「中国ガン・台湾人医師の処方箋」より(林 建良著、並木書房出版)
かつての日本には、平和主義と同時に「武の精神」が脈々と受け継がれていた。平和を欲するだけでなく、平和の維持には力が必要だという感覚があった。ところが、いまは「力は悪だ」という考え方が蔓延し、ただ平和を求めるという風潮が強まっている。
戦前、台湾は日本から武の精神を受け継いでいた。だからこそ我々台湾人は今でも武の精神を非常に尊敬している。私の父は剣道五段で、私自身は柔道の稽古をし、息子には小学校から空手をやらせた。空手・柔道・剣道・弓道など、日本の武道はいずれも武の精神を培う上で大きな効果がある。
ところが、武道は徐々に廃れ、武道と暴力が混同されるようになってしまった。だからこそプロボクシングの世界にも出鱈目な選手が出るようになり、国技である相撲でも、ただ勝ちさえすればよいという風潮が強まり、「礼」をはじめとする本来の精神が軽視されるに至ったのだ。これも日本社会の幼稚化現象の一つだ。
終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、武道を「愛国イデオロギー」と結びつけ、日本の学校教育で武道を禁止してしまった。しかしその後、一九五八年の中学学習指導要領で、相撲・剣道・柔道などの武道が選択科目として採用されて復活したのはいいが、選択制なので武道を経験しないまま卒業する生徒も少なくなかった。
だが、二〇〇六年十二月、安倍内閣で成立した改正教育基本法には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」との目標が盛り込まれ、ようやく変化が出てきた。そして翌年九月、文部科学相の諮問機関・中央教育審議会の専門部会で、中学校の武道必修化の方針が了承された。
これは、大きな前進だ。日本には道場をはじめとする設備も指導する人材もあるのだから、それを最大限活用するべきだ。
●幼稚化の原因
日本には武の精神の核心に関わる、独特の死生観がある。中国人の死生観は「不老長寿」という言葉に示される通り、いつまでも生き続けたいという考え方である。道教は仙人思想、つまり「永遠に死なない」という思想である。
これとは対照的に、日本人の死生観は「命とは儚いもの」という考え方だ。桜のようにぱっと咲いて、ぱっと散ることに美を見出す。だから、「どのようにきれいに死ぬか」、つまり死に際を重視する。だからこそ、日本人は志のために自分の命すら犠牲にできるのだと考えられる。
神風特攻隊に象徴されるような特攻精神を美化するかどうかは別として、それが普通にできるのは日本人だけなのではないか。同じことは決して中国人にはできない。日本人のようなことを、恐らく他の民族は真似できないだろう。それは、日本人に備わっている遺伝子であり、それが独特の死生観にも表れているということである。
武士道精神もまた、この日本人の死生観があってこそ成り立つ。「ノーブレス・オブリージ」(高貴なる義務)という考え方が日本人に受け入れられるのも、その死生観と関わっている。
では、日本の幼稚化が深刻化し、目標とする国家像が「ディズニーランド化」した原因はどこにあるのか。
もちろん、東京裁判史観の注入に始まる占領政策、戦後憲法、日教組による教育支配といったことが要因として挙げられるが、もっと深い原因は、日本人の潔さにあるのではないか。
潔いがために、日本人は戦後「負けたのだから、弁解しない。いかなる罰も甘んじて受ける」という方向に向かってしまった。「戦前の善はすべて悪」というような極端な戦後日本の世論には、諦観というか、宿命としていかなる事態も潔く受け入れるという、日本人の性格が大きな影響を与えたと考えられる。皮肉にも、日本人の一番良いところが、一番悪い結果をもたらしてしまったわけだ。
こうして「なぜ負けたのか。負けないために何が必要だったのか」を議論することがタブーとなってしまった。失敗の原因を分析し、そこから教訓を導き出すことは、大きな知的財産をもたらすはずである。
しかし、日本人はそれを放棄し、「二度と戦争を起してはならない」だけが考えるようになり、日本を間違った方向に追いやってきた気がしてならない。
●国家変革の意志が希薄な日本の知識人
幼稚化はリベラル派や左派の堕落によるものなのだろうか。残念ながら、左派、右派を問わず堕落してしまったと私は思う。右派の堕落によって、目的を達成するための有効な運動も展開されずにいる。
保守派論客といわれる人たちはそれぞれに優れた専門家で、歴史の非常に細かい部分に及ぶ広範な知識を持っていて、それを論じることはできる。現状に対する批判能力もある。しかし、日本が何によって動かされているのかという本質を見抜く力が弱まっているのではないか。世論を喚起するためにどうしたらよいかなど、力点がどこかが明確になっていない。
また保守派論客は、雑誌に書き、テレビに出演し、講演をするが、それで終わってしまう。影響力を行使して、国を変えようという意志があまり感じられない。
憲法改正、自主防衛路線をはじめ、保守派が掲げている目標は間違っていない。保守派陣営はいま一度、運動を実らせるための戦略は何か、手法は正しかったのか、組織は十分だったのかを検証し、運動に若い世代を取り込んでいく必要がある。
●変革を迫られる日本
あらゆる国に栄枯盛衰がある。日本の幕末は財政的にも厳しく、腐敗もあり、対外的にも危機の時代だった。有能な人材がたくさんいたが、その能力を発揮できない状況に置かれていた。だが、それにもかかわらず、好機を掴んで明治維新という改革に成功した。
いま、日本を取り巻く世界全体が不安定な時代に突入しつつある。日本はこの国際的環境の変化をチャンスととらえるべきである。安定した時代には、むしろ改革は難しい。改革は不安定化した状況の方がやりやすいのだ。
世の中を大きく変えるエネルギーには三つある。すなわち戦争、天災、疫病だ。現在、このいずれもが近づきつつある兆候が見える。
台湾有事と言われるが、実は台湾有事という戦争を最も恐れているのは中国人だ。戦争になれば中国経済は崩壊する可能性が高い。もともと中国人には国家天下などはどうでもよく、自分と自分の一族郎党の利益と安全を優先させる考え方が強い。
現在の中国共産党指導者はみな大金持ちであり、彼らの子女はほとんどアメリカという安全な場所に住んでいる。彼らは株も大量に所有している。彼らが恐れているのは株の大暴落である。戦争の噂だけでも彼らの資産は減少する。
日本人であれば、天下国家のために戦争をするかもしれないが、もともと中国人は極めて現実的な民族だ。「台湾が独立するなら戦争をやる」と口では言っているものの、毛沢東時代なら、人口が半減しても戦争をやるという考え方もあったが、もはやそうではない。
しかし現実は、尖閣や南シナ海域において限定的な軍事衝突の可能性が高まりつつある。
また、中国では大気や水質の汚染だけでなく、失業率の上昇や格差拡大の問題が深刻化し、農村部の暴動も頻発している。だからこそ、中国は政権維持のために経済成長を続けなければならないが、そのためには資源・エネルギーの消費がさらに拡大し、その争奪戦が激しさを増す。不安定要素は山ほどあるのである。こうした不安定要因は、日本の変革を促すことになるだろう。
日本はいまこそ幼稚化に歯止めをかけ、武の精神を回復し、本来の姿に立ち戻るべきである。それは一刻の猶予も許されないのである。