第15回目となる日本李登輝友の会の「台湾李登輝学校研修団」は、5月7日から11日の4泊
5日の日程で行われ、5月16日から本誌で本部事務局員の佐藤和代さんによるレポートを断
続的に掲載してまいりました。
事情により中断しておりましたが、7月29日から再開しました。これまでのレポートは下
記のとおりです。8回目となる今回は5月10日に行われた謝雅梅先生の講義レポートです。
なお、次回の第16回台湾李登輝学校研修団は、11月3日(木・祝)〜7日(月)に実施す
る予定です。近々、ご案内いたします。ふるってご応募ください。
・第1回 5月16日 http://melma.com/backnumber_100557_5184997/
・第2回 5月18日 http://melma.com/backnumber_100557_5187069/
・第3回 6月3日 http://melma.com/backnumber_100557_5200121/
・第4回 6月6日 http://melma.com/backnumber_100557_5202526/
・第5回 7月29日 http://melma.com/backnumber_100557_5248773/
・第6回 7月30日 http://melma.com/backnumber_100557_5248834/
・第7回 7月31日 http://melma.com/backnumber_100557_5249644/
◆ 第4日目(5月10日) 謝雅梅先生「台湾人と日本人」
澎湖島から戻ったこの日は、黄昭堂先生、許世楷先生、黄智慧先生の講義が続き、最終
講義はエッセイストであり、現在、台湾で教鞭をとられている謝雅梅先生です。
先生の台湾と日本に関するご著書は7冊に及び、『日本に恋した台湾人』『いま、日本に
伝えたい台湾と中国のこと』『台湾論と日本論』等々あります。
先生のご講義は、台湾人と日本人が見た「海角七号」、日本人から見た台湾・台湾人、
台湾人から見た日本・日本人、李登輝元総統の願望、台湾と日本との新しい関係につい
て、先生ならではのエピソードも交えて明るい展望が開けるものでした。
◆台湾人と日本人が見た「海角七号」
≪2008年に上映された「海角七号」は大ヒットしましたが、この映画に対する著名人の感
想は様々でした。黄昭堂先生は「日本統治後の実らない恋に涙した」とおっしゃり、小林
よしのりさんは「言葉がいろいろ出てくる(台湾語、北京語、原住民語)のに興味が湧い
た」。一方で「日本統治時代の話が頻繁に出てくる(なぜ植民地時代のことを描くの
か)」という台湾人(許介鱗さん)からの批判もありました。
映画監督の制作目的は?教師と学生の恋愛の結末とは? そこには答がありません。そ
れは一つの時代の終わりを表し、現代のラブストーリーを描いて新しい日台関係を表しま
した。つまり、その二つを描きたかったのではないかと思われます。≫
◆日本人から見た台湾・台湾人
司馬遼太郎先生の『台湾紀行』、この本は1993年に出版された、日本に台湾を知らしめ
た最初の本といえるでしょう。謝先生は出版当時、日本にいて大変衝撃を受けたそうです。
その衝撃とは本の内容に対する「違和感」。それは司馬先生が書かれたことに対する、
理解しがたく納得できかねることだったそうです。
例えば「この島の平和と繁栄には基本的不安がある」(51P)、「敗戦は日本の運命だけ
でなく、台湾系日本人の人生も変えた」(58P)、そして司馬先生と李登輝総統(当時)と
の対談の中にある「台湾人の悲しみ」。謝先生は「基本的不安とは何? そんな批判は聞
きたくない」「台湾人はどうして悲しい?」と思ったそうです。謝先生は次のように話さ
れました。
≪私は日本について勉強しましたが、日本の会社に入り台湾について質問され、何一つ知
らないことに気付きました。それは台湾の歴史を教えない国民党教育のせいでした。その
後、勉強して「基本的不安」「台湾人の悲しみ」について分かるようになりました。李総
統による政治で民主化が進みましたが、残念ながらこの状況は乗り越えていないように思
います。≫
また、老台北こと蔡焜燦先生との話で「でこぼこの道」があります。謝先生も台湾にい
たころは気付かなかったそうで、後に台北の街がいかにでこぼこの道であるかを知りまし
た。≪これは「公精神の欠如の表れ」です(自分の都合で店頭の道を盛り上げたりする!)。
台湾人にはまだまだ公精神が足りない、学生にも教えています。≫
≪次に日本に台湾を伝えたのは、小林よしのり先生の『台湾論』でしょう。漫画で台湾と
日本の歴史、台湾の食べ物・お茶、台湾人の親日感情、日本の若者の衝撃について描かれ
たため、多くの若者に受け入れられました。『続・台湾論』が出版されることを期待して
います。
日本の若者の衝撃とは特に「日本語世代の叱り」にあります。蔡焜燦先生が代表的と言
えます。蔡先生世代(日本語世代)は日本精神をしっかり教えられました。ですから「日
本人、自信を持ちなさい」と仰います。そして最後は「日本人、しっかりしなさい」と叱
ります。今の日本の若者の育っている時代とは違うので、衝撃になります。しかし、この
「叱り」は愛情の表れであり、「日本よ、もっと良くなってほしい」という願いです。こ
こに日台の大切な繋がりがあると思います。≫
≪在台日本人である青木由香さんの『奇怪ね』の台湾人・日本人の観察は面白いものです。対にして比較しています。
帽子(日本人)−傘(台湾人)、 長身・足が曲がっている(日)−体のバランスがよ
い(台)、 無表情(日)−笑顔(台)、 オナラを我慢(日)−オナラを我慢しない(台)、
トイレットペーパーを流す(日)−流さない(台) 等々。
細かく言うと、それは人それぞれですが、こうした比較も参考になるでしょう。≫
◆台湾人からみた日本・日本人
≪日本語世代の方々(友愛会−美しい日本語を学ぶ集まり、老台北、謝先生の父上)は今
の日本人を見て「誇りや自信が足りない」と言います。
一方、台湾の若者は日本のイメージとして、「礼儀正しい」「清潔」「物価が高い」「武
士道」「忍者」「男性が格好いい」「女性が可愛い」「徳川家康」「嵐」「浜崎あゆみ」
等々。「南京事変(南京大虐殺)」もあります。これは歴史教育によるものですが、私は
「いろいろな本を読みなさい」「日本、中国それぞれの国の事情がある」「本当かどうか
分からないこと」と教えています。
また台湾番組で「全民最大党」というのがあり、面白がって日本の天皇陛下のモノマネ
をしていました。他国の文化を理解しないでマネをする、これはいけないことです。日本
の精神的象徴をマネしてはいけない。≫
後にTV番組制作者が謝罪していましたが、謝先生はこれも学生を教える教材、機会と
とらえて指導したそうです。
謝先生の観察を披露されました。
≪すぐ謝る(日本人)−言い訳をする(台湾人)←言い訳はよくない、学生にもいつも教
えています。
喋るよりも書く方が好き(日)−書くよりも喋る方が好き(台)←私はどちらかという
と書く方が好き、日本人に近いかもしれません。
八重歯(日)−歯周病(台)、自己主張が弱い(日)−自己主張が強い(台)、自虐感情
が強い(日)−批判感情が強い(台)、A型が多い(日)−O型が多い(台)、几帳面・
神経質(日)−楽観的・いい加減(台)、職人性格(日)−営業マン性格(台)、長期計
画(日)−目先の利益ばかり(台)、行動よりも計画(日)(練った末の結末はあまり重
要視していないような。日本人は少々考えすぎに見えます)−計画よりも行動(台)
やってから考える。後先考えずに店を出し上手くいかないとすぐ畳む、という傾向もあ
ります。≫
◆李登輝元総統の願望
≪李登輝先生は「我是不是我的我」(私は私でない私)という言葉をよく使われます。そ
して実践されています。この言葉を、小林よしのり先生は「私的な存在を超えて、公とし
ての存在になれ」と解釈されています。「公精神」です。これが台湾人には欠けている。
私は授業でもよく話しています。≫
◆台湾と日本との新しい関係
≪日本は敗戦後、台湾から離れてしまいましたが、最近は再び日台が近づいてきたように
思います。
特に台湾大地震と今回の日本の大震災において、両国の行動に表れています。日本の大
震災は台湾にとっても他人事ではないのです。台湾は義捐金も応援メッセージも多数送っ
ています。私の学生さんも自主的に募金活動等をしています。
1999年9月21日に台湾に大地震が起きて甚大な被害が生じた時、日本はその日のうちに救
援隊が飛行機で飛び、台湾に入り、救援活動をしました。救援隊の数は145名で一番多く、
また義捐金合計15.6億台湾元のうち80%が日本からのものでした。「日本人は台湾人を助
けた」、台湾人はそのことをよく知っています。
台湾と日本の関係は、「お互いの苦労があって初めて、互いの真の感情が分かってくる」
といえます(台湾語でそういう言葉が一言であるそうですが、筆者は聞いても分かりませ
んでした)。
今回の日本の震災について、台湾からの義捐金は世界一ですし、支援物資も一番と言え
ます。そして、台湾の自由時報は4月17日付けの一面で「日本加油」(日本がんばれ)と報
道しました。 日本の『週刊新潮』は「ありがとう、台湾の皆さん」という記事を掲載し
ましたし、日本人がお金を出し合って「ありがとう、台湾」という意見広告を台湾の新聞
数社に出しました。
その件についても台湾の新聞は報道しています。台湾では小学生も「日本加油」という
メッセージを出しています。
こうして台湾と日本は苦難に遭った時にお互いに助け合う、そういう新しい関係に入っ
てきています。≫
そう仰って謝先生は講義を締めくくられました。
謝雅梅先生は講師の中でも若い世代で、現代台湾人に近い感覚や疑問をもって、台湾と
日本を様々な体験をしながら学び、それを本や講義や学生との交流で伝えられています。
こう言うと失礼かもしれませんが、優しいお姉さんが日本人と台湾人の懸け橋になって
下さっているような感じがしました。最初から最後まで本当に楽しい講義でした。
(つづく)