「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より転載
日本の兵法書にこんな名著的古典があったのか
日本流の「孫子」=『闘戦経』は九百年前から存在していた
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家村和幸編著『闘戦経 武士道精神の原点を読み解く』(並木書房)
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日本に『孫子』が紹介されたのは早い時期だったが、秘匿され禁書扱いだった。戦国時代後期、孫子を愛読してやまなかったのは武田信玄、つぎは徳川家康だったと伝わっている。孫子は覇道、勝つためには何をやっても良い。騙すテクニックが書かれており、これは日本人のマナーとは異なり、感性が合わない。つまり、孫子は日本でケミカル・リアクションがなかった。
和を尊ぶ我が国の風土、人情と肌合いがあわなかったのである。
そして九百年前に、孫子を止揚した日本的武道、戦略指南書が書かれた。それが、この書物『闘戦経』だ。
編者の家村氏はこう言う。
「孫子は詭道であり、日本人本来の精神的な崇高さや美徳を損なう懼れがある。『闘戦経』は孫子を補うために編み出された日本的兵法である」と。
これを拳々服膺したのが楠正成であった。
「今から九百年前、当時の日本における兵法の第一人者であった大江匡房が著した兵法書『闘戦経』は「孫子」「呉子」など日本とは国情を異にする随や唐から伝来した兵法を補うため、日本に古来から伝わる『武』(これを匡房卿は『我武』と表現している)の知恵と精神を簡潔にまとめた書物である」。
孫子のヨーロッパ版はマキャベリ『君主論』、クラウゼウィッツ『戦争論』があるが、基本は社会基盤が一神教であることと深い関係がある。
「戦争と戦争のあいだのつかの間の休息が平和」(クラウゼウィッツ)という発想になりがちである。
そして編者はこう言う。
「今、世界を席巻している西欧的、一神教的な思想や価値観ではこの『戦争』は永遠に終わることがないだろう。なぜか、それはこの思想の価値観が『唯一絶対の善』と『唯一絶対の悪』の存在を前提として、これを人間社会に実現しようとするものだからである。しかし、強くもあり、弱くもある人間には、『絶対の善なる個』も『絶対の悪なる個』も存在しない。存在しないものを存在すると信じ込ませるものは偽りである」
まことにまことに目の覚める兵法思想の展開がある。
『闘戦経』に曰く。
――軍なるものは進止ありて寄正なし
――兵者は稜を用ふ
――儒術は死し謀略は逃る。貞婦は石となるを見るも、未だ謀士の骨を残すを見ず
思えば日本的なるものの価値観は戦後長きにわたって顧みられなかった。すべては欧米の価値観、西欧の文化崇拝が蔓延し、日本の伝統は廃れようとしてきた。たとえば音楽。仏教音楽の最高峰は声明(しょうみょう)である。除夜の鐘の音は、どんな欧米のオーケストラにも引けを取らないほどに美しい。信時潔がいた。黛敏郎がいた。絵画をみよ。浮世絵はフランスの絵描き達に深甚な影響を与えた。江戸の思想家は世界の哲学の高みに伍せる。
この書物は孫子を日本流に置き換えた戦略戦術の指南書。これから復活して大いに読まれるのではないか。