【独立運動に投身した台湾人】王育徳伝(十二)

【独立運動に投身した台湾人】王育徳伝(十二)

国民新聞より転載

王明理 台湾独立建国聯盟 日本本部 委員長 

おわりに 

父が六十一歳の若さで亡くなったことは、非常に残念である。死ぬのが少し早すぎた。少なくともあと二、三年長生きしていれば、台湾兵の補償実現という成功を見ることができたし、台湾の初めての野党、民主進歩党の結成も、戒厳令の解除も、心の友、李登輝氏の台湾総統就任も見ることができたのだ……。仲間たちと分かち合う喜びを味あわせてあげたかった。何よりも、台湾へもう一度帰らせてあげたかった。あの愛する故郷へ。

だが、日本で暮らせて、父は幸せだったと思う。父はいつも日本への感謝を述べていた。母国で政治活動ができない自分たちを、日本社会は受け入れてくれ、法律を守っている限りは、活動の自由を認めてくれる、こんな幸せがあるだろうかと。さらに、自分を理解し支援してくれた日本人の友人たちはかけがえのない存在であった。

今、父が生きていた頃に比べて、台湾を理解してくれる日本人は格段に増えた。自分のことのように台湾を応援し、実際に活動している日本人に会うたびに、「ああ、この人に会えたなら、父はどんなに喜んだことだろうか」といつも思う。

父の魂は今も、台湾の将来を心配していることだろう。台湾人の勇気ある覚醒を祈り、台湾独立建国聯盟がしっかり仕事をすることを願い、私たち家族が誠実に人生を歩むことを見守っているにちがいない。

「台湾の主権独立国家としての国際承認」を必ずや実現して、父の御霊に捧げたいと思っている。


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