台湾「大罷免戦争」のゆくえ  早川 友久(笹川平和財団研究員)

【笹川平和財団「SPF China Observer」第74回:2025年7月18日】https://www.spf.org/spf-china-observer/document-detail074.html

*段落が長いところは改行していることをお断りします。

(本誌編集部)

一、はじめに

本年7月26日、台湾では24の選挙区において国会議員に相当する立法委員の罷免を問う投票が行われることとなった[1]。

8月23日にも2選挙区で行われることが決まり[2]、合わせて26の選挙区で罷免投票が行われることになるが、対象となる立法委員はすべて最大野党の国民党所属である。

これほど多くの選挙区で一斉に罷免投票が行われるのは初めてのことであるが、仮に罷免が成立すれば3か月以内に補選が行われ、その結果によっては「ねじれ」となっている立法院の勢力図が塗り替わる可能性がある。

現在の立法委員の任期は昨年2月からであるが、野党である国民党は、民衆党とともに「反民進党」の姿勢をあらわにし、与党提出の改正法案や人事案にことごとく反対する一方、野党提出法案の強行採決や国家予算の大幅な削減・凍結を進めてきた。

どの国であれ内政や外交の混乱が安全保障に直結するのは自明であるが、台湾ではそれがより顕著であり、罷免の結果が台湾の将来を大きく左右しかねない。

本論では台湾の罷免制度について紹介するとともに、今般の大規模な罷免投票が行われることになった背景を論じる。

二、台湾の罷免制度

台湾の罷免制度を規定した「公職人員選挙罷免法[3]」では、罷免の対象となる「公職人員」として立法委員のほか、県市議会議員、小規模自治体である郷や鎮の民意代表、県長(知事)や市長、そして自治体の最小単位である里長などを列挙している。

言い換えれば、選挙で選出された人物はすべて罷免制度の対象になるということだ[4]。

罷免投票が実施されるまでの手続きや条件は共通で、次に述べる3段階の条件が満たされれば罷免が成立し、対象者は失職するとともに補欠選挙が行われることになる。

なお、就任後1年が経過するまで罷免は提案できないと定められている。

【第一段階(提案)】罷免対象となる公職人員の選挙区において、選挙人名簿に記載された有権者数の1%以上の署名を中央選挙委員会に提出。

審査を通過すると罷免の「提案」が認められたことになり、第二段階の署名集めに進む。

【第二段階(署名)】第一段階の「提案」成立後、60日以内に選挙人名簿に記載された有権者数の10%以上の署名を集め、中央選挙委員会に提出する。

署名数が規定を満たしていれば罷免投票の実施が確定し、60日以内に罷免投票が行われる。

【第三段階(投票)】投票の結果、賛成票が有権者数の4分の1以上に達し、かつ賛成票が反対票を上回った場合、罷免が成立し対象者は失職する。

また、罷免成立の場合は3か月以内に補欠選挙が実施されるが、失職した被罷免者は今後4年間、同選挙区から立候補することができない。

こうした罷免制度に対しては、いくつかの批判の声がある。

罷免のハードルが低すぎるという主張や、立法権を有する立法委員に対して罷免を求める制度が存在することについて疑問を呈する声である。

罷免のハードルが低すぎるという主張については、ときの多数党に左右される。

つまり、同法は2016年に改正されるまで、罷免が成立するには賛成票が有権者の2分の1以上であり、かつ有効投票数の2分の1以上と定められ、罷免のハードルが比較的高く設定されていた。

2015年に国民党所属の立法委員に対する罷免が成立しなかったことを契機に、「罷免成立までのハードルが高すぎる」として2016年に多数党となった民進党が罷免の成立条件を「賛成票が有権者数の4分の1以上に達し、かつ賛成票が反対票を上回った場合」に引き下げた経緯がある。

また、本年2月には、現在の多数党である国民党が民衆党とともに改正案を提出し、第二段階の署名を集める際、署名者の国民身分証の表裏コピーを添付する法案が成立した[5]。

この改正については、すでに野党に対する罷免を求める声が上がっていた時期の改正だったことから、野党が保身のために改正案を進めたのではないかとの批判や、罷免手続きの複雑化は、有権者の罷免を求める権利を毀損するなどの批判の声が出た。

このように、罷免制度の法改正には、その時々の与党の思惑が働いていることがうかがえる。

また、立法委員に対する罷免制度の存在について、例えば、日本では選挙で選出された民意代表については、首長と地方議員に対してのみ罷免が可能であり、国会議員に対する罷免制度は存在しない。

米国も、一部州議員に対する罷免制度は存在するが連邦議員は上下院とも制度が存在せず、欧米やアジアの民主国家においては、英国に有罪判決を受けた国会議員に罷免を求める制度があるほかは、特段の理由がなくとも国会議員に対し罷免を提起できる制度が存在するのは台湾のみであり、世界でも稀であるのは確かだ。

ただ、台湾では中華民国憲法において、第17条で「人民は、選挙、罷免、創制、複決の権利を有する」と定めており、罷免を提起できることは民主主義における権利の保障との主張が多く[6]、立法委員に対する罷免制度の廃止を求める声は聞こえてこない。

罷免制度は、有権者の政治参加を担保するとともに、直接民主制を促進するものであるという一定程度の評価を台湾社会が有しているといえる。

三、過去の例

https://www.spf.org/spf-china-observer/document-detail074.html

1)罷免投票実施時期 2)立法委員 3)所属政党 4)選挙区 5)当選時の次点候補との得票数差(得票%差) 6)有権者数 7)罷免賛成票8)罷免反対票 9)罷免投票率 10)結果

1)2017年12月 2)黄国昌 3)時代力量 4))新北市12区5)10,607票(7.8%) 6)255,551人 7)48,693人8)21,748人 9)27.75% 10)不成立

1)2021年10月 2)陳柏惟 3)台湾基進 4)台中市2区5)5,073票(2.3%)6)291,122人 7)77,899人 8)73,433人 9)51.72% 10)成立

1)2022年1月 2)林昶佐 3)無所属 4)台北市5区5)6,192票(2.97%) 6)244,748人 7)54,813人8)43,340人 9)41.93% 10)不成立

別表1 現行制度下で、立法委員に対する罷免投票が実施された3例出所:中央選挙委員会発表のデータを元に筆者作成

前述のとおり、2016年に罷免成立のための要件が引き下げられたことで、罷免の提案や成立が容易になった。

2016年以降、現在までで、立法委員に対する罷免投票が実施された例(第二段階まで通過した例)は3件あり、結果はそれぞれ不成立2、成立1であった。

ただ、罷免制度のハードルが下げられたとはいえ、過去10年ほどの間に、罷免投票実施までこぎつけた例が3件しかないことと比べると、今般26選挙区で罷免投票が実施されることはかなり特異であることがわかる。

唯一、罷免が成立した例は2020年の陳柏惟であるが、そもそも陳は立法委員選挙の際、次点の国民党候補とは得票率でわずか2.3%の差しかなかった。

同年行われた林昶佐の罷免案では、24万人以上の有権者を抱える選挙区で、わずか数千票届かず罷免成立を逃れたが、林昶佐の場合も立法委員選挙において次点候補と2.97%の差で辛勝している。

わずか2例であるが、これらのケースから見ると、立法委員選挙の際の得票が次点候補者と僅差だった選挙区では、罷免投票においても賛成と反対が拮抗することが予想される。

三、罷免運動の発端

さて、そもそも民進党による「大罷免戦争」がこれほどまでに大規模に展開された要因は立法院における「ねじれ」にある。

2024年1月13日に行われた選挙の結果、総統は民進党の頼清徳が勝利したのに対し、立法院では議席数113のうち、過半数の57議席以上を得た党はなかったものの、獲得議席の多い順に国民党52、民進党51、民衆党8、無所属2となり、国民党が野党ながら多数党となった[7]。

さらに、第3党となった民衆党については、立法院開会前には「民衆党は自らの存在価値を高め、キャスティングボートを握るため、提出された法案ごとに賛成と反対を繰り出す戦略的な動きをするのではないか」と予測する識者が多かったが、結果的に民衆党は開会当初から国民党とともに共闘する「藍白合[8]」の道を選び、民進党に対抗する姿勢を明確にした。

そのため、立法院では会期当初から十分に審議がなされない法案が、野党の強行採決によって成立する事態が続出し、ときには与野党が互いに議場を封鎖して議事の進行を妨害するなど、議会運営が停滞する状態さえ起きたのである。

例えば、2024年5月に成立した立法院の権限を強化する改正法案では、総統が立法院において定期的に報告したり、立法委員からの質問に答弁しなければならないなどの義務が盛り込まれたが、のちに法改正された内容の大部分が憲法裁判所に相当する大法官会議で「憲法が定める権力分立の原則に反する」として違憲との判断が下され、違憲部分が即日失効した。

他にも、罷免の条件を引き上げる改正法案、中央政府予算を削減し地方政府に付け替える財政法案、違憲判断のハードルを上げる憲法訴訟法の改正案など、有権者の間でも賛否が二分する法案が次々と成立していった。

一方で、昨年夏には、任期満了に伴い、憲法裁判官にあたる大法官7名を頼清徳総統が指名したところ、立法院で野党が同意せず、人事案が流れたこともあった。

このような、十分に審議を尽くさず、過半数を占めていることを背景に採決を強行する野党のやり方には有権者の間から不満の声が上がり、昨年5月には立法院周辺で「青鳥運動」と呼ばれる抗議集会が開かれた。

筆者も集会の様子を観察するために何度か足を運んだが、参加者は若者たちが多く、ステージ上で語られる演説を聞いていると、中国との不透明な関係が囁かれる[9]とともに、国民党の立法委員を実質的に指揮して強行採決を導いたと目される立法院党団総招集人の傅●■や、党主席の柯文哲に替わって立法委員を主導していた民衆党の黄国昌(当時立法委員、現民衆党主席)の二人に対する批判の声が突出して多かった印象である。

(●=山偏に昆 ■=草冠に其)

ただ、十数年前の太陽花(ひまわり)学生運動の集会と比べると、大きな国民的運動になるような熱気やうねりは感じられず、実際にこの青鳥運動の影響は限定的に終わっている。

ただ、野党が多数の状況が続くかぎり、現状をいつまでも打開することにはならず、この時期からすでに立法委員就任後1年が経過して罷免の提案が可能になる2025年2月を期して罷免運動を展開すべきだという声が社会団体や民進党関係者の間からチラホラと出始めていた。

国民党立法委員に対する大規模な罷免の発動は、2025年1月4日、民進党立法院党団総招集人をつとめるベテラン政治家の柯建銘が行った記者会見だった。

柯建銘は立法院における混乱や、野党の横暴に対し、国民党の選挙区選出の立法委員41名すべてを罷免する、とぶち上げた[10]。

当初、この発言は柯建銘の暴走と受け止められ、賛同する声は大きくなかったが、同月に野党が国家予算の大幅削減や凍結を強行したことから、野党に対する不満は一気に広がりを見せたのである。

社会団体などが国民党立法委員に対する罷免提案のための署名活動を始めると、国民党側も「悪しき罷免には罷免で対抗する」と反撃の姿勢を見せた[11]。

これによって与野党の「罷免大戦争」が本格化したのである。

結論から言うと、7月10日現在、国民党立法委員を対象にした罷免投票実施のための署名集め(第二段階)は31の選挙区で中央選管に提出され、すでに審査が終わった26の選挙区で罷免投票が実施されることが決まっている(5選挙区については審査中)。

国民党はもともと「悪しき罷免には罷免で対抗」をスローガンに掲げていたが、結果的にひとつの選挙区でも罷免投票実施に必要な署名数を集めることが出来なかった。

一部選挙区では、すでに死亡した人の名前が署名用紙に記入されていたり、国民党首長の自治体では、戸籍などの個人情報が勝手に持ち出されて署名に流用されたとして、国民党関係者が検察に身柄を拘束される事件が複数起きていた[12]。

ある民進党関係者は、2024年10月に行われた基隆市長の罷免投票の際、国民党はあえて大きな動員を行わずローキーに対応したことが功を奏して罷免を不成立にさせた「成功体験」があり、今回の立法委員に対する罷免も同様の対応でうまく躱せるのではないかと楽観視していた結果、署名集めのための初動が遅れ、焦った自治体関係者が禁じ手を使ってしまい逮捕者を出した、との指摘を筆者に語った。

いずれにせよ、今般の罷免投票は歴史的にこれまでなかった規模で行われることもさることながら、対象がすべて国民党所属立法委員という点で非常に特異なものであるといえよう。

四、罷免運動のゆくえ

7月14日に発表された台湾民意基金会の世論調査[13]では、罷免投票が行われる選挙区の有権者を対象にして行ったところ、罷免そのものに対する賛否では、51%が「反対」と答えている。

他方で、「投票に行く」と答えた有権者は69.9%であった。

罷免という手段に対しては反対あるいは疑問を持っているが、罷免対象者に対して罷免賛成か反対かの票を投じる行為が民主主義で保障された権利であるならば投票所に足を運ぶという意識が感じられる。

今般の罷免投票を、台湾内政の大枠のなかでとらえれば、罷免投票の成立が意味するのは被罷免者が立法委員を失職することにとどまる。

仮に民進党が立法院でも与党となることを目標とするならば、罷免成立後、3か月以内に実施される補欠選挙で当選して議席を獲得しなければならない。

そのためには少なくとも6選挙区以上での補選で勝利する必要がある。

また、国民党にとっては、罷免が成立しても、同一選挙区で再び当選すれば、議席数が変動することはない。

つまり、罷免投票はひとつの通過点であり、今後の立法院の趨勢を見極めるには、補欠選挙の結果までを見据えた長期の観察が必要である。

*     *     *

[1] 同日には、秘書給与を搾取した罪で一審有罪の判決が出たため停職中の高虹安・新竹市長の罷免投票も行われる。

また、2025年7月14日現在、国民党所属立法委員を対象にした、さらに5件の罷免手続きが第二段階まで進んでおり、現在選管で審査中である。

[2] 同日には、第3原発の再稼働の賛否を問う国民投票も同時に行うことが決まった。

[3]全國法規資料庫  [https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?pcode=D0020010] [4] 総統、副総統に対する罷免は「総統副総統選挙罷免法」で規定されている。

[5] 7月26日、8月23日に行われる罷免投票については、改正法施行前に罷免の提案が行われたことから、中央選挙委員会は「旧制度のまま実施」と公告した。

[6] 例えば、報導者The Reporter、「大罷免潮後續效應:從罷免立委、倒閣到罷免總統的憲政法治10問」、2025年5月14日(2025年7月16日参照) [https://www.twreporter.org/a/recall-legislators-constitution-motion-of-no-confidence] [7] 2名のうち1名はもともと国民党所属でありながら汚職によって離党した人物、もう1名も親中派で国民党に同調することの多い人物であり、無所属ではあるものの実質的には国民党にカウントされる。

[8] 藍と白はそれぞれ中国語で青と白を意味し、それぞれ国民党と民衆党のシンボルカラーである。

「藍白合」は国民党と民衆党が協力することを指す。

[9 ]自由時報、台北、「立院開議前赴港領旨「代表台灣中央政府」?傅●■這麼説」、2025年2月21日(2025年7月14日参照)(●=山偏に昆 ■=草冠に其)

[10] 中央社、台北、「柯建銘提「雙罷」 改選立法院長、罷免41席國民黨立委」、2025年1月4日(2025年7月14日参照) [https://www.cna.com.tw/news/aipl/202501040079.aspx] [11] 自由時報、台北、「國民黨啓動反制手段 朱立倫:集結黨内力量「反惡罷」」、2025年3月16日(2025年7月14日参照) [https://news.ltn.com.tw/news/politics/paper/1699141] [12] 例えば、中央社、台北、「罷免幽靈連署案 國民黨台中黨部偽造4千[イ分]名冊34人遭訴」、2025年6月27日(2025年7月14日参照) [https://www.cna.com.tw/news/asoc/202506270067.aspx] [13] 台湾民意基金会、「2025大罷免選民政治態度與投票傾向」、2025年7月14日(2025年7月15日参照)[https://www.tpof.org/%e9%81%b8%e8%88%89/%e7%ab%8b%e5%a7%94%e9%81%b8%e8%88%89/2025%e5%a4%a7%e7%bd%b7%e5%85%8d%e9%81%b8%e6%b0%91%e6%94%bf%e6%b2%bb%e6%85%8b%e5%ba%a6%e8%88%87%e6%8a%95%e7%a5%a8%e5%82%be%e5%90%91%ef%bc%882025%e5%b9%b47%e6%9c%8814%e6%97%a5%ef%bc%89/]

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