「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)
中国には「吊書袋」という言葉がある。それは他人の著作や経典を会話やスピーチの中に頻繁に引用して自分の博学ぶりを自慢することである。ご多聞に漏れず、「吊書袋」をする人間ほど無学な輩である。習近平もその一人だ。例によって彼の新年の辞で、またも「吊書袋」して世界中の人々に自分の博学ぶりを見せた。
彼は新年の辞で、「底辺の人間の生活が私の一番の気がかりである。彼らが良いものを食べられるか、よい服を着れるか、良い住まいで安住できるかということだ」といい、「安得広廈千万間、大庇天下寒士俱歓顔」(どうやって千万間もある大邸宅を手に入れようか。大いに天下の貧乏人たちをかばっていっしょに笑い合いたいものだ)という杜甫の詩を引用してみせた。
しかし、習近平の腹心である北京市党委書記・蔡奇が「低端人口」(低レベルの住民)の住処を強引に取り壊し、彼らを北京から追い出したのは、つい最近のことである。首都北京でこのよう大がかりなことやることは、当然習近平の了承なしではできないことだ。数百万にも上る北京の「低端人口」が、ぼろ屋に住むことさえも許されないのに、「千万間の大邸宅」とは悪い冗談でしかない。
新年の辞を書いたスピーチライターが果たしてこの詩を理解しているかどうかは分からないが、はっきりしているのは、習近平は絶対杜甫のこの詩を読んだこともなければ理解したこともないということだ。そもそもこの詩「茅屋為秋風所破歌(茅屋
秋風の破る所となる歌
)」は、杜甫が自分の困窮ぶりを嘆いて書いた「辞世の句」とも言える作品である。だから彼は「嗚呼何時眼前突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足」(ああ、いつこのような住処を見ることができるだろう。私のぼろ屋は凍死しても言うことがない)とこの詩を締めくくったのである。国民に希望を与える「新年の辞」に、凍死寸前に書かれた辞世の句を引用する指導者は世の中に果たして何人いるか。
一つ分かるのは、杜甫が黄泉の国で泣いていることだ。
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