【独立運動に投身した台湾人エリート】王育徳伝(一)

【独立運動に投身した台湾人エリート】王育徳伝(一)

国民新聞より転載

        王明理 台湾独立建国聯盟 日本本部 委員長 

(まえがき)

父、王育徳は一九二四年、台湾の古都、台南に生まれ、一九八五年、東京で亡くなった。

 父は生涯を通して台湾を愛し、“台湾とは何であるか”、“台湾人のために国家はどうあるべきか”を捜し求めたが、実は台湾にいられたのは、わずか二十五歳までだけであった。日本に亡命してからは、二度と台湾に帰ることができずに、三十六年間、故郷から離れた地で毎日、台湾の幸せを願いつつ暮らしたのであった。

 生きていれば、今年の春の台湾の「ひまわり学生運動」を見て、とても喜んだことだろう。今の台湾青年たちが、かつての「台湾青年」たちのように、勇敢で、台湾人アイデンティティーを持っていることを知って。そして、中国教育を受けるようになってから六十九年も経つのに、学生たちが台湾語の歌を歌っているのを聴いて。
 
 しかし、がっかりもしたかもしれない。台湾社会が民主化されたのに、未だに国民党の頸木から解放されずに中華民国の枠に囚われていて、さらに以前にも増して中共に浸食されている状態を見て。
 
「台湾は台湾人のものであり、台湾人は、自分たちの独立国家を持つべきだし、その資格が十分にある」と父は訴え続けた。それが台湾独立運動であり、それを証明するために、『台湾−苦悶するその歴史』を書き、自分のライフワークとして「台湾語の研究」に取り組んだ。
 
 父は、台湾独立運動者として、言語学者として、大学教授として、精一杯生き、故国に帰れないまま六十一歳で亡くなったが、終生、日本に感謝し、日本人の友人たちとの絆を何よりも大切にしていた。亡くなる少し前の高校のクラス会で、色紙に「燃えて尽きたし」と書いたが、まさに、その通りの人生であったと思う。


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