評を何度か紹介している。そのときに、日本名を「大野旭」と名乗る楊海英氏が著した
『墓標なき草原』(上下巻 岩波書店)は台湾関係者も必読の名著といってよいとも紹介
している。
その理由は、楊海英氏が台湾を訪れたとき「台湾から中国を眺めると、私の故郷内モン
ゴルと似ている」として、産経新聞に「台湾と内モンゴルの悲哀」と題して寄稿、次のよ
うに指摘されたからだ。
≪日本の敗退後に入ってきた中共の八路軍は規律が悪く、暴虐を尽くした。国民党軍が台
湾人を殺戮(さつりく)した「二・二八事件」と性質は同じだ。1960年代になると、過去
に「対日協力した罪」を口実にモンゴル人は大量虐殺されたが、台湾では圧政が敷かれ
た。どちらも外来国家がもたらした悲劇だ。≫
楊氏の抱え込んでいる闇は台湾の闇でもある。日本人として看過できない闇でもある。
楊氏が最近、産経新聞に尖閣問題でモンゴルと同じ轍を踏むなと警鐘を鳴らす一文を寄
稿された。下記にご紹介したい。
尖閣諸島問題 モンゴルと同じ轍を踏むな 楊海英(静岡大学教授)
【産経新聞:平成24(2012)年5月21日】
東京都の石原慎太郎知事は、日本の固有の領土である尖閣諸島を都が購入する、と宣言
した。当然の主張であるが、北京の政治家や軍人たちはすぐさま、「漁政」の文字が塗ら
れた粗末な船を前よりも頻繁に日本側領海に出没させるよう対策を取った。また、南シナ
海では中国とフィリピンが軍艦を並べて相対峙(たいじ)し、一触即発の状態が続いてい
る。
このような現代の「海洋上のコンフリクト」を東アジアでの中華植民地支配の建立過程
と比べると、その根深さと本質が見えてくる。
尖閣諸島近くの東シナ海のガス田・樫(かし)で、中国が強引に単独で開発を続けてい
る。こうした独善的な資源略奪の現象は、内モンゴル自治区など少数民族地域における中
国の行動と重なって見える。
◇
モンゴル人の私は、小さい時から草原に住んでいた。1960年代初頭の内モンゴル自治区
は牧野が果てしなく広がり、ヒツジやウマが放たれた、のどかなところだった。十数キロ
離れた場所に植民してきた中国人(漢民族)が、数家族住んでいた。彼らはいつもモンゴ
ル人とまったく異なる行動を取っていたのが印象に残っている。
たとえば、燃料である。モンゴル人は乾燥した牛糞を燃やす。冬になったら、わずかに
枯れた灌木(かんぼく)類を拾うこともある。しかし、中国人たちは季節と関係なく、手
当たり次第に灌木を切っていく。しかも、必ずといっていいほどモンゴル人の縄張り範囲
内に入り込んで伐採する。
そのような「小さな利益」を貪(むさぼ)る中国人たちをモンゴル人は寛容に放置して
いたが、ふと気がつけば、自分の草原内にところどころ砂漠ができていた。
降雨量の少ない北・中央アジアでは、植被を失った草原はたちまち砂漠に化してしまう
ので、モンゴル人は大地に鋤(すき)や鍬(くわ)を入れる行為を忌み嫌う。そのため、
モンゴル人は中国人を「草原に疱瘡(ほうそう)をもたらす植民者」と呼んできた。
私の経験は決して個別の事例ではない。
いつの間にか、内モンゴル自治区では先住民のモンゴル人の人口がたったの400万人にと
どまり、あとから入植してきた中国人は3千万人にも膨れ上がり、地位の逆転が完全に確立
されたのである。
ウイグル人が住む新疆と、チベット人の暮らす「世界の屋根」においても、中国人によ
る植民地開拓のプロセスは基本的に同じである。いざ、人民解放軍が怒濤(どとう)のよ
うに侵攻してきた時に、そこには既に無数の中国人植民者たちが内応に励んでいたのであ
る。
◇
中国に一方的に採掘されているガス田の樫は、日中中間ライン上に位置する。「ストロ
ー吸引」により、日本側の海底地下に眠る資源も当然、吸い上げられている。中国の少数
民族の政治的変遷を研究している私からすれば、わざわざモンゴル人の草原内に侵入して
灌木を切り倒す植民者たちの活動とその性質が共通している。
善良な日本人は「ストロー吸引」を「小さな利益」だ、とかつての純朴なモンゴル人の
ように気前よく理解しているかもしれないが、「大人(たいじん)」の中国は今や尖閣諸
島周辺を自国の「核心的な利益」だと位置づけている。
「核心的な利益圏」は今までに主としてチベットや新疆ウイグル自治区、それに南シナ
海について適応してきたが、放置されれば、尖閣諸島や沖縄周辺も住民の人口と政治力の
逆転が生じる危険性がある。中国の少数民族の轍(てつ)を踏まないことを切に願ってい
る。
◇楊海英(よう・かいえい)静岡大学教授。中国・内モンゴル自治区出身。日本名は大野
旭(おおの・あきら)。国立総合研究大学院大学博士課程修了。歴史人類学専攻。著書に
「モンゴルとイスラーム的中国」(風響社)、「墓標なき草原」(上・下 岩波書店)で
第14回司馬遼太郎賞受賞。