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「人間動物園」−中山元文科相の追及でNHKの歴史捏造が明らかに
ブログ「台湾は日本の生命線!」より ブログでは関連写真も
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-755.html
■歴史捏造疑惑―「人間動物園」は不自然すぎる
日本の台湾統治時代を語るに、台湾人弾圧ばかりを強調した「NHKスペシャル/シリーズJAPANデビュー」の第一回「アジアの“一等国”」(四月五日放送)の中で、最も視聴者にショックを与えた「史実」は、何と言っても「人間動物園」ではないだろうか。
番組では「人間動物園」とのテロップを乗せたパイワン族の集合記念写真が映し出され、次のようなアナウンスが流れたのだった。
――― 一九一〇年。日本は統治の成果を世界に示す絶好の機会を得ます。ロンドンで開かれた日英博覧会。(中略)台湾の先住民族、パイワン族。日本は、会場内にパイワンの人々の家を作り、その暮らしぶりを見世物としたのです。(中略)当時、イギリスやフランスは、博覧会で殖民地の人々を盛んに見世物にしていました。人を展示する「人間動物園」と呼ばれました。日本はそれを真似たのです。
そこへフランス歴史学者、パスカル・ブランシャール氏が登場し、次のようにコメントする。
―――当時、西洋列強には、文明化の使命という考え方がありました。植民地の人間は野蛮な劣った人間であり、ヨーロッパの人々は彼らを文明化させる良いことをしている、と信じていました。それを宣伝する場が、「人間動物園」だったと言う訳です。
ここまで聞かされて多くの視聴者は「日本人は台湾の原住民を動物のように扱っていた」との印象を抱かされたに違いない。
しかし私はその時、「おかしい」と直感した。台湾の原住民の「開化」指導に熱心だった当時の日本人が、「人間動物園」と言う言葉を使うだろうかとの素朴な疑問を覚えたのだ。
上のアナウンスやコメントからだけでは、とても真実だとは言いきれないとも思った。
そこで四月二十八日、私は番組に質問のメールを送った。
―――当時、英仏などでは、そうしたものを「人間動物園」と呼んだことから、この「見世物」もまた「人間動物園」だったとの解説でしたが、この博覧会で実際にそのような呼称が用いられたのでしょうか。あるいは日本はそのような言葉を使ったのでしょうか。どのような史料に基づいての解説だったのかも。
番組の濱崎憲一ディレクターから、「質問はメールで。返事は必ずする」と言われていたので、それに従ったわけだ。
■NHKがついに回答ーこれで判明する歴史の真相
実はその日、私とほぼ同じような質問をNHKに行った人がいた。衆議院議員で「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬氏である。
―――NHKは、平成二十一年四月五日「NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー第一回 『アジアの一等国』を放送しました。その番組に対して、日本・台湾の友好親善団体ならびに日・台の有識者から、番組が、偏った視点で制作されていると、尋常ならざる批判が巻き起こっていることは、ご承知のことと存じます。それは、世紀をこえる日本・台湾国民双方の市民交流にまで、拭いがたい不信感を及ぼしたからに他なりません。
このように書かれた中山氏の福地茂雄NHK会長に宛てた質問状には、十三の質問が書き連ねられていたが、その冒頭の二つが「人間動物園」に関するものだったのだ。
下の如しだ。
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一、一九一〇年に、ロンドンで開催された『日英博覧会』を紹介した映像で、日本人と台湾パイワン族との「一枚の集合写真」に「人間動物園」と、侮蔑的キャプションを表記していたが、「集合写真」に「人間動物園」と記述してあったか否か。
(イ) 記述してあった。
(ロ) 記述してなかった。
二、「一枚の集合写真」に関して、日英博覧会関係資料に、台湾パイワン族を「人間動物園」と指摘した当時の資料があったか否か。
(イ) 指摘した資料はあった。
(ロ) 指摘した資料はなかった。
(ハ) 調べていない。
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以上のようにこちらも、「本当に証拠があるのか」と疑っての質問である。おそらくNHKは答えに窮するはずだ。だから、いつまで経っても私に回答を寄せてこないのも不思議とは思っていない。
ところが中山氏には回答を行ったようだ。さすがに無視することはできなかったようだ。
差出人は番組の責任者である河野伸洋エグゼクティブ・プロデューサー。これを見れば番組が強調した「人間動物園」の真偽が判明するはずだ。
■想像で歴史を描くNHKー要するに証拠はなかったのだ
そこで下にNHKの回答を掲げよう。そしてそれと同時に、NHKには「人間動物園」を事実とする確たる証拠がないことも解説しよう。
回答には先ずこうある。
―――日英博覧会についての日本政府の公式報告書「日英博覧会事務局事務報告」によれば、会場内でパイワンの人々が暮らした場所は「台湾土人村」と名付けられ、「蕃社に模して生蕃の住家を造り、生蕃此の所に生活し、時に相集りて舞踏したり」と記されています。相撲などほかの余興と異なる点は、パイワンの人びとを「土人村」で寝泊まり、生活させ、その暮らしぶりを見せたことにあります。
当時、パイワン族のショーは相撲などと並ぶ「余興」の一つだったが、「寝泊りさせて暮らしぶり」を見世物にしたのだから、「ただの余興と思ってはならない」と、まずここでは強調している。
―――イギリスやフランスは、博覧会などで被統治者の日常の起居動作を見世物にすることを「人間動物園」と呼んでいました。日本は、植民地統治の成果を世界に示すために、イギリスやフランスのこうしたやり方をまねてパイワン族の生活を見せました。
日本は英仏の真似をして「植民地統治の成果を世界に示すため」に「パイワン族」を見世物にしたと断じているが、それは事実だろうか。それに関して回答は次のように説明を続けているのだが、見事な牽強付会である。
―――日本国内では、日英博覧会の7年前、1903年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において、「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」を一定の区画内に生活させ、その日常生活を見せ物としました。この博覧会の趣意書に「欧米の文明国で実施していた設備を日本で初めて設ける」とあります。
つまり七年前、大阪ではすでに「欧米の文明国で実施していた設備」を設けた内国勧業博覧会が行われ、台湾生蕃(原住民)を見世物にしているのだから、七年後の日英博覧会で「パイワン族」を見世物にしたのも、英仏の真似をして「植民地統治の成果を世界に示すため」だったことに疑いはないとこじつけているのだ。
そしてその上で、日本が真似た英仏の「やり方」を、英仏人自身は「人間動物園」と呼んでいたのだから、日本がパイワン族を「人間動物園」の展示物として扱ったのは事実だと結論付けようとするのだが、あまりに強引で乱暴すぎはしないだろうか。
当時英仏で「人間動物園」と言う呼び方があったかどうかも定かではないが、仮にそうだとして、そしてそれが植民地住民を苛酷にも動物扱いにしたものだったとしても、パイワン族を展示した日本人に、そのような「人間動物園」を実施しているとの意識はあったのか、あるいはそのような呼称を用いたのか。
このようなことが問題となっているのである。だから中山氏は「日英博覧会関係資料に、台湾パイワン族を『人間動物園』と指摘した当時の資料があったか否か」を問うているのだが、回答はそれには触れていないのは、資料にそのような指摘が見つからなかったからだろう。
番組は資料にもない言葉を勝手に使い、想像で描いた歴史を史実だと視聴者に伝えたことになる。
■もはや歴史捏造の正当化はできない
「人間動物園」を史実と証明できない番組は、それでも自己を正当化することに必死で、論理的に筋の通らない回答をなおも続けている。
―――植民地研究の権威であるフランスのブランシャール氏は「人間動物園は、野蛮で劣った人間を文明化していることを宣伝する場である」と指摘しています。
それはそれでいいとして、次を見よう。
―――日英博覧会の公式報告書にも「台湾が日本の影響下で、人民生活のレベルは原始段階から進んで、一歩一歩近代に近づいてきた」と記されています。
つまり日本人も「野蛮で劣った人間を文明化していることを宣伝」したから、「人間動物園」をやったのだとあえて即断するのであるが、「そんな馬鹿な理屈があるか」と言いたい。
そして最後は、次のように言いきるのだ。
―――番組では上記のような史料や研究者への取材により、日英博覧会でのパイワンの人びとの集合写真に「人間動物園」という表示をしています。
史料とは「日英博覧会事務局事務報告」「第5回内国勧業博覧会の趣意書」、研究者とはブランシャール氏と言うことになるが、NHKはそれらから、「日英博覧会で人間動物園があった」との証拠は得られたと言うのか。
■この大胆な歴史歪曲の責任追及を
証拠が得られたなら、それを具体的に示すべきだが、それをしないのは証拠がないからに違いない。
それであるなら「人間動物園」と誤って表示し、多くの視聴者に誤った印象をもたらした責任を取り、訂正放送を行うべきだろう。
何しろ番組は「人間動物園」なる写真を「日本の台湾統治の象徴」だとまで強調したのだ。視聴者に誤情報を押し付けた責任はただちに取らなくてはならない。
また番組は「悲しい」と嘆く渡英パイワン族の遺族の姿も映し出した。作り話を聞かせて遺族を悲しませた責任も重大である。
「人間動物園」として晒し者にされたとされるパイワン族は二十四名。全員が台湾南部のクスクスと言う村の人々だが、英国での待遇はとてもよかったため楽しんで来たと村で伝えられているそうだ。もちろん「人間動物園」と言う言葉など伝わっていない。
NHKの責任は重大でも、それが追求されなければ責任が果たされることはない。
「JAPANデビュー」の歴史歪曲問題はNHKの傲慢なる視聴者軽視、さらには反国家・国民行為に走る裏切り体質の問題でもある。よって番組の責任追及は、NHKの存在自体を見直す契機となり得ると思っている。
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印象操作は明白だー中山元文科相へのNHK回答分析
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-761.html より
■NHKの回答分析で分かる歴史捏造
衆議院議員で「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬氏が「NHKスペシャル/シリーズJAPANデビュー」(第一回『アジアの一等国』)について「偏った視点で制作されていると尋常ならざる批判が巻き起こっている。それは世紀をこえる日本・台湾国民双方の市民交流にまで、拭いがたい不信感を及ぼしたからに他ならない」とし、この番組に関する質問状を福地茂雄NHK会長に送付したのは四月二十八日。
これに対し、福地会長に代わって番組の責任者である河野伸洋エグゼクティブ・プロデューサーが回答を寄せたのは五月十一日。
もちろん回答は番組に一切の問題はないというもの。問題だらけなのに「問題なし」と強弁するのは不誠実。だから回答には自ずと不誠実さが滲み出ることになる。
NHK側はこの国会議員からの問いかけに対し、そのような回答で対応終了としたつもりだろうが、視聴者ばかりか議員までも愚弄する傲慢姿勢をせっかく露呈したばかりか、その傲慢さで自らの歴史捏造を実証したようなものである以上、その回答なるものを内容分析をしないわけには行かない。
本ブログではすでにその一部の検証を一度行っている。
【参考】「人間動物園」―中山元文科相の追及でNHKの歴史捏造が明らかに
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-755.html
■「強制的に実施されたような報道」を追及
そこで今回は第二回目の検証となるが、ここで取り上げたいのは中山氏の次の質問に対する回答だ。
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三、台湾で実施された「改姓名」(一九三七年)が、強制的に実施されたように報道したが、強制を示す資料があったか否か。
(イ) 示す資料はある。
(ロ) 示す資料はない。
(ハ) 調べていない。
四、公務員は、しかたなく「改姓名」をしたと報道したが、全公務員が「改姓名」をしたことを示す資料があったのか否か。
(イ) 示す資料はある
(ロ) 示す資料はない。
(ハ) 調べていない。
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「改姓名」とは何か。それは日本統治下の台湾で台湾人が日本人名に変えることだが、番組は次のようにアナウンスした。
――ー小林(躋造・台湾総督)は皇民化というスローガンを掲げます。皇民化とは、天皇中心の国家主義のこと、台湾人を強制的に日本人へと変える政策でした。
―――皇民化政策は人の名前の変更にまで及びました。同じ時期、朝鮮半島では、新たに氏を創る「創氏改名」が行われ、台湾では「改姓名」が始まりました。
そこへ台湾人男性が登場し、歴史証言を始める。
「私、林(りん)です。それで、僕のお父さんは林(はやし)という名前で改姓名したかった。それは許可出ない。台湾の林という姓は必ず中林(なかばやし)だとか、大林(おおばやし)とか、小林(こばやし)というもう一字付け加えないといけない」
次いで女性も証言する。
「私は黄(こう)で、廣内ね。この字(黄)を残すように、自分の考えをね、それが多いんです」
そこでインタビューをする濱崎憲一ディレクタから「それはどういう思いなんですか」と聞かれ、こう答える。
「昔の姓を残したい。昔の自分の姓を残したい。改姓名は結局、公務員の方ね。職場に就いている人は改姓名すると昇級の条件になってしまうんです。それで仕方なしに、みな改姓名するんです」
皇民化政策をあくまでも「強制」政策とはっきり断じた上で、その皇民化政策は「人の名前の変更にまで及んだ」と説明しつつ、二人の男女に当時の状況を証言させているわけだが、私はこれを見て「おかしい」と思った。
なぜなら改姓名は強制ではなく、許可制だったからだ。台湾人が望んでも簡単に許可されるものではなかったのである(終戦時点で許可されたのは人口の一〜二%)。
実際に二人の証言を聞いていても、決して強制されたことへの被害証言などではない。希望通りの改姓名ができなかった、昇進するためには許可申請するしかなかったとの「不満」を語っているだけだ。
しかし改姓名が許可制だったと知るごくごく小数の視聴者以外は、日本名の押し付けと言う人権無視の強圧政治が行われたとの印象を受けたのではないだろうか。なぜならアナウンスで「台湾人を強制的に日本人へと変える政策」と強調し、その文脈で改姓名を語っているのだから。
だからこそ中山氏は質問状で、「台湾で実施された『改姓名』(一九三七年)が、強制的に実施されたように報道したが、強制を示す資料があったか否か」と聞いたのだ。
当然だ。番組は「強制的に実施されたように報道した」のである。
■番組の印象操作はこれで明らかだ
これに対するNHKの回答はこうだ。
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三と四の「改姓名」に関して回答させていただきます。
朝鮮半島の「創始改名」と台湾の「改姓名」は、1940年2月11日に実施され、ともに皇民化運動の一環でした。
台湾の「改姓名」は許可制でした。番組では「強制的に実施」したとはコメントしていません。インタビューでも、林(リン)さんが、林(はやし)と言う名前で改姓名したかったが、「それが許可(が)でない」と言っています。
また「(公務員)が改姓名」したとはコメントしていません。これもインタビューで、「(公務清は)改姓名すると昇進の条件になってしまうんです」、それでしかたなしに改姓名した、と発言者の周辺の事情として伝えています。
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「許可制だった。強制的とはコメントしていない」とは不誠実で欺瞞に満ちた回答だ。なぜなら番組は「許可制」とは説明していない。
回答で台湾の「改姓名」は「許可制でした」と書いているを見ると、朝鮮では「強制」だったとの認識のようだ(こちらも届出制で強制ではないが)。それならばなおさら番組の中では「許可制」と協調して区別を設けるべきだったが、それを敢えてせず、あくまでも朝鮮の「創始改名」と同列に並べたのだった。もう一度番組内のアナウンスを確認しよう。
「同じ時期、朝鮮半島では、新たに氏を創る「創氏改名」が行われ、台湾では「改姓名」が始まりました」
「強制とは言っていない。しかし強制だったと密かに刷り込もう」と言うのがこの番組が行った印象操作、歴史歪曲である。もちろん「おかしい」との異論が来れば、「強制とは言っていない」と言って逃げるだけなのだ。
逃げるなら逃げるがいいだろう。その逃げる姿を多くの国民の前にさらせばいいのだ。
【追記】以下の動画では番組で改姓名について語らされた林氏が、NHKの取材状況を証言している。
3/3【台湾取材レポート】林福泉氏に聞く[桜 H21/5/6]
http://www.youtube.com/watch?v=sMc43uBIvr0
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神社参拝強制はあったか―中山元文科相へのNHK回答にウソの可能性
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-762.html より
■参考文献に利用された著者は不本意だろう
前回に引き続き、中山成彬衆議院議員(元文科相、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長)の「NHKスペシャル/シリーズJAPANデビュー」(第一回『アジアの一等国』)の偏向問題に関する質問へのNHKの回答を分析したい。
台湾で戦時中に行われた皇民化運動と言えば、よく指摘されるのが「神社参拝の強制」。番組がこれに触れないわけがなく、次のようなアナウンスを流した。
―――皇民化政策は台湾人の心の中にまで踏み込んでいきます。台湾全島に日本の神社を次々に建て、人々に参拝を強制します。
―――そして台湾人が拠り所にしてきた宗教への弾圧が始まります。道教寺院や廟の参拝を制限、建物の取り壊しも始めます。この廟を管理する鄭啓松さんは、少年時代の出来事を克明に覚えています。1938年、地域の寺院や廟に奉られていた神々の像が集められ、全て焼かれました。
そこで中山氏はこう質問した
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七、台湾で、神社参拝を強制して、道教を禁止したと報道したが、それを裏付ける資料があったか否か。
(イ) 裏付ける資料はあった。
(ロ) 裏付ける資料はなかった。
(ハ) 調べていない。
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これに対するNHKの回答は次の如し。
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番組では「台湾全島に日本の神社を次々にたて、人びとに参拝を強制します。そして、台湾人がよりどころにしてきた宗教への弾圧が始まります。道教寺院や廟の参拝を制限。建物の取り壊しも始めます」とコメントしています。
人びとに参拝を強制したことを示す資料は、「台湾時報」(台湾総督府内台湾時報発行所)があります。また、道教寺院や廟への参拝を制限したことを示す資料として、当時の日本人郡守が記録した「台湾寺廟整理覚書」があります。
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当時着手された寺院や廟の統廃合のことを「寺廟整理」と呼んだ。この「台湾寺廟整理覚書」なる記録とは、新竹州中壢郡の郡守として郡内の寺廟全廃を指揮した宮崎直勝氏は手記『寺廟神の昇天』(東都書籍、昭和十七年)のことのようだ。同書の表紙には「新領土の宗教対策」との副題があるが、扉にある副題は「台湾寺廟整理覚書」だ。
それによると宮崎氏は、台湾の廟の信仰は原始的で迷信、利己本位と看做した上で、文化の向上、健全な社会思想の向上を阻害し、廟の財産管理、収益の分配を巡って日常的に紛争を惹起する等々の理由で整理を主張し、実行に移すが、こうした寺廟整理は「異民族の宗教問題に触れれば殖民政策は成功しない」「無鉄砲だ」と散々批判を浴びて下火となったため、私は決して無鉄砲なことをしたのではないと誤解を解くべく書いたのがこの本だった。
これを読んでも分かるが、宮崎氏が試みたのは、近代国民社会を建設する上で、不合理と思える信仰の在り方を改変することだったようだ。この良し悪しを論じても詮無いことだと思う。文明開花期においては旧文化が淘汰されるが、その淘汰を担当したのがこの官吏だったと言うことだろう。同書によると、台湾人の識者たちは整理に賛成していたそうだが、文明開花期とはそう言うものではないか。
「台湾文化の名誉のため」にこれを書いたと記しているのも、きっと寺廟整理がそのような考えで行われたからだろう。しかしそれから六十数年後、この本はNHKによってかえって「宗教弾圧」の証拠として使われてしまったのだから、著者としては甚だ不本意に違いない。
この寺廟整理は宮崎氏ら一部役人によって一部地方だけで行われたもので、三七年に始まったが、台湾総督府部内はおろか、東京の政界でも評判が悪く、四一年一月には着任して間もない長谷川清総督によって中止されている。ちなみに日本統治時代、寺廟の数はこの一時期に微減したのを除けば、おおよそ毎年増加している。
こうした事実にも触れないから、この番組の内容は偏向していると非難されるのだ。
■案の定、河野氏は回答を拒否
さて「人びとに参拝を強制したことを示す資料は、『台湾時報』(台湾総督府内台湾時報発行所)があります」と回答にある。
私はこれまで台湾で多くの日本語世代に対して「神社参拝の強制はあったか」と聞いてきたが、答えは「ない」「知らない」と言うものばかり。学校行事で戦勝祈願の参拝はあったそうだが、あれは内地でも見られたもので、当時の日本ではごくごく普通の「習慣」で、一般感覚では「強制」ではなかろう。
ところが『台湾時報』は「強制があった」ことを示していると言う。そこでその真偽を知るべく、五月二十二日、視聴者コールセンターに電話を掛け、質問した。
「『台湾時報』の何年何月号の何と言う記事に何と書いてあるのか」と。
応対に出た「責任者」(スーパーバイザー)は「中山さんが(NHKの)福地会長に宛てた質問への回答なのだから、中山さんに聞いてもらったらどうか」「直接と番組に葉書で聞いて欲しい」と言って取り合わない。
そこで私は「あなたが私に代わって番組に質問してください」と頼んだ。相手は「質問に答えてくれるかは分からない」と何度も私に念を押しながら、結局は回答を書いた番組の責任者である河野伸洋エグゼクティブ・プロデューサーに聞いてくれることになった。
それからしばらくして再びその責任者に電話をした。彼はびくびくし、「最初に私は、答えがあるかどうかわからないと言ったよね」とまた念を押してくる。
私の「『台湾時報』の何年何月号の何と言う記事に何と書いてあるのか」との問いに対する河野氏の回答は、「これは中山氏と福井会長とのやり取り。答えが欲しければ手紙で質問を。それに答えるかどうかも含め、検討する」と言ったものだったらしい。
私が「何を知りたいのかも知りたい」(質問の目的は何か)とも言っていたそうで、そのことも書けとアドバイスされた。
「私は誠実にあなたの質問を伝えた」と何度も強調する責任者。「河野氏の態度が不誠実だからと言って、私を責めないで」と言いたいのだ。
それはご安心ください。河野氏が回答できずに拒否することは最初から予測していました。