作者: 佐藤 千枝
ゴールデンウィークに台湾に行ってきました。
<市立228紀念館&228国家紀念館>
さあ、台湾人を大量虐殺した国民党が再び政権をとって
4年。紀念館はどう変わったんだろう? また国民党政
権になってから出来た国家紀念館はどんなふうに228
を展示しているのかな?
ご自身が228で処刑されそうになった蕭錦文さんに再
び市立228紀念館を案内をしてもらった。
最初はこの紀念館の歴史だ。もともとは、ラジオ局とし
て建設された。灯篭の形をしたスピーカーの前でラジオ
体操をしている写真が展示してある。現在の228公園
にこのスピーカー灯篭が設置されていて総督府からケー
ブルを引いて放送されていたそうだ(ラジオ局からじゃ
なくて?あの総督府の塔が電波塔の役割をしてたのか?)。
今でも同公園にある。
次はミニシアターで映画が上映されている。蕭さんの話
しによると嘘が含まれているそうだ(中国語音声の映画
だから私に内容が解るはずも無く…_(^^;)ゞ)。
次は戦前の台湾自治運動の展示コーナー。昔は臺灣の民
主化(自治)運動の原動力となった板垣退助が来台したと
きの写真とかがあったのだが、今は無くなり簡素化して
いる。
次は太平洋戦争のコーナー。戦争の悲惨さと台湾人が戦
争に巻き込まれたといった写真が標示されている。蕭さ
んの話しによると、台湾総督府が台湾人の軍夫を募集し
たところ数百倍の人が集まったとか。そういう事は展示
されて無いなぁ。
蕭さんが軍夫としてシンガポールに行ったとき英国領に
なって約200年で就学率10%。華僑の貧しい様子を
見て、蕭さんは台湾が日本の領土になって良かったと思っ
たそうだ。因みに台湾が日本領になって50年近くで初
等教育就学率87%だったそうだ。
戦後コーナー。 日本人の引き上げは、一人千円、荷物
は30キロしか持ち出せなかったとの事。
そして中華民国から派遣された台湾省行政長官の陳儀の
写真だ。彼が台湾に来てから稚拙な行政で台湾経済と治
安は悪化。スーパーインフレで米の値段が一日で値上げ
する風刺画が展示されている。昭和21年には台湾でも
選挙があったそうだ。「台湾省」代表が5人くらい選出
されたそうで、その展示もあった。
228事件。闇タバコ売りの女性を殴り、売上金とタバ
コを没収した取締員に周りにいた台湾人達が抗議し、取
り囲んだ。取締員が逃げながら発砲した弾が一人の台湾
人に当たり死亡した。怒った群衆は取締員が逃げ込んだ
警察局を包囲し取締員の引渡しを要求したが拒否された。
その事件現場の写真や被害者の写真、闇タバコやそれを
入れていたカバンのレプリカが展示されている。外国や
日本のタバコが混じっていたが、蕭さんによると当時、
実際に売ってたタバコだそうだ。この闇タバコはタバコ
の専売局員が密輸して稼いだ物を取り締まりで摘発して
いるという問題点を蕭さんは説明してくれたが、この説
明書きには書かれているのだろうか?(漢文の説明書き
が読めないから蕭さんに確認すべきであった<(ToT)> )
2階に上がると、事件翌日に、専売局台北支局に集まっ
て抗議する台湾人が支局の中の机や書類やタバコなどを
外に投げ出し燃やした事件の写真が大きく展示してある。
蕭さんの話しによると、この写真は事件を起こしたデモ
隊が去った後に集まった民衆の写真だそうだ。この支局
前の道路の両側には下水路があって殴られた職員はそこ
に逃げ込んだため、デモ隊は石やレンガ屑を投げ込み職
員はネズミのように逃げ回っていたそうだ。
蕭さんは、専売支局の近所にあった叔父さんの新聞社に
勤めていて、物音を聞いて現場に急行したそうだ。
その後、デモ隊は専売局に行き(11時から12時頃)、
王民寧(警視庁の役員だそうだ)の「ここには誰もいない。
長官公署へ行け」と説得と案内で長官公署へ。その時の
デモ隊の行路が大きな台北地図に描かれている。昔、こ
の地図に描かれていた行路が間違っていたが、蕭さんの
証言で現在の物となった経緯がある。
次は行政長官公署の絵。公署前に集まった群集をバルコ
ニーから機関銃掃射した絵だが、蕭さんの話しによると
機関銃はバルコニーからではなく、屋上からだったそう
だ。この絵は見た人が描いたのではなく、事件から約
40年後の80年代に話しを聞いて描かれた絵だそうだ。
だからリヤカーに乗せてデモ隊を先導した銅鑼がトラッ
クに乗ってたり、当時ボロボロの兵隊服でわらじを履い
ていた国民党兵がちゃんとした服装で描かれているなど
間違いが多い。
そして次からは、陳儀が蒋介石に要請した援軍が台湾に
上陸してからの虐殺の展示だ。
基隆港が台湾人の血で真っ赤に染まった処刑の絵や、処
刑されたり逮捕・指名手配といった被害にあった著名人
の写真や血で汚れた被害者の服などが展示してある。こ
の中には蕭さんの叔父さんで大明報という新聞社の社長
をしていた鄧進益氏の展示もある。彼はギリギリで
香港に脱出したそうだ。C=(^◇^ ; ホッ!
他にも無名の被害者達の写真と名前が並んだコーナーも
あるが、蕭さんによると、詳しく展示してある著名人以
外の被害者遺族達の中には、不満を持つ人々もいるらし
い。(同じ被害者なんだから自分の家族も同じように取
り上げて欲しいということらしい)
それにしても、白色テロで逮捕・処刑された人々の展示
が少なくなったな。葬式の為に棺おけを買い、葬儀後遺
体を棺おけから出して墓に入れてから店に棺おけを返し
銃で脅してムリヤリ返金させたりといった、戦後、台湾
にやってきた「外省人」達の無法な逸話の展示も少なく
なった。
紀念館の外(カフェの近く)には228で逮捕された人々
の名前が刻まれた碑が新たに設置され蕭さんの名前も
あった。
今度は228国家紀念館だ。国民党が作った施設なので
蕭さんには聞きづらい。そしてなぜかこの施設はガイド
ブックにぜんぜん載っていない。こんなときは台北駅の
観光案内所だ! メモに「228国家紀念館」と書いて
見せて「在哪裡(どこ)?」と聞くとネットで調べて
くれて「ここ?」とサイトを見せてくれた。
地図を見せながら「在哪裡?」と聞くと印を付けて
くれた所が郵政博物館の前!確かレトロな建物があっ
たっけ。
更に案内所の人は『今日はもう閉まっている』と教えて
くれたので(このとき土曜の18時)、「トゥモローは?」
と聞くと「OK!」との事。でも、明日は遠出もするし
買い物もするから行く暇ないかも。最終日の月曜も開い
てるかな?あれ?月曜って英語でなんていったっけ?
「トゥモロー イズ サンデー。ホワッツ ネックスデー?」
「Monday。」
「マンデー イズ OK?」と聞くと、休みとの事。仕
方が無い。無理しても明日行かねば。
中正紀念堂駅を降りて南門市場近くの出口から郵政博物
館を通り過ぎるとレンガ造りの建物が見える。角に入口
のある旧警視庁を小さくしたような建物だ。大正・昭和
初期あたりかな?ぜったい日本時代の建築物だけど何の
建物だったんだろう? 中に入ると奥に大階段があり、
踊り場から階段が二手に分かれて2階へと続いている。
よくあるパターンだが今のビルよりずっと素敵!入口近
くに受付のオバちゃんがいたので「フォト OK?」と
確認したところ、「いいけど、フラッシュは駄目だよ。」
とジェスチャー付でOKをもらう。
手すりの曲線とか百合をモチーフにした二つの巨大な
シャンデリアが綺麗だよなぁ。とパチパチ撮影している
と、オバちゃんに「フラッシュは駄目」と再びジェス
チャーで注意され、さらに近くにいた男性客にも頼んで
「ノーフラッシュ」と私に注意させてきた。
「我 懂了(解った)」と言って、今度は廊下を撮る
と、フラッシュが付くではないか!なんでー?私はちゃ
んとフラッシュ無しでカメラを設定したのに〜。もしか
してさっきもフラッシュがついたのか?<(ToT)>シマッ
タァ!オバちゃんごめんなさいm(__)m
どうやら、展示物は2階にあるらしい。階段を登って矢
印に従って展示室に入ると最初にこの建物の歴史の説明
があった。読もうとすると2階の廊下にいたオバちゃん
が話しかけてきた。
「中文不懂(中国語わかりません)」と言うと、入り
口に引っ張られていった。さっきの受付のオバちゃんに
何か話しかけると、ボイスレコーダーが出てきた。受付
のオバちゃんから「パスポート」と言われたのだが、
持っているのはパスポートのコピーだけ。普通に考えれ
ば無理なんだけど、以外にもこれで貸してくれた。\(^o^)/
(最初にボイスレコーダーを出さなかったのは、国家紀
念館はガイドブックに載ってないから偶に日本人が来て
もパスポートを持ってくる人はほとんどいなかったから
だろうな。きっと…)
二人のオバちゃんにお礼を言って見学開始。
このレトロな建物は、日本時代は「台湾教育会館」。絵
画などの芸術展覧会が行われたらしい。戦後は「台湾省
参議会」議事堂だったようだ。
その次は「米国駐台新聞処」。米国の新聞社が使用した
らしい。雑誌[今日世界]が飾られている。これ、台湾現
代史の本で見たことがある!表紙の写真から外国の雑誌
を中文に翻訳した雑誌かと思ってたが、米国新聞社が台
湾で発行してたのか。
それから日本統治下の台湾の展示→日本の敗戦で「中華
民国」の時代へ。ここには「臺灣に上陸した中国の軍隊
を歓迎する台湾人群集」との説明書き付の写真が展示し
てある。でもボロボロの兵士服にわらじ履きの兵士や鍋
釜を担いで歩く中国の兵士達が行進ではなくダラダラ歩
いてくる様子を見て台湾人達が驚愕し失望した事は書い
てないなぁ(笑)。
それから228事件の展示。228の犠牲者で、この建
物が教育会館時代の展覧会に展示された画家の絵が飾ら
れている。
この部屋は「台湾省」参議会室だったらしく、木製の机
や椅子が並べられ机の上には議員の名前入りの名札が並
べてあって議会室が再現されていた。
次のコーナーは228で犠牲になった著名人数名の個人
記録が展示されている。写真や経歴など市立288紀念
館より凝った展示方法だ。(形容が難しくて…m(__)m)
最後に228追悼式に参加する李登輝総統・陳水扁総
統・馬英九総統のそれぞれの写真で終る。
次の部屋(2階の正面玄関真上)には228や白色テロ関
連の本が展示してあり自由に閲覧できるようになってい
る。
一階に降りて階段に向かって右の老化に進むと、シア
ターホールになっていて228関連の映画が一日に数本
上映されている。時間が無いので観られなかったが、今
度は一本くらいは見られるように余裕をもって来よう。
気になるのは、228国家紀念館関連のブログの一つに
『前と展示内容が変わった。参観者の寄せ書きには[日
本時代の日本人は許せない]といった事が書かれていた』
とあった事。ボイスレコーダーの説明では気づかなかっ
たけどなぁ。中文の説明書きに何か書いてあったんだろ
うか?まさか映画が反日映画だったとか!
でも、係りのオバちゃん達は「トイレの場所は解るか?」
とか「ここの庭は綺麗だぞ」とか親切だったけど・・・。
とりあえず、今度行くまでもう少し単語を覚えていかね
ば。( ̄0 ̄)/ !!