【臺灣通信】「正直で親切な台湾の人々」

【臺灣通信】「正直で親切な台湾の人々」

傳 田   晴 久
1. はじめに

先日、昔JET日本語学校でお世話になった得猪先生から次のようなお手紙を頂戴いたしました。「四月中旬、阿里山へ行く途中で車がオーバーヒートで止まってしまいました。さて困ったと思うと同時に、親切な救いの手が差し伸べられ、そのおじさん(陳さん)の友人や職場に連れて行ってもらい、90代のご夫婦は登場するわ、小学校の校長先生にお茶をよばれるわで、またまた台湾人の人情と親切にびっくり仰天してしまいました。」
最近、正直なタクシーの運ちゃんの話が話題になっています。今回の台湾通信は「正直で親切な台湾の人々」を紹介させていただこうと思います。

2. 私も体験しました

今から30年ほど前ですが、仕事で宜蘭にあるT繊維という会社に行く用件がありました。紹介されたホテルに前日泊まるつもりで、台北からバスで宜蘭に向かいました。バス停の名前は聞いていたはずですが、当時のバスには次の停留所名の表示もなく、運転手(当地では今でも「運将」(うんちゃん)と呼んでいます)は停留所の名前を告げていると思いますが、台湾語では何を言っているか全くわかりません。運ちゃんに事前に頼んでおけばよかったのですが、なぜかそうしませんで、結局それらしき名前のバス停で下車してしまいました。もちろんホテルも見えませんので、バス停の前の洋品店に跳び込み、ホテルの場所を尋ねましたら、若いご主人は呆れたような顔をされて、 「此処ではないよ、連れて行ってあげよう」というようなことを言い、私の手を引いて外に連れ出しました。そしてスクータの足元に私のスーツケースを置き、後ろに私を乗せ、走り出しました。時刻は夜の9時ころだったでしょうか、暗い夜道をスクータは猛スピードで走ります。だんだん不安になりましたが、20分くらい走ったでしょうか、お目当ての小さなホテルの前で止めてく��譴泙靴拭��

夜の9時ころ、言葉も満足に話せない、変な日本人が跳び込んできたのに、すぐ事情を察してかなり遠くのホテルに連れて行ってくれたのです。本当に助かりました。

3. 花蓮港で邦人、財布を・・・・・拾金不昧(ネコババしない)

このように台湾の人々に助けられた日本人(外国人)はたくさんいることでしょう。
今年の5月15日の「自由時報」第一面にこんなタイトルの記事が載りました。「花蓮 小黃拖船接力 海上歸還日客錢包」・・・・「花蓮」は台湾の東海岸にある港町で、景勝地「太魯閣峡谷」の入り口です。「小黃」はイエローキャブ、すなわちタクシー、「拖船」はタグボート、「接力」はリレーの事で、「花蓮港のタクシーとタグボートがリレーで、海上にいる日本人客に財布を届けた」という見出しです。

花蓮のタクシー運転手の曾世誠さんは先週の土曜日、大型定期客船で観光に来た日本の観光客がタクシーの座席に忘れた財布(現金7,000元とクレジットカード在中)を拾った。早速「速達便」のごとく花蓮港の埠頭まで車を飛ばしたが、あいにく客船「海洋神話號」はすでに岸壁を離れていた。花蓮港の港湾管理会社は事情を知るや直ちにタグボート「萬榮號」に客船を追わせ、ついに間に合い、財布は客船の吊り籠によって引き上げられ、忘れ物は無事元の持ち主に帰った。台湾人の「海陸リレー」による慈善行為に対し、日本の客船は汽笛を鳴らして感謝の意を表した。

タクシーの運ちゃん曾さんは次のように言っている。「その日本の観光客は自分の父母と同じくらいの年恰好で、財布を落としたことに気づいた時、きっとがっかりしたろうし、花蓮に対してよくない印象を持つかもしれない。大概の人々は『拾金不昧』で、『物歸原主』が当たり前、国民外交の成功と言えるでしょう」。拾金不昧は「金を拾ってもネコババしない」、物歸原主は「物が元の持ち主に返る」という意味で、ともに四字熟語(成語)です。

4. 金門でも携帯を・・・・

メールマガジン「な〜るほど・ザ・台湾」(5月15日)によれば、金門島で重要な資料が入っているiPadを失くした日本人観光客が警察に届けたが、当初見つからなかった。警察は翌日iPadを発見し、日本語の内容から日本人観光客の遺失物と断定し、すでにアモイに向かっていた観光客に連絡した。日本人観光客は警察に謝意を表したという。

また、同じメルマガ(5月18日)に中国の若手ベストセラー作家・韓寒のブログが紹介されており、彼が台湾を旅行した時、眼鏡屋の主人に大変親切にしてもらった話やタクシーに置き忘れた携帯電話を運転手がホテルに届けてくれた上に、謝礼も辞退したという話が紹介され、韓氏は「台湾には自分たちにはない、人々の尊敬を集める価値がある」と語ったといいます。

5. 「修身」の教科書

何故、かくも親切で正直なのか

日本には昔、「修身」という教科があったと言います。実は自分は昭和21年4月に小学校に入学したので、小学校で「修身」という科目を習ったことがありません。今年の1月中旬、台中で「日本と台湾の懸け橋になる会」を主宰しておられる喜早天海氏に「來自阿公、阿媽的禮物」(おじいさんおばあさんからの贈り物)という本をご紹介いただきました。これは日本の戦前の教科書「修身」の内容を中国語に翻訳したものでした。

今回の「正直で親切な台湾の人々」に該当する話は、第1章10話「親切」、同11話「自己的東西跟別人的東西」(自分の物と他人の物)、第2章11話「正直」の3話です。
まず「親切」は、学校の帰り道、重い荷車を引いた人が坂道を登ろうとして難儀をしているのを見た子供が、自分の荷物を道の傍らに置いて、後押しして手伝いました。坂を上りきったところで、助けられた人は大変喜び、助けた子供も大変うれしかった、というものです。困っている人を見たら手を貸しましょうという教えです。この反対の話はおそらく「川に落ちた犬は棒で叩け」というものでしょう。今回初めて知ったことですが、この諺は朝鮮のものだそうです。

2番目の話は、ふたりの子供が夕方散歩をしていると、一人の子供がボールを拾い、それで遊ぼうと言うと、もう一人の子供はそれは他人の物だからダメ、失くした人はきっと困っていると言いう。そこへ何か探している様子の子供が現れ、尋ねるとボールを探しているという。ボールをわたすとその子供は大変喜んだという。他人の物と自分の物を混同してはいけないという教訓ですが、その反対は、「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」でしょう。これはイギリスの諺だそうですが、これが口癖のような国はどこの国でしたっけ。

3番目の話「正直」は、呉服屋の正直店員の話で、お客が自分で選び、気に入った布地を買おうとした時、その店員がたまたまその布に疵があることに気付き、そのことを正直に告げ、別の品を選ぶよう勧めた。婦人は店員の正直さを讃えたが、結局気に入ったものがなく、その日は買わないで帰って行った。店長は怒ったが、店の主人は商人にとって最も大切なことは信用であることを説いた。その店はその後繁盛し、正直店員はやがて暖簾を分けて貰い、大成功したといいます。反対に「正直者は馬鹿を見る」とか「正直は阿呆の異名」という言葉があります。どこかの国では「騙される方が悪い」と教えているとか。

6. 「中華無恥文化」と「台湾文化」

自由時報紙に「中華無恥文化」と題して、次のような投書がありました。「馬英九総統が就任式の演説で中国人の韓寒氏の話に触れ、『台湾のタクシー運転手がネコババしなかったり、眼鏡屋の主人が熱心に人助けをしてくれたが、これらは全て中華文化の核心価値が既に台湾の日常生活に溶け込んでいる』と述べた。可笑しいではないか、もし「善良」、「誠信」が中国文化の要素であるならば、なぜ韓寒が中国社会では見られず、台湾で見出し得たなどと空騒ぎするのか」投書は続けて中国文化の無茶苦茶さをあげつらい、最後に「台湾社会の特徴は、優しく誠実であり、人と人はお互いに信頼し、助け合うことであり、これらの素質は原住民の純朴さ、漢移民の謙遜と譲り合い、欧州植民者の啓蒙、そして近年の日本統治下の近代化経験によるものであり、決して中国文化ではない。すべての中国人はひとたび台湾に足を踏み入れれば、此処が中国の文明社会とは全く異なることを感じ取るはずである。馬英九政府は中国の漬物甕文化(筆者注:作家柏楊氏が著書「醜い中国人」の中で、中国文化を「醬缸文化」と呼び、張良澤氏が漬物甕文化と翻訳した)に跳び込もうとして��い襪�△修譴麓��世韻砲靴董�耋竸佑鯑始△譴砲靴覆い任曚靴ぁ廖憤綮奸δ誓�忙瓠��

勲 おわりに

すべての台湾人が「正直で親切」という訳ではなく、もちろん悪辣なタクシーの運ちゃんの話も聞きますし、無軌道な若者の話も聞きます。しかし、自分が窮地に立たされた時に手を差し伸べていただいた場合は、まさに御仏に見えることでしょう。「情けは人の為ならず」(最近この諺を違う意味にとる人がいるとか)、「正直の頭に神宿る」と言います、きっと将来台湾に素晴らしいことが起こることでしょう。


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