【独立運動に投身した台湾人】王育徳伝(四)

【独立運動に投身した台湾人】王育徳伝(四)

国民新聞より転載

王明理 台湾独立建国聯盟 日本本部 委員長 
          
1945年、終戦後の混乱は、日本にも台湾にもあった。双方とも敗戦国として、連合軍の占領統治下に置かれたのだが、占領者が誰であったかで、運命は大きく分かれることとなった。蒋介石は占領軍としての役割を逸脱し、台湾を自らの占有物として法的ルールも何もない勝手な統治を行ったからである。
 
大陸から渡って来た中国人は、教育程度も低く、法律を順守するという精神を理解しなかった。荒れ果てた中国国内と比べて、台湾はインフラが整い、産物も豊かであった。中国人は官民問わず、獲れるものは取って、私腹を肥やす行為に出たのである。日本の近代的法律によって支配されていた台湾人にとって、その驚愕と苦しみは耐えがたいものであった。(終戦後の混乱のことは、王育徳の自伝を編集出版した『「昭和」を生きた台湾青年』(2011年・草思社)を参考にしていただけると幸いです)

1945年10月、中国軍占領と同時に、台湾語とは全く異なる北京語が「国語」と定められた。台湾人はリテラシーであった日本語が禁止され、本を読むことも文章を書くこともできなくなってしまった。

社会の主要ポストは中国人が独占し、台湾人は「中国語が話せない」という理由で排除された。


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