【左翼始動】大江健三郎が台湾へ「贖罪の旅」/「親中反日」姿勢に反響様々

大江健三郎氏の台湾訪問で更に明らかになったのは、ノーベル平和賞の権威を利用しながら平和主義を掲げ、中国軍国主義に奉仕するのが日本の左翼に見られる特殊心理だということです。強いものに媚びて弱いものをいじめたがる心理ともいえるでしょう。

これが台湾併呑を目論む中国の利用するところとなりつつあるようです。

               「台湾の声」編集長 林 建良(りん・けんりょう)

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以下はブログ「台湾は日本の生命線!」より転載
ブログでは関連写真もある。↓
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大江健三郎が台湾へ「贖罪の旅」/動き出した左翼―「親中反日」姿勢に反響様々

 
■台湾でノーベル賞受賞作家として歓迎された大江氏 

大江健三郎氏が十月五日に台湾を訪問した。ノーベル文学賞の受賞者の来台とあって、同国内では大きな注目を浴び、台北市内の書店で開かれたサイン会など、開場の一時間前には数百人の長蛇の列ができるとの盛況ぶり。

またマスコミ各社の報道では、「一生涯、反戦を堅持している」などと、日本の「過去」を「反省」する大江氏の姿勢を称える論調が目立った。

沖縄集団自決訴訟についても、「七百人の沖縄市民が日本軍によって自殺に追い込まれた史実の追及まで行い、戦争が日本人に与えた傷を反省したのだが、軍人の遺族や右翼団体から訴えられている」などと大江氏を無批判に同情している。

なかには「大江氏は日本社会における反省力の代表だ。では台湾の反省力はどこにあるのか。新移民などを除外しようとしたことを誰も認めようとはしていない」と言うものもあった。

ここで言う「新移民」とは戦後蒋介石とともに台湾へ逃れてきた中国人(外省人)のことだが、こう報じる記者は間違いなく、その外省人だろう。台湾人は彼らの支配下に置かれて迫害は受けても、その寛容な民族性から、彼らを疎外したことなどない。

それにもかかわらず、民主化で特権的地位を奪われた外省人は被害者意識を抱き、「我々は疎外されている」と訴えだしたわけだ。しかしそれが事実なら、なぜ外省人の馬英九が政権を取れたのだろうか。

このように中国人にとって「反省」とは、敵に要求するものである。台湾人も大江氏のように、中国人に従順ならどれほどいいだろうと思ったに違いない。

■左翼ならではの言い訳―「台湾へ行く勇気がなかった」

もっとも、こうした一部の在台中国人は別としても、台湾人は反日歴史観で愛国心を確認する中国や韓国とは異なり、歴史を冷静、客観的に見ることができる人々であるのだが、それでもやはり日本の「過去」を否定的に見るのはなぜかと言えば、先ず挙げられるのが国民党独裁時代の反日教育の影響だろう。しかしやはりそれより大きいのは、日本自身が進んで「過去」を否定していることではないだろうか。

だからもちろん大江氏の「反省」姿勢は無批判に受け入れてしまう。彼が日本社会で「左翼」と言う反日的な特殊政治思想の持ち主であるなどとは思いも寄らないことだろう。むしろ日本の良心を代表する偉人だと信じて疑うまい。何しろ彼は「ノーベル文学賞作家」なのだ。

六〇年代からたびたび中国を訪問しながら、台湾訪問は初めてと言う大江氏は現地で、「これまで台湾を深く理解する時間がなかったことが残念だ」と述べた。

いかにも中国にシンパシーを抱いてきた左翼知識人らしい言葉である。政治的な配慮で国民党独裁時代の台湾を反共の島として敵視し、民主化以降も台湾への無視、無理解を続け、今になって台湾を訪問する機会が訪れ、その民主主義社会を肯定せざるを得なくなるとの例はよくあることだが、大江氏自身によれば、決してそういうことではないそうだ。

こう「告白」している。

「台湾訪問が遅れたもう一つの原因は、これまで台湾人民に真向かう勇気がなかったからだ。なぜなら日本社会は軍国主義時代の両岸人民に対する行いに対し、いまだ深く反省し、負うべき責任を負おうとしていない」と。

「両岸」と言うのは台湾海峡に位置する台湾と中国のこと。もともとは台中は同じ国であるとし、「台湾と中国」と言えない政治的立場の者が生んだ言葉だが、それはともかく、大江氏は今回の訪台を「贖罪の旅」とも位置づけていたそうだ。

だが反日的な中国へはこれまで七回も行っているらしい。二〇〇六年に訪中した際には、会見した李長春政治局常務委員から「大江先生は中国人民の古い友人。第一回目の訪中では毛沢東主席、周恩来総理、陳毅副総理など老世代の指導者とも会っている」と言われ、「中日両国人民の相互理解を深め和解を達成させるため努力を続けてきた」とまで称えられている。

その大江氏が親日的な台湾へ行くことには「勇気がなかった」と言うのもおかしな話である。

■大江自身が仕組んだ台湾と中国の「学術交流促進」のシンポ

この「贖罪」をかねた旅には、もう一つ大きな目的があった。

それは六、七日に開催されたシンポジウム「国際的視野の中での大江健三郎文学」に出席するためだ。

これは台湾の中央研究院と中国の社会科学院の共催によるもので、大江氏の要請で実現した。台中の「学術交流の促進が目的だ」との報道も見られた。

大江氏は社会科学院とはかねてから提携関係がある。そこで大江作品を台湾に紹介してきた藤井省三氏を通じ、中央研究院と連絡をつけたのだそうだ。

ところが大江氏が台湾へ到着すると、シンポを巡る二つの噂が問題となった。一つは東京大学が協力団体から降りたこと(「国際」から「両岸」に限定)。もう一つはシンポで大江氏との対談が予定されていた台湾の作家、李昂氏が参加を取り止めたこと。それぞれが中国の圧力によるものだと言うのである。

大江氏自身は、「台湾のどの作家が参加しようと意見はない」「対談相手として指定したのは大陸の莫言氏だけ」と説明している。一方、李昂氏は「恩人である藤井省三氏が参加しないことを知ったので、自分も取り止めた」と話す。

■大江氏の言動の矛盾を見事に突いた台湾人の新聞投書

いずれにせよ、従来台湾無視を貫いてきた大江氏が、ここに来て「両岸」を接近させることに動き出したわけだ。「ノーベル文学賞作家」として台湾人の信頼を受けながら…。

シンポでも、主催者が「両岸」との言葉を使用することを評価している。「両岸の文学には同じような関心がある」として。

そのような大江氏の言動の本質を突いたものに、自由時報に掲載された汪安台氏(自由業)の投書がある。タイトルは「大江の光環と盲点」。下に全訳しよう。

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ノーベル賞受賞者の日本の小説家、大江健三郎は、来台して文学学術シンポジウムに参加したが、「第二次大戦に関する贖罪」を口にしながら、しばしば親中言論を発していた!民進党議員の管碧玲は「台湾で著名な本土派作家の李昂がシンポから排除されたことで、大江健三郎の来台の意義は大きく損なわれた」と指摘している。

一九四五年、台湾はまだ日本の領土で、米国が広島に原爆を投下し、日本を無条件降伏させた。最近では中華人民共和国が成立六十周年を記念する閲兵式を行たが、それは示威を目的とするものでもあった。大江健三郎はこの大国の武力の乱用を非難しないのはなぜなのか。全世界の平和が、まさに中共のために危機に直面していることを本当に知らないのか。

大江健三郎は日本人でありながら、敢えて中国を批判せず、ただただ日本の「羞恥」と「罪悪」だけを語っている。まさか内心で自分にはノーベル賞をもらう資格などないことを認めているのではないか。

筆者が疑うのは大江健三郎の才能ではなく、母国文化の滋養を敢えて肯定しようとしないところだ。ノーベル賞の受賞者には正確な世界観と国際的視野が求められているはずだ。それて初めて民主主義とそれに見合った使命感を理解することができるようになるからだ。
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■中国の「宣撫工作員」―日本の左翼が台湾へ

このように、どうも台湾人には、日本の左翼の親中反日姿勢、言い換えれば矛盾だらけの贖罪意識の実態が見て取れるようだ。

日本人はやはりこのような人々には、堂々と歴史の真実を伝えて行くべきではないだろうか。誠意を込めて真実を語れば、それを理解できるのが台湾人なのである。そこが台湾人と中国人との大きな違いの一つでもあるとも言える。

さて、大江氏のような左翼が台湾で行ったのは、明らかに中国の台湾併呑への文化面での協力であるが、そこには日本の過去の歴史の否定宣伝を通じた反日意識の拡大工作も含まれているような気がする。

なぜなら国民党であれ中共であれ、台湾人に中国人意識を扶植するために実際に行ってきたのが、反日歴史の教育なり宣伝だったからだ。

中国の「宣撫工作員」と言った役割を果たしてきたのが日本の親中左翼の知識人たちだ。大江氏などはその経歴から見ても、宣撫工作員としては格好の存在だろう。従来は日本国内で反日史観を拡散してきた彼らだが、国民党政権の発足で、いよいよ台湾併呑実現の可能性が高まる中、そちらの工作にも担ぎ出され始めたと言うところか。

日本の一般国民の知らないところで行われるこうした動きには注意が必要だ。そうしなければ何も知らない台湾人には警告の出しようもない。


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