説明しておくことも必要であろう。
結局、政治は忍耐である。耐え忍ぶ忍耐力をもたないと、ほんとうの勇気は出てこな
い。これこそ、政治の指導者が理想とすべき真の武士道精神ではなかろうか。
ふりつもるみ雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ
昭和天皇の御製である。安倍総理もよくご存じだと思う。昭和天皇もまた武士道をよく
体現されたお方であった。そうでなければ、あのマッカーサーをたちまち心服させること
などできなかったであろう。この昭和天皇の御製をもって、私から安倍総理へのエールと
させていただきたい。
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