(世界日報 2016年4月3日(日曜日)付)より転載
平成国際大学教授 浅野和生
「台湾国民党に初の女性主席」とは、3月27日の読売新聞朝刊が9面で、国民党主席選挙の結果、洪秀柱が、1919年の結党以来初の女性主席に選出されたと伝える記事の見出しである。
この記事は、党主席候補は4人いたが、実際には、戦後に台湾に渡ったいわゆる「外省人」グループ出身の洪秀柱と、台湾の「本土派」グループ代表の黄敏惠との一騎打ちだったと解説した。また、今後は党勢挽回のための重要な時期だが、国民党内で両派の「水面下の争いが激化しそうだ」と結んでいる。果たしてそうだろうか。
1919年10月10日、中華革命党から中国国民党が成立した。国民党は、中国大陸において、軍閥割拠だった中国を統一すべく結成された「中国国民党」なのである。同党政府は、1945年から日本に代わって台湾を統治するようになったが、1949年の国共内戦で敗北すると、中国大陸から台湾に逃れた。それ以後、蒋介石は「大陸反攻」「復興中華」を掲げ、中華民国による中国再統一を目指したので、「中国国民党」を「台湾国民党」に改名したりはしなかった。今でも国民党の正式名称は中国国民党である。
1月の総統選挙と立法院選挙での蔡英文民進党の圧勝は、台湾の主流の民意が「台湾は台湾であって中国ではない」ことを示した。しかし国民党は、中国は一つであり、台湾はその中国の一部であるという立場に固執しており、名実ともに「中国国民党」なのである。
「台湾国民党」は無い。
次に、国民党主席選挙において、洪秀柱は、いわゆる「外省人」グループの、黄敏惠は台湾「本土」グループの代表であったのだろうか。
昨年7月、立法院副院長の洪秀柱が、党全国代表大会で国民党公認の総統候補に正式に選出された。ところで洪秀柱は、馬英九政権主流派より中台統一寄りの、いわば国民党基本教義派である。その発言のために、惨敗を危惧した国民党立法委員等が「洪秀柱降ろし」に動いた。こうして急遽、10月17日に国民党臨時全国代表大会が開かれたが、出席した代表891人のうち812人が洪秀柱の公認取り消しに賛成した。代わりに朱立倫が公認候補となったが、正式の党公認候補の差し替えは史上初である。
さて、1月16日夜、総統選挙に敗北した国民党主席の朱立倫が党首辞任を表明すると、次期党主席に最初に手を挙げたのは洪秀柱だった。これに対して、党主流からは前台北市長で党副主席だったカク龍斌が立候補の意思を示した。カク龍斌といえば、元参謀総長、行政院長(首相)という経歴の父を持つ外省人グループの有力者である。
しかし、今回の立法院選挙で落選して副主席を辞任したばかりのカク龍斌が、主席選に立候補するのはいかにも不適切である。立候補登記の1月27日、午後4時届出締切りだったが、2時過ぎになって、カク龍斌は立候補取りやめを表明、その同時刻に党代理主席の黄敏惠が立候補を届け出た。
黄敏惠は、1月18日に、主席選挙の行司役として国民党代理主席に任命されていた。それが急遽、カク龍斌の代わりに、国民党主流派の代表として立候補させられたのである。いわば行司役が相撲をとることになったのだ。
それでは、国民党主流の立場とは何か。馬英九の路線は、中国との妥協線を探りあて、経済交流を深めながら台湾としての独自の存在を維持しようという中台併存の「現状維持」路線である。しかも、大勢が変われば、正式の党全国代表大会の決定を平気で覆した。いわば、ご都合主義で原則軽視の世俗的権力追及派である。
ところでなぜ主流派は非主流派の洪秀柱に負けたのか。これは、国民党員の構成に理由がある。国民党の発表によれば、有権者党員は337,351人で、今回投票したのは140,358人、投票率は41.61%と低かった。多くの一般党員は、主席選挙の経過と候補者の顔ぶれに党再建の希望を感じず、投票に出向かなかったのではないか。
洪秀柱の得票率は56.16%だったが、投票した者78,829人、有権者党員の23.37%に過ぎない。もともと、国民党には、いわば基本教義派である黄復興党部グループが9万人ほどいる。彼らの多くは忠実に党主席選挙に参加した。洪秀柱はこの票で勝ったのだ。
つまり、今回の国民党主席選挙では、国民党内の「外省人」グループと「本土派」が戦ったのではなく、党内基本教義派グループと世俗的権力追及派グループの戦いで、基本協議派が勝ったということである。李登輝総統の手で民主化が達成されて25年余り、国民党内の派閥構造は大きな変化を遂げている。
さて、5月20日には民進党の蔡英文が新総統に就任する。つまり、国民党は権力の座を去るのだが、基本教義派は世俗派に対して求心力を持ち得るだろうか。そして中国国民党は、結党百年の日を迎えられるだろうか。