【抗命】運命に屈しない香港の若者たち

【抗命】運命に屈しない香港の若者たち
「ヴェクトル21」11月号より転載
      

             鈴木上方人(すずき かみほうじん)中国問題研究家

●「抗命不認命」・雨傘革命の精神的支柱

 2014年8月31日、中国人民大会で2017年に行われる香港行政長官直接選挙の指針を発表した。それは、北京が決めた人選の中でしか立候補ができないというものだった。同日、香港では香港の民主化運動の抗議集会が行われた。

 大きな「抗命」の二文字が、看板に掲げられ、それを背景に壇上に上がった陳健民・香港中文大学准教授は「抗命時代」の幕開けを宣言した。若者たちは「抗命不認命」のプラカードを掲げながら呼応する。その瞬間「抗命不認命」は、若者たちの心情を代弁する「雨傘革命」の精神的支柱になったのである。

 中国語の「抗命」という言葉は、「命令に抵抗する」という意味であり、「運命に抵抗する」という意味合いはない。さらに「不認命」とは「運命に従わない」との意味であって、「命令に従わない」という意味ではない。この「抗命」と「不認命」の二つの「命」はそれぞれ「命令」と「運命」という異なった意味を持ち、同列に扱う例はないのだ。

 しかし香港の若者は「抗命」を北京の「命令」に抵抗する決意とし、今まで香港人が甘んじてきた「統治は他人任せ」という「運命」にも抵抗せよ、という不屈の精神も内包しており、これでは確かに「抗命不認命」でなければならなかった。

●従いたくない「中国の一部」である運命

 雨傘革命の中心となる二人の若者は、1996年生まれの黄之鋒と1990年生まれの周永康である。殖民地時代の香港を知らない彼らは、中国に返還直前の香港に生まれ、成長した世代である。彼らにとっての中国とは遠い第三者的存在ではなく、自分の国である。それが彼らの生まれついた運命であり、彼らの従いたくない運命でもあるのだ。

 2011年、北京の命令に応じて香港政府が愛国教育を義務化しようとする動きがあった。愛国教育とは無論、「香港を愛せよ」ではなくて「中国を愛せよ」ということになる。この強引な政策に当時14歳の黄之鋒は政府に強く抗議し、中学生でありながら反政府運動のリーダーとなった。その彼は翌年の2012年に12万人に上る抗議デモを企画し、香港政府総部を包囲して「愛国教育の義務化」を撤回させた勇者でもあるのだ。

●野蛮人がボスである香港人の運命

 人口7百万人の香港には、年間4000万人もの中国人観光客がやって来て、香港のあらゆるところで中国人が溢れかえっている。香港の街には香港人よりも中国人の方が多く目につく。その中国人たちはところ構わずゴミを捨て、痰を吐き、飲食をして、排泄までする。

 どの先進国にも通用する教養と作法を身に着けている香港人からすれば、中国人のこうした行為は野蛮人そのものだった。しかし、その野蛮人たちの国が香港政府のボスなのである。こうした矛盾をかつての宗主国であるイギリスをはじめ、世界の国々は容認をしているが、香港で生きいかなければならない人にとってこの矛盾は耐え難い苦痛になっている。これも若者たちが従いたくない運命なのだ。

●「香港人の権利は中国からの恩賜」

 その運命を一層に受け入れがたいものにしたのは、中国が今年6月に発表した「香港白書」である。白書の中では「香港特別行政区の高度な自治権は固有の権利ではなく、ひとえに中央指導部の承認に由来するものだ」と記され、「香港人の権利は中国の恩賜によるものだ」と言わんばかりの内容であったことだ。

 その白書が香港人の権利の根源であるのならば、当然香港人には自分たちの意向で行政長官を選出する権利などは存在しない。香港人が一人一票の投票する選挙を与えはするが候補になる人間は北京が決める、という香港人を馬鹿にする規定は、若者たちの怒りを爆発させた。

 中国政府は、例え立候補の制限があるにせよ、指導者を選べない殖民地時代よりずっとマシだと自画自賛しているのだが、中国返還前後の香港人の海外移民の大群を見れば、香港人の心がどこにあるのかは一目瞭然だ。そもそもこうした比較は若者たちにとっては無意味なのであろう。なぜならば殖民地時代を知らない彼らが求めているのは人間としての権利と尊厳であり、統治者からの恩賜ではないからだ。

●「大人の知恵」が一文の価値もない

 殖民地時代を経験した香港の大人たちは、世界の人々から政治や社会問題に無関心で自分の利益ばかり追求する人間たちだと思われていた。彼らには自分の運命を自分で決めようとする姿勢はなく、如何に政治に関わることなく自分の世界でだけ楽しみながら生きていけるかが大事なのである。

 このような香港人の生き様はまさに、「認命」(運命に逆らわない)という「知恵」であろう。しかしこうした「大人の知恵」は、若者からすれば「権勢に弱い」、「弱者に冷淡」、「自己中心的」で「正義感と勇気の欠如」に見える。北京にも香港の大人たちにも自分の将来を決めてほしくないというのは、若者たちの「不認命」(運命に従わない)という叫びなのだ。

●真の自由は勝ち取るべきものだ

 運命を他人に委ねるという点が同じでも殖民地時代の香港人には、言論の自由と効率的でクリーンな政治を享受できた。しかし統治者が中国になると言論の自由は失いつつあって、政治は中国の意向のみで動き、権勢の道具に成り下がっている。香港人の自由とは、与えられた自由でしかないことが一層鮮明になってきた。与えられた自由は何時でも回収される可能性があり、真の自由ではない。自由は勝ち取らなければ獲得できないものだ。

 2017年に予定されている行政長官選挙では例え候補者を北京が決めるにしても、今までの間接選挙から直接選挙になるのだから、かなりの前進ではないかと梁振英行政長官が強調している。しかしその言い分は、「以前より大きな檻にいれてやるから満足しろ」というように聞こえる。若者たちが勝ち取ろうとしているのは、大きな檻ではなく、檻の外の自由なのだ。

●中国から離脱する決意

 今のところ、北京は若者たちに妥協する可能性は限りなくゼロに近い。学生たちも風車と戦うドン・キホーテの心情になっているに違いないだろう。彼らは行政長官候補者の縛りを外しても北京からの強権支配から逃れられないという厳しい現実をよく知っている。「それでも我々は頑張る」と若者たちは口々にする。

 中心人物の一人である周永康「香港専上学生聯会」秘書長は、台湾のマスコミのインタビューの中で「香港人は誰もが一国二制度を信じなくなるだろう。我々は勝ち取ろうとするのは民主化ではなく、運命の自決なのだ。」と語った。この中国の運命から離脱する決意は、大きなうねりをともなって、いずれ中国政権を薙ぎ倒す大きな潮流となるだろう。


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