【5月28】日奥多摩・笠松展望園で台湾出身戦没者慰霊碑を参詣

【5月28】日奥多摩・笠松展望園で台湾出身戦没者慰霊碑を参詣

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」ほり転載
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 大東亜戦争には約20万名の台湾出身者が軍人・軍属として出征、30,304名が尊い命を日本ために
捧げられた。現在、靖國神社にはそのうちの27,864名の方々がご祭神としてお祀りされている。

 台湾には台湾出身戦歿者を祀るところとして、台中市・宝覚禅寺境内に建立の「霊安故郷碑」
(李登輝総統揮毫)、新北市・烏来の高砂義勇隊慰霊碑(李登輝元総統揮毫)、新竹市・北埔郷の
南天山済化宮、高雄市・旗津の戦争と和平記念公園など4ヵ所あると言われている。

 日本にも靖國神社以外に、広島県の比治山陸軍墓地に昭和39年(1964年)10月に建立の「大東亜
戦争台湾出身戦没者供養碑」があり、また東京・奥多摩町の小河内ダム(奥多摩湖)畔の笠松展望
園にも慰霊碑と慰霊塔が建立されている。

 奥多摩のこの慰霊碑は昭和50年(1975年)8月、蕃刀を象った慰霊塔は同53年(1978年)11月、
台湾出身戦歿者慰霊祭奉仕会によって隣り合うように建てられている。

 しかし、近年は慰霊祭が行われていないことを知った東京台湾の会の喜久四郎会長(現在、名誉
会長)は平成23年(2011年)年5月、有志の方々と執り行い再興する。

 その後は台湾協会や本会とともに慰霊祭を行っていて、慰霊碑建立40年という節目の年の今年も
5月28日に執り行う。

 ちなみに、昨5月11日付の毎日新聞「余禄」がこの慰霊碑と慰霊塔について取り上げているので
別途ご紹介したい。また「台湾新聞」が一昨年(2013年)5月28日に行った慰霊祭の模様を撮影し
ているのでご参考まで紹介したい。

◆20130528東京台湾の会ら三団体が「台湾人戦没者慰霊碑」参詣(6分)
 https://youtu.be/kGkjRXBa1sw

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平成27年「台湾出身戦没者慰霊碑参詣」のご案内
【台湾協会報:平成27年4月15日(第727号)】

 台湾協会は、東京台湾の会、日本李登輝友の会と共催で、次の通り台湾出身戦没者慰霊碑・慰霊
携参詣を計画しています。皆様奮ってご参加下さい。

*雨天中止(中止の場合は、天気予報に基づき前日ご連絡致します)

◆日時・場所:5月28日(木)

  11時50分  JR奥多摩駅集合
  12時05分  路線バス乗車
  12時30分  峰谷橋到着、下車
  13時〜    慰霊碑前にて慰霊祭
  13時30分過ぎ〜  馬頭館にて昼食と懇親会
  15時30分頃  散会

◆会費等:無料

◆お申込:5月15日(金)まで

◆連絡先:台湾協会(電話03-3200-8116)
     http://www.taiwankyokai.or.jp/

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毎日新聞「余禄」が奥多摩の台湾出身戦没者慰霊碑を紹介

 驚いた。まさか毎日新聞が奥多摩に建立されている台湾出身戦没者の慰霊碑・慰霊塔について記
事にするとは夢にも思わなかった。それも、産経新聞なら「産経抄」、朝日新聞なら「天声人語」
にあたる「余禄」で取り上げた。昨日、5月11日の朝刊だ。

 この「余禄」を執筆した記者はわざわざ現地に赴いて、建立の様子や経緯について記し、台湾出
身戦歿者のご遺族の補償裁判や弔慰金支給にも言及、5月28日に行われる今年の慰霊祭にまで紹介
する周到さだ。

 瑕疵があるとすれば、慰霊碑・慰霊塔が建てられている笠松展望園が「日月潭(にちげつたん)
に似ていることから選ばれたという」と書いていることか。日月潭は正しくは「じつげつたん」だ
が、現在では慣用読みの「にちげつたん」が定着しているので瑕疵とも言えない。

 余禄子は「戦後70年。語り継ぐべきことは多い」と締めくくる。「語り継ぐべきこと」に台湾出
身戦歿者への慰霊を取り上げていただいたことに対し素直に感謝したい。また、この慰霊碑・慰霊
塔を建立することで日台の絆を紡いでいただいた故越山康弁護士を代表とする台湾出身戦歿者慰霊
祭奉仕会の皆さまに改めて感謝申し上げたい。

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余録:大型連休中、新緑の東京・奥多摩を歩いた…
【毎日新聞:2015年05月11日 東京朝刊】

 大型連休中、新緑の東京・奥多摩を歩いた。奥多摩湖にかかる橋のたもとから、急な林道を15
分ほど上り、台湾出身戦没者の慰霊碑にたどり着いた。慰霊碑から湖を見下ろすと、生い茂った杉
林の間からわずかに湖面が見える▲「あなた方がかつてわが国の戦争によって尊いお命をうしなわ
れたことを深く心にきざみ永久に語り伝えます」。40年前の1975年8月、日本の民間有志が建立し
た大理石の碑だ。隣に設置された慰霊塔はかつて「高砂(たかさご)族」と呼ばれた台湾の先住民
が持つ蕃刀(ばんとう)を模したものだ▲先の大戦では20万以上の台湾人が軍人、軍属として徴用
され、約3万人が死亡したが、戦後、国籍を失ったため、補償の対象にならなかった。74年12月、
インドネシアのジャングルに30年近くも潜伏していた先住民出身の中村輝夫(なかむらてるお)
(民族名・スニヨン)さんが発見され、台湾出身元日本兵の存在が改めてクローズアップされた▲
慰霊碑建立の中心だった弁護士の越山康(こしやまやすし)さん(故人)は初めて1票の格差訴訟
を起こしたことで知られる。建立当時の経緯ははっきりしないが、関係者は「台湾人が平等に扱わ
れていないことが許せなかったのではないか」と話す▲77年には台湾人元日本兵の戦傷者や遺族が
補償を求める裁判を起こしたが、敗訴した。80年代になって議員立法で弔慰金支給が決まり、約3
万人の台湾人遺族らに1人当たり200万円が支払われたが、日本人との格差は残った▲湖を望む奥多
摩の地は台湾の景勝地、日月潭(にちげつたん)に似ていることから選ばれたという。今月28日
には現地で法要が営まれる。戦後70年。語り継ぐべきことは多い。