日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載
迫田 勝敏(ジャーナリスト)
一昨年暮れ、北朝鮮の金正日総書記の死去に始まった東アジアの最高指導者人事は台湾
(1月)、香港(7月)、中国(11月)、そして年末の日本、韓国と回り、台湾を除いて新
しい顔ぶれとなった。対する台湾は馬英九総統の再選。とくに対中関係では現状維持を望
んだ結果というが、果たして現状維持できるのか。台湾社会は内部からじわじわと変わっ
ているようにみえる…。
◆「現状維持」と「変わらない」
中国の習近平体制の発足で台湾の多く専門家は、中国の対台湾政策は変わらないだろう
とみている。しかし「変わらない」は、現状維持とは違う。中国が統一を目指す方針に変
わりはないということで、今の状態がずっと続くということではない。
「いや、攻められましたよ。どうなんだって」と、習近平体制発足後、学術交流で訪中
した台湾のある学者が話していた。先方の学者との懇談で「政治協定はいつ締結するん
だ? あれだけ応援して、当選できたのに、なぜやらないんだ」と、政治協定締結を執拗
に求めてきたというのである。
中国は経済協力枠組み協定(ECFA)で市場を統合したら、次は政治協定で政治統
合、つまりは統一を目指すと観測されてきた。だから総統選挙の最中の馬総統は、中国の
支持を得たいがためか、政治協定の締結を言い出した。その後、世論の反発や、中国側も
薄煕来事件もあって政治協定は一時延期になっているが、統一に向けた動きは止めたわけ
ではない。その一つの証拠が、パスポート問題だ。
◆中国旅券に台湾観光地も
中国は昨年から発行している新旅券にベトナムなどと係争中の南沙諸島、さらにインド
との係争地も点線で囲み、中国の領土と描いている。もちろん、台湾も点線の中。ご丁寧
に台湾の日月潭と花蓮の清水断崖も中国の観光地として紹介されている。
当然、関係国は怒った。そんなパスポートを持った中国人の入国を認めれば、係争中の
地域を中国領と認めたとされかねない。ベトナムやフィリピンはパスポートへの押印を止
め、別紙で査証を交付、インドは査証に係争地をインド領とした地図を押印しているという。
では台湾は? 台湾に来る中国人はパスポートでなく入境許可証。だから台湾が中国領
になっているパスポートに押印する必要はない。だからというわけではないだろうが、台
湾政府は一応、中国に抗議したというだけ。だが、少数とはいえ、第三国経由で来る中国
人は台湾を中国領とした新旅券で来る。そのとき台湾は「黙認」になる押印をするのだろ
うか。
なんの手も打たない政府に変わって民進党が中国に対抗して台湾のパスポートに英文で
「台湾は私の国」と書いた貼紙をカバーに付け、世界に訴えようとしたところ、政府は
「違法」とクレーム。結局、法的には問題ないとなり、大人気。民進党は貼紙の増刷をし
ているが、政府としてはやはりなんの対抗措置も取っていない。
◆静かに進む文化の一体化
台湾の中国工作専門家に聞くと、中国の対外工作は「軟土深耕」とか「軟土深掘」とい
う。軟らかい土は掘れ。つまり相手が弱ければ、どんどん攻める。「止めろ!」といわな
ければ、次は「得寸進尺」、つまり一寸を得たら一尺を取れとさらに突き進んでくる。今
の中国の対台湾工作を見ているとまさにその通りに進んでいるようにみえる。
台湾の大学はいまではどこにも中国人学生がいる。その中国人学生に健康保険も与えよ
うとしている。これまで制限してきた中国人花嫁の身分証も今年からは他の外国人同様、4
年で取得できるようにする。経済建設委員会が計画している「自由経済示範区」では中国
人労働者の受け入れも検討している。観光客だけではない。台湾に住む中国人が増えてき
ているせいか以前はほんの一部の書店にしかなかった簡体字の本が普通の本屋さんでも見
かけるようになった。文化弁事処の相互開設も議論になっている。
メディアの問題も気がかりだ。売却された壹周刊や蘋果日報を発行していた壹傳媒集団
の買主の一つに中国寄りの企業があることを若者たちが問題にし、反対運動が起きてい
る。懸念は無理もない。中国に復帰してからの香港のメディアはほとんどが親中派にな
り、メディアのトップは中国の政協委員のポストを得ている。台湾の新聞社の社長が中国
政協の委員なんとことになりかねない。
◆「寸を得たら尺に進む」中国
政治協定の締結をしなくとも台湾の社会、文化は中国との一体化が静かに、着実に進ん
でいるようにみえる。中国との関係をどう位置付けるか、長期的なヴィジョンを明確に打
ち出さない限り、静かな一体化は今後も続くだろう。「現状維持」は「変わらない」と同
義語ではない。一寸を得た中国は一尺を求めているのだから。(了)