2013.1.15産経新聞
原告が集団訴訟では過去最大となる1万335人を数え、日本の台湾統治をめぐるNHKの偏向報道を指弾した訴訟として注目された裁判の判決が昨年12月、東京地裁であり、NHK側が全面勝訴した(原告は東京高裁に控訴)。識者は「裁判には勝っても、NHKが内部に十分な番組チェック機関を持っていない問題は変わっていない」と指摘する。番組の視聴者までも原告に加わった異例の訴訟で、何が争われたのか。(NHK取材班)
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問題となったNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」では、とりわけ1910年にロンドンで開かれた日英博覧会で、台湾の先住民族・パイワン族を「人間動物園」として展示、見せ物にしたという内容が強烈な印象を与えた。
「かなしい」応酬
番組では、「展示された青年」の娘、高許月妹(こうきょ・げつまい)さん(番組では「高許月」と誤記)が画面に登場。父親の写真を見せられた高許さんの「かなしい」という日本語に続き、「(父親が)生前、博覧会について子供たちに語ることはありませんでした」とナレーションが流れ、「悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」という字幕が高許さんの言葉として流された。
しかし、高許さんは放送後、「突然の父の写真に、自然に涙が流れた」と各メディアに語り、博覧会の感想だとした番組を否定。一緒に取材を受けた友人の陳清福(ちん・せいふく)さんも、取材時に人間動物園、展示、見せ物の説明はなかったと証言した。
陳さんによると、スタッフが写真を出すと、高許さんは「あっ、これはお父さん」と絶句、日本語で「かなしい」、続けてパイワン語で「心が痛い、そして懐かしい」と涙を浮かべた。放送されたのはこの様子で、日英博覧会の話ではないとした。
これに対し、NHKの島田雄介ディレクターは「人間動物園」を取材時に用いなかったことは認めたが、「見せ物」という言葉で取材趣旨を説明したと反論。陳さんは「録画を調べれば分かる」として記録提出を求めたが、NHKは「見せ物を説明した部分の記録はない」として応じなかった。
1審判決では、「(スタッフが)日英博覧会との関わりについて、高許さんに説明をしなければ取材目的を達せられない」として、NHKが「見せ物」を説明したとする言い分を認めた。「かなしい」の意味についても「高許さんが『懐かしい』という意味で『かなしい』と述べたと理解はできなかった」と、取材スタッフの誤認識に理解を示した。また、「人間動物園」という言葉の正当性には踏み込まず、「『人間動物園』で見せ物にしたことを過去の歴史的事実として紹介しているにすぎない」とし、父娘の人格権の侵害は認めなかった。
「個々に責任負わず」
「日台戦争」という用語を使ったことも争点になった。原告側は、提唱者の中京大教授、檜山幸夫台湾史研究センター長が放送翌年に刊行した書籍を証拠提出。檜山教授は序文で番組に触れ、日台戦争は政府と大本営の戦争指導論などを呼称したもので、番組は「全く異なる考え方で用いた」と批判。「口述記録は記録の客観性と信頼性が生命。意図的に自分の主張にあった内容を語らせたり、言葉を抜き出してはならない」とし、番組を「口述記録の史料的信頼性を失墜させた」と批判した。
しかし、判決は「日台戦争」や後藤新平の取り上げ方など、原告に加わった視聴者が問題視した側面には触れず、偏向についても「社会通念上許される限度を超える番組内容であるとまでは評価できない」とした。
NHKが個々の受信契約者に対し、公平公正を定めた放送法に従った放送をする義務を負うかについては、「放送番組編集の自由を著しく制約することになる」として認めなかった。
NHK広報局は「主張が認められ、妥当な判決だと考えています」とコメントしている。
控訴審で原告側は、高許さんの発言編集や、「人間動物園」は史実ではなく、親子の名誉を傷つけたとして争う方針。原告はパイワン族37人、一般視聴者5人の計42人。
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■「誇り持ち渡英」 華阿財さん
東京地裁の判決を受け、パイワン族の指導者、華阿財(か・あざい)さんは本紙の取材に対し、次のように語った。
「高許月妹さんは、日本語があまり達者ではなく、父親の写真を見て、父親のことだけを思って『かなしい』と言った。判決が月妹さんの気持ちを踏まえなかったことは気の毒だ。パイワン族は誇りを持って渡英し、民族の伝統を博覧会で伝えた。英国の学者たちが博覧会をきっかけに村を訪れ、温かい交流が続いた話が今も伝わり、英国調の歌がいくつも歌い継がれている。博覧会参加が屈辱の歴史だったなら、このようなことはなかっただろう。パイワン族は立ち上がり、抵抗したはずだ。NHKの放送の内容が、私たちの実感と全く異なる事実を、きちんと伝えていきたい」
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■「問われているのは局の自律の仕組み」
□元NHK経営委員・小林英明弁護士
元NHK経営委員で弁護士の小林英明氏は、今回の裁判について「取材対象者を被害者として裁判をした場合、編集権は放送事業者が有しているので難しい裁判になるだろう」と指摘する。一方、「もし、番組内容に問題があった場合、NHKは国民の信頼を損ね評価を落とすことになる。つまり、NHKが被害を受けるのであり、問われているのは、NHKに被害を与えないため、経営委員会も含めて『自律』の仕組みを内部にきちんと持っているのかという点ではないか」と話す。
小林氏は平成21年5月、経営委員会の席上で、番組で使われた「日台戦争」という用語について「歴史的事実がなく、放送法違反ではないか」とNHK執行部に指摘した。しかし、「経営委員は個別番組に干渉すべきではない」とした批判が経営委の内部や一部のメディアから起き、小林氏の指摘はうやむやにされた経緯がある。
判決では「番組編集は、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自律的判断に委ねられている」とされた。小林氏は「株式会社なら、社の評価を落とす番組を作らないよう取締役会が監視し、さらにそれを担保する制度として株主代表訴訟がある。NHKではその代わりとなるべき経営委員会が、放送法違反の疑いがあっても番組についての発言を躊躇(ちゅうちょ)しているため、事実上、監視する機関は番組を作っている執行機関しかない。編集について自律権が与えられているのに、自律のための機関が十分でないのは問題だ」と指摘。
「経営委員が番組に不当な干渉をする懸念があるなら、選任方法などを改めて懸念を払拭すべきであり、経営委員会から、執行機関の監視権限を奪うべきではない。編集権は現場ではなく、放送事業者にある以上、監視機関は必須の存在だ」と話している。
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【用語解説】NHKスペシャル「JAPANデビュー」問題
平成21年4〜6月に放送された計4回のシリーズ。4月5日に初回「アジアの“一等国”」が放送されると、「日本の台湾統治を一方的に悪としている」などの批判が噴出。6月までにNHKに約5000件の反響があり、日台の議員連盟がNHKに質問状を提出、東京・渋谷の同局周辺に抗議デモが複数回行われた。NHK側が出演したパイワン族に抗議を取り下げるよう交渉したことも発覚、放送後の同局の対応についても疑問の声が上がった。