【台湾鉄道】観光スポットになった旧山線

【台湾鉄道】観光スポットになった旧山線

メルマガ「遥かなり台湾」より転載

             KISO

台湾縦貫鉄道には山線と海線があります。台中に来るには山線に乗らなければ
なりません。台中県と苗栗県の県境にある三義駅〜后里駅間が全線電化に伴い、遠回りとなる旧山線を切る捨てる形で最短距離の新山線ができ、「旧山線」は1998年以降電車が通らなくなり、旧山線沿線は没落するかに思われました。

でも廃線なったこの旧山線には台湾鉄道で標高が一番高い駅(勝興駅)や付近に
ある龍騰断橋は観光スポットとして人気があり、土日の休みの日には観光バスやマイカー族が押し掛けていて観光の穴場的存在だったのです。また昔からある建築や鉄道、遺跡などが脚光を浴び、廃線ブームやレトロブームを反映してこの区間を将来観光路線として売り出せるかどうか試運転計画が進んでいたのです。

そして廃線13年目にして、ついに今月5日に数百名の乗客を乗せたSL機関車(C
K124)がこの13キロちょっとの旧山線を走ったのです。久しぶりのSLの雄姿を見ようと地元の人たちを始めSLマニア、鉄ちゃんなど内外から多く駆けつけました。また線路に平行して走る道路にはSLに乗りたくても乗れなくあきらめきれない人たちがクルマやオートバイで追いかけていました。

旧山線に今月から8月までに復活して運行される列車は、SL(CK124=C12形)で運
転される列車と、通常のディーゼル機関車で運転される列車とがあります。といっても台湾鉄道が今後営業再開するわけではなく、三カ月間の試運転の様子を見て、今後は早くても来年暮れに民間に移譲して観光路線として運営する方針だそうです。
ちなみに三カ月間運転される日は次の通りです。

蒸機CK124で運転される列車

(1)運転日
6月5、9日(午前・午後各1往復)
7月7、14、21、28日(一日一往復)
8月4、11、18、25、29日(一日一往復)
(2)運転区間:三義〜泰安
(3)5月31日より発売開始
(4)運賃399元(CK124蒸機列車乗車証明書を含む)

ディーゼル機関車で運転される列車
(1)運転日:7月5日〜8月27日、月曜および金曜、午前・午後各1便、全車自由席
定員400名
(2)運賃往復100元,片道5元。

旧山線に若かりし頃蒸気機関車に乗ったという84歳のおじいさんに記事を見せる
と「当時十六?駅と呼ばれていた駅の前後にはトンネルがあって、このトンネルに
入る前にすべての窓を閉じないと車内に煙が入ってくるんだよ。でも乗客の乗ってない車
両の窓まで閉めるのが間に合わなくて、いつも顔が煤(すす)で真っ黒になってね。」と懐かしそうに語ってくれました。

旧山線の紹介

●勝興駅〜1906年(明治39)に建造され、当時は十六?駅と呼ばれていました。
標高が海抜402mあり、ホームには記念碑が建っています。駅舎は「虎牙式」と呼ばれる魔除け作用のある日本式木造建築です。駅構内には日本時代の設備がたくさん残っていており、1999年に苗栗県から古跡指定を受け歴史的観光文物として保護されています。

●龍騰断橋(りゅうとうだんきょう)〜戦前は魚藤坪断橋(ぎょとうへいだんき
ょう)と呼ばれていました。(地名の由来)古くは「魚藤坪」と呼ばれた龍騰は、開墾当初、池の鯉のヌシに祖先が苦しめられたと伝えられる場所です。この鯉のヌシの悪事を防ぐため、龍騰山に魚藤(デリス)を植え、また東の山を関刀山と呼ぶようにし、この山の刀で魚藤を切り、魚藤の毒で鯉のヌシを退治しようとしました。ついにヌシもおとなしくなり、安心して暮らせるようになったとのことです。

この橋は1906年に完成した全長200メートルのレンガ製のアーチ橋です。1935年4
月21日の明け方発生した大地震で台中線区間は震源地に近かったこともあり、七つのトン
ネルと三つの橋梁が瓦解し鉄道施設なども甚大な被害を受けたのです。この橋も破損して壊れた橋(断橋)となったのです。その後、その西側に新しい橋がかけられましたが、断橋は、長年の風雪に耐え、1999年の921大地震によって更に一部が崩壊するなど、二回にも及ぶ地震の痕跡を今もとどめていますが、「台湾鉄道芸術の極み」と称せられるだけあってその美しさは決して衰えておりません。

●泰安駅〜1937年(昭和12)に建てられ日本時代は大安駅と呼ばれ、当時として
は珍しい地下道のある駅舎。構内に台中線震災(1935年)の復興記念碑が建てられています。

記憶苗栗旧山線 http://lib.mlc.gov.tw/webmlr/Remembrance1.asp#ftop


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