傳田晴久
1. はじめに
某国にルーピー(頭がおかしい)と揶揄された総理大臣がいましたが、台湾にはバンブラー(へまな奴、無能な故に失敗する人)と呼ばれた総統がいます。その人、馬英九総統は2008年の総統選挙で民進党の謝長廷候補を大差で下し、第12代総統に就任しましたが、就任直後からグリーンカード問題や翌年の八八水災への対応のまずさから「無能総統」と揶揄されていました。そして昨年2012年1月、馬英九は蔡英文候補に大分追い上げられましたが、再選されました。馬英九は同年5月に第13代総統に就任しましたが、支持率は低迷を続けています。そんな中、昨年11月英国ロンドンの経済誌エコノミストが馬英九総統の事をバンブラーと呼び台湾でちょっとした話題になりました。Bumblerを「笨蛋」(馬鹿者、愚か者)と翻訳したための騒動でした。
先日、台湾の友人が「帝王の術」という文書(中文)を送って呉れました。彼によりますと、馬英九は「帝王の術」を身に収め、実践しているのではないかと言います。ひょっとすると馬英九総統はバンブラーなんてとんでもないのかもしれません。
2. 馬英九総統の評判
昨年(2012年)7月中国国民党の行政院秘書長(日本の官房長官に相当)林益世が収賄容疑で逮捕され、今年の4月に一審判決(有期徒刑7年4か月)が出た。昨年8月には元消防署長が汚職収賄罪で逮捕。鉄路局幹部の汚職が発覚。11月には南投県県長李朝卿が巨額収賄で逮捕。今年の4月には台北市議員頼素如(国民党主席弁公室主任)が収賄で逮捕。4月12日の自由時報で李登輝元総統は「国民党的腐敗從根爛起」(国民党の腐敗は根元から腐っている)と語っています。
中国国民党と中国共産党は一卵性双生児とよく言われていますが、この腐敗した体質も同様のようです。政府高官のみならず多くの役人が権力を武器に懐を肥やし、家族親族を海外に移住させているのはよく知られています。汚職はやり放題でもなく、時々は摘発され、罰せられているのも同じようです。
このような状況を国民、人民はどのように見ているのでしょうか。頼素如の事件発覚直後の調査によれば、馬英九政権に対する満足度は急速に低下し、遂に14.7%となり、昨年五月就任以来の最低を記録した。2013年7月20日に行われる国民党主席選挙が注目されています。
3. 門田隆将氏の見方
雑誌「WiLL」(2013.5月号)にノンフィクション作家門田隆将氏が馬英九総統について次のように書いています。
(前略)・・・・・中国は外省人総統である馬英九に「中台統一」の路線を期待した。だが馬は再選を果たすや、それと真逆の事をやり始めたのである。昨年夏に提唱した「東シナ海平和イニシアティブ」では、主権の主張より、共同資源開発を優先し、今年二月には、尖閣問題で「大陸との連携はしない」と具体的な理由まで掲げて表明した。馬総統が「親中統一派」であると思い込んでいた人達は、意外な行動の数々に戸惑っているだろう。しかし、私は、政治家にとっての「信念」というものを改めて思い起こさせてもらった気がする。
政治家は最後が近づけば、自分の信念に忠実になるものである。とすれば「親中統一派」だと思われていた馬英九は、自分の本心を隠し続け、様々な投資を中国から引き寄せ、いざ「残り三年」となったら俄かに中国と「距離を置く政策」をとり始めたことになる。中国の指導者も今になって馬総統を「煮ても焼いても食えない奴」と思い始めているに違いない。
4. 「帝王の術」
馬英九が身に収め実践していると言う「帝王の術」とはいかなるものでしょうか。
北周の基礎を築いた宇文泰(ウブンタイ:505〜556)は蘇綽(ソシャク:498〜546)に国を治める方法について教えを乞うと、蘇綽は「悪徳官吏を用い、悪徳官吏を粛清する」ことであると言う。
蘇綽が言うには、人を命がけで働かせるには何か利益を与えねばならないが、それには権力を与えるのが良い。権力を得た官吏は民を搾取して利益を手に入れ、その権力を失わないように守る。その結果国の統治は堅固になる。
宇文泰ははっとして悟り、しからば何故悪徳官吏を粛清するのかと問う。蘇綽はこれが国を治める「奥義」であると答え、その理由を二つ挙げた。一つは官吏はどうせ汚職をするがそれを恐れる必要はなく、恐れるべきは主君に背くことである。悪徳官吏粛清に名を借りて背くものを排除し、敵対者をなくせば主君の権力は安泰であり、人民は主君を長として仰ぐだろう。
第二の理由は、官吏が収賄脱法をすれば彼らの弱点は主君の手中にあり、何時でも彼を滅ぼすことが出来るので、彼らはおとなしく主君の話を聞くであろう。悪徳官吏粛清は官吏を意のままに扱う宝刀である。
悪徳官吏を用いないならば、主君はこの宝刀を失うことになる。全てが清廉官吏ならば彼等は人民の信頼を受け、主君の言うことを聞かなくなっても、彼等を取り除く口実を失う。無理やり取り除けば民衆の騒動を引き起こすだろう。要は一に用い、二に粛清する、そしてすべての官僚を「清一色」(すべて一様である)の身内にすることだ。
若し悪徳官吏を用いて民衆の怨みが沸騰したらどうすべきか。それには悪徳官吏粛清の大きな旗を掲げ、多いなる宣伝力を発揮し、あなたの心が民衆とつながっていることを証明する。民衆にあなたは良い人で、良くないのは只彼等悪徳官吏である事を知らしめ、責任のすべてを彼等に押し付け、決して民衆にあなたが悪徳官吏の後ろ盾で有る事を知らせてはならない。あなたは民衆に、あなたが正しい事を認めさせねばならない。あなたはきちんと立派にやろうとしないのではなく、下にいる官吏たちがあなたの政策をきちんと執行しないのである。
宇文泰は「民衆の怨みが極めて大きい悪徳官吏がいる、彼らはどうしたものか?と問うと、蘇綽はすかさず「殺せばよい。民のために害を除け! 彼らが収奪した民の財産はあなたの懐に入れる。このようにしてあなたは民の財産を収奪する罪を負うことなく、民の財を収奪する実益を手にすることが出来る。
蘇綽は最後に結論を述べる:「悪徳官吏を用いて悪い仲間を育成し、悪徳官吏を取り除いて敵対者を消し去り、悪徳官吏を殺すことによって人心を買い取り、悪徳官吏の財産を没収し、国庫に入れる、これすなわち長期にわたって社会を安定させる秘策なり」と。
「帝王の術」は人間の心理、機微をうまくついた、中々面白い論理だと思いますが、矢張り1500年前の帝王学、帝王の論理であって、現代の価値観に合致するものではありません。
5. さて、馬英九総統は・・・・
文書「帝王の術」を送ってくれた友人は、この文章は「馬をなじって書いたのか、それとも本当の歴史物語なのか分かりません。後者だったら馬は凄く勉強家で帝王の術をことごとく身に収め、実践した”偉人”になりますね。遺憾ながら・・・・」と書き添えて呉れました。果たして馬英九総統はバンブラーでしょうか。
蘇綽の説く「帝王の術」は、帝王が末永く国に君臨するための「術」であって、国民を幸福にするための「術」ではなさそうです。中国共産党の祖・毛沢東は「ものを考えるのは自分だけで十分だ、あとは自分の言うとおりにしていればいいという考え」(中国文学者・高島俊男氏)だったそうですし、中華民国の国父・孫文は「政府有能、人民有権」(三民主義)の中で「政府は有能であるから人民は政府に任せておけばよい。政府は有能であれ」と述べています。いずれも独裁政権の論理ではないでしょうか。
6. おわりに
我々は現在、普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)を貴重なものと考えているわけで、1500年前の「帝王の術」や、独裁政権の論理をよしとするものではありません。民主化が進んだ台湾でも同様と思います。
一国の指導者がルーピーやバンブラーでは困りますし、もちろん独裁者でも困ります。門田隆将氏は、政治家は任期が間もなくなると自らの政治信念に忠実になるものと言いますが、「親中統一派」と思われていた馬英九総統の政治的信念は那辺にありや。