楊 海英(静岡大学教授)
中国によるモンゴル人迫害を描いた『墓標なき草原』(上下巻 岩波書店)は台湾関係
者も必読の名著といってよい。静岡大学人文学部教授で内モンゴル(南モンゴル)出身の
楊海英氏の著書だ。
日本名を「大野旭」と名乗る楊海英氏が台湾を訪れたとき「台湾から中国を眺めると、
私の故郷内モンゴルと似ている」として、産経新聞に「台湾と内モンゴルの悲哀」と題し
て寄稿、次のように指摘された。
≪日本の敗退後に入ってきた中共の八路軍は規律が悪く、暴虐を尽くした。国民党軍が台
湾人を殺戮(さつりく)した「二・二八事件」と性質は同じだ。1960年代になると、過去
に「対日協力した罪」を口実にモンゴル人は大量虐殺されたが、台湾では圧政が敷かれ
た。どちらも外来国家がもたらした悲劇だ。≫
最近また台湾に行かれた楊海英氏は、台湾と朝鮮半島のかかわりについて静岡新聞に
寄稿した。朝鮮戦争のときに駆り出されて前線に送り込まれた中国の「義勇軍」兵士たち
は、「共産党の心中」を見破って積極的に捕虜となり、中国ではなく台湾への渡航を望ん
だという。
中国の共産党軍はチベット人やモンゴル人を迫害し、台湾に逃げ込んだ国民党軍は台湾
人を迫害した。「悲劇」をもたらしたその体質は共通している。
楊海英氏の寄稿を読んでいて、最近、元国防大学学長で空軍大将が「国軍と中共軍は理
念が異なるが、中華民族統一のため、目標は一致している」と発言したことを思い出し
た。民主化が進み台湾化が進んでいると言われる台湾に、未だにその奥深く「祖国中国」
が巣食っていることに慄然とし「中国国民党軍の心中」を改めて知らされた。
また最近、馬英九総統は和平協定に関して「台湾海峡両岸が交わした取り決めのいずれ
も、広義の和平協定だ」と発言した。「私も台湾人」と言いつつ、こういうなし崩し的な
発言をする馬氏に「中国国民党の心中」を感ずる。
楊海英教授が中国共産党が作り出す「独特な文化現象」から目が話せないと同様、日本
人としては台湾の馬英九政権が作り出す「独特な文化現象」からも目が離せない。
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朝鮮半島と台湾─刺青が語る現代史 楊 海英(静岡大学教授)
【静岡新聞:2011年2月9日「時評」】
金正日総書記が死去し、朝鮮半島が再び世界に注目されていた昨年の暮れに、私は中華
民国の台湾を訪れた。台湾も朝鮮半島と少なからぬ関わりを有してきたので、その一端を
探ってみようと旅をしたのである。
蒋介石総統の中華民国国民党政府は大陸での支配を失ってからは、日本の植民地だった
「美麗島」(フォルモサ)とも称される台湾に1949年に渡った。翌年には朝鮮戦争が勃発
し、アメリカ主導の国連軍と中国共産党軍が半島でまみえあった。中華民国はアメリカ側
に協力し、中国の国共内戦が鴨緑江を越えて諸国を巻き込んだ様相を呈するほどだった。
中国が派遣した「義勇軍」も大半は元々国民党側に従属していた軍隊で、共産党陣営に
寝返ってまもない人々だった。南国の貴州省や四川省、それに北の内モンゴルに駐屯して
いた旧国民政府軍の兵士らを不穏分子と見なしていた中国政府は彼らを人海戦術の消耗品
として近代戦争の渦中に投入したのである。共産党の心中を見破った兵士たちは逃亡し、
積極的に国連軍の捕虜となっていった。
53年に停戦協定が結ばれた後に、捕虜交換も行われたが、中国義勇軍の捕虜たちの3分の
2を占める1万4000人が大陸ではなく、台湾への渡航を希望したのは有名な出来事である。
彼らは中華人民共和国へ渡るまいとの決心を示すために、腕に「反共抗俄(こうろ)」と
の刺青(いれずみ)を彫りこみ、中国共産党と俄羅斯(ロシア)=ソ連に反対する立場を
鮮明にしていたのである。
欧米と異なって、捕虜となった者に厳しい制裁を加える伝統的な思想が東アジアの儒教
文化圏にはあるようだ。中国大陸に戻った義勇軍の捕虜たちは処刑されるか、刑務所に拘
留されるかなど過酷な運命をたどり、二度と歴史の表舞台に出てこなかった。一方、台湾
を選択した捕虜たちは平穏な生活を送った。
90年代に入り、改革開放を始めた中国は少しずつ義勇軍の元兵士らの故郷訪問を受け入
れるように変わった。それでも、政治的な清算を恐れる元捕虜たちは旅立つ前に必ず刺青
屋に寄って、若き日のタトゥーを消さなければならなかった。
去る1月14日の総統選挙で、中華民国の国民は民主主義の手続きに乗っ取って再び馬英九
を指導者に選んだ。一方の朝鮮民主主義人民共和国は三代連続して世襲制を維持した。金
正恩氏の後見人は中国共産党である。封建制度を徹底的に打破すると標榜した社会主義国
が醸し出す独特な文化現象からますます目が離せなくなっている。
◇やん・はいいん氏 内モンゴル出身。日本名大野旭(おおの・あきら)。国立総合研究大
学院大学博士課程修了。歴史人類学専攻。著書に「モンゴルとイスラーム的中国」(風響
社)、「墓標なき草原」(岩波書店、第14回司馬遼太郎賞受賞)など。