2014.1.13 産経新聞
元駐タイ日本大使・岡崎久彦
首相の靖国参拝の報を聞いて、心の中の霧が晴れたように思う。もうこれで良いのだと思う。
国民の大多数も同じ感情だったと思う。直後の世論調査では69%が参拝を支持し、安倍晋三内閣の支持率も上昇したという。
≪米国の「失望」表明は失策≫
英語で、enough is enough(もうたくさんだ)という。靖国問題はもうおしまいにしてほしい、というのが日本人の一致した心情だといえよう。
今後は定期的に参拝していただきたい。本来、安倍首相は政治的打算ではなく、日本人の良心として参拝を希望しておられた。人知れず参拝できればそれでも良いというぐらいのお考えだったと推察する。だから今回でご本人は一応ご満足かもしれないが、これを機会に年中行事にしてほしい。
初め一、二回は波乱もあろう。米国も一言言ってしまって引っ込みがつかないでいる。今回の「失望感」の表明は、日米関係だけでなく、日中、日韓の関係悪化に拍車をかけるだけで、その改善に何ら役立たない。さらに米中、米韓の関係において米国は、この立場を継続せざるを得ない借財を自ら作ったが、それが米国の東アジア太平洋政策に益するところは何もないと思う。その意味で今回の米国のコメントは米外交のfaux pas(踏み誤ったステップ)であった。
日米外務・防衛閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)で米国務、国防両長官が来日し靖国参拝を避けたときから、そのような感触は現在の国務省内からうかがえた。米国の意向を秘(ひそ)かに伝えるのなら、あれで十分だったと思う。それでも安倍首相が参拝するなら、同盟国日本の主権事項として沈黙すべきであった。日米間には、普天間飛行場移設問題、集団的自衛権行使容認に立脚する日米防衛協力の指針(ガイドライン)の見直しなど、両国の安全保障に死活的な緊急の懸案がまだまだ残っている。それらの解決に自ら障害を設ける必要など全くない。
≪戦後1世代でいったん消えた≫
米国も中韓両国も今後、日本の首相の靖国参拝は、米大統領のアーリントン国立墓地訪問と同じく当然のこととして定期的に行われると観念しなければならない。
戦争の記憶というのは通常戦後1世代がたてば忘れ去られる。
ワーテルロー後のレアクシオンの時代には、ナポレオンは下賎(げせん)な暴虐な男として貶(おとし)められ、当時のゴヤの絵画はフランス軍の残虐さを描写してあますところない。
セントヘレナに流された戦犯ナポレオンがアンバリッド(廃兵院)に祭られたのは、1世代たった1840年である。ユゴーの『レミゼラブル』には、共和主義者だったマリユス青年が過去の歴史に目覚めてボナパルティストになる逸話もある。
実は日本も戦後1世代を経た1970年代の10年間、靖国問題は存在しなかった。その後、歴史問題が国際的に騒がしくなったとき、私は常に、外国の学者、ジャーナリストに一つの質問をした。
「皆さんは、日本は戦争の過去の問題をいまだに解決していないとおっしゃいますが、では1980年という1年間を取ってみて、皆さんの中で一人でも一言でも、日本はまだ戦争の過去を清算していないということを言ったり書いたりしたことのある人があれば、その証拠をお見せください」
これに対しては今に至るまでただの一人も証拠を示し得ない。それが歴史の真実だからである。
≪左翼反米勢力の輸出が発端≫
いわゆる歴史問題が復活するのは80年代になってからである。当初は、すべて日本内の左翼反米勢力から外国に輸出されたものである。それは中曽根康弘首相靖国訪問阻止のための朝日新聞のキャンペーン、日本社会党の対中働きかけを見れば明々白々である。
ただ、中国ではその後、天安門事件があり、民主化運動に代わるものとして愛国主義運動が鼓吹された。発端は日本発ではあるが、それが今や中国のナショナリズムの主たる原動力となっている。
天安門事件で拘束された運動家が次々に釈放されて、「もう一度民主化運動をしよう」と言うと、昔の仲間から、「いや、今は台湾を解放して百年の恨みを果たすべきときだ」と言われて挫折し、米国や日本に亡命したケースも少なくない。そうした中国の状況は今も、ますます悪化している。
最近になって、A級戦犯が合祀(ごうし)されているからという理由も挙げられているが、それも後からつけた理屈に過ぎない。戦犯合祀後、日本の自民党首相の中で最もハト派だった鈴木善幸首相は9回、続く中曽根首相は中断までに10回参拝しているが、国際的、国内的に何の問題にもなっていない。
戦後1世代でいったん過去のものとなった問題が、10年後に蒸し返されて、その後30年も1世代続いていることに日本の国民はもううんざりしている。
もうおしまいにしよう。(おかざき ひさひこ)