「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より転載
いったい何が作用して中国人から道徳心を奪ったのか
忠義、至誠、仁義が喪失され、おそろしく動物的な最低の民に成り下がった理由は
宮崎正弘
朝起きてから寝るまで、生まれてから死ぬまで嘘をつくのが中国人のDNA、泥棒の現行犯でも、「いやオレは盗んでいない。この品物が勝手にオレの手の中に飛び込んできたのだ」と平然と言う。
或る電線工場。痩せた工員が帰りがけに太っているので訝しんだ係官が裸にして調べたらコイルを躰に巻き付けていた。とがめると「いや、これは勝手にオレの躰に絡みついてきたんだ」と嘯いた。
「嘘」という漢字こそあるが、中国語のそれは、日本語の『嘘』の意味がない。発音は『シー』である。意味は『静寂に』である。
では、日本語の言う『嘘』に該当する中国は何か? それは「詐話」か「詭話」と表現する。つまり全員が嘘つきのなかで、飛び抜けて嘘をつく人を指し、こういう人種があつまって競争を繰り広げているのが中国共産党である。
なぜ道徳、モラル、義侠心が失われたのだろう? 深い謎であるが、本書を読むと一刀両断、不可解千万の中国人とはいったい何か、よく分かる。
三世紀に漢王朝が滅亡して、魏呉蜀の三国志時代に多少はモラルが回復した時代がある、と陳氏は指摘している。
「義侠心あふれる人物や忠義を示す物語が次々と再現された。今も人々に愛読される『三国志演義』は中国人最後の美徳を記録したものといえる。劉備の仁義と慈悲、関羽の忠義、張飛の勇敢さ、梢雲の胆力と知謀、?葛亮の智恵と忠誠は代々語り継がれ、読み継がれ、永遠の傑作」(25p)だが、日本人の誤解は、この価値観が現代中国にまだ生きているという錯覚である。
とうに道徳は死に絶え、「中国の歴史は正義が悪に勝つことはなく、最後はいつも悪が正義に勝ち、腹黒さが忠義に勝るのである」。
つまり『三国志演義』は「中国人最後の美徳記録」でしかない。(しかしついでに書くと三国志演義は小説であり、史実ではない)。
そして最悪の共産党が天下をとって、モラルは完全に中国で死滅した。
そう、「完全に」である。
「富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈、此之謂大丈夫」(富有になっても正常であり、貧しても姿勢を貫き、暴力に屈せず、権力にひざまずかない。こういう人を大丈夫という)と孟子は教えた。
だが現代中国には、こうした「精神が、破壊され尽くした。中国人は徹底的に敗北し、まったく違う民族に入れ替わった。徐々に勇気と鋭気、独立した思想や想像力を喪失していっただけでなく、さらに独りよがり冷酷非情、魂を失い、目先の私利だけを求める民族に落ちぶれた」のである。(205p)
著者の陳氏は天安門事件の指導者、投獄歴二回。その後、米国へ亡命した。本年6月4日の『天安門事件25周年東京集会』には米国から駆けつけ、石平氏とともに記念講演をした。凄まじい批判だが、本質であり、中国人である陳氏が中国の本質をえぐった、そのペンの勇気を称えたい。
訳文も歯切れ良く、テンポが速く、洗練されている。