東京オリンピックが8月8日に閉会し、「チャイニーズ・タイペイ(中華台北)」の名称で参加した台湾の名称問題が再び浮上しています。
8月6日付の台湾の中央通信社は「1968年メキシコ五輪の銅メダリストで元立法委員(国会議員)の紀政氏は5日までに、2024年のパリ大会に『台湾』名義で出場申請することの賛否を問う国民投票の実施を目指す活動を来年にも始めたい考えを明らかにした」と報じるとともに、元行政院長の游錫●・立法院長がインターネット番組に出演した「5日、名称変更を支持する姿勢を表明した上で、名称変更に向けた取り組みは必ずやらなければならない」と述べたことを紹介していました。(●=方方の下に土)
このような機運が再浮上してきた理由として、まず本誌でも紹介した「台湾制憲基金会」の世論調査で自分を「台湾人」と認識している人が67.9%にも上っていることが挙げられるかと思います。台湾人という自覚は台湾防衛のために戦場に行くという意識にも結び付き、実に台湾人の64.3%が台湾のために戦うことをいとわないとの調査結果をもたらしています。
このような台湾人アイデンティティの高まりを背景に、「チャイニーズ・タイペイ(中華台北)」の名称で参加した台湾が、開会式では50音順で中国よりも先に入場し(大会委員会は「台北」と説明)、NHKのアナウンサーが「台湾です」と放ったこの一言が大きな衝撃を台湾にもたらしました。
これに輪をかけ、台湾はオリンピック史上最多となる12個(金:2、銀:4、銅:6)のメダルを獲得し、全島がメダルラッシュに沸きました。
蔡英文総統はオリンピックで台湾選手の活躍ぶりをツイッターで「#TeamTaiwan」というハッシュタグ付きで祝福していたことや、頼清徳副総統もツイッターで「台湾代表チーム頑張れ」と呼び掛けていたこと、また、下記に紹介する「ニューズウィーク日本版」が紹介しているように、台湾メダリストたちがフェイスブックに「台湾の出身」や「(勝利を)母国台湾にささげます」などと投稿したことも、機運を盛り上げた一因かと思います。
加えて、台湾を自国の一部と主張し続け、台湾の国際機関への参加を妨害してきた中国による新疆ウイグル自治区での人権侵害や香港での民主派弾圧が問題視され、また南シナ海や東シナ海における覇権的行動が「台湾有事」や「日本有事」を想起させていることから、日米首脳会談やG7コーンウォール・サミットでは中国への「深い懸念」とともに「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」という文言が採択されました。
日米のみならず、英国や北欧を含むヨーロッパ諸国、オーストラリアやニュージーランド、インドに及ぶ国々で、安全保障の面から中国への「深い懸念」と「台湾海峡の安定と平和」がセットで共有され、世界が台湾を認識しはじめたということも大きな一因かと思います。
下記に紹介するニューズウィーク日本版の記事は「24年パリ五輪で、果たして『台湾』の姿は見られるだろうか」と結んでいます。
もちろん、「台湾」名で参加する台湾選手たちを見たいものです。そのためにも、游立法院長が「名称変更に向けた取り組みは必ずやらなければならない」と力強く述べたように、台湾自身がまず「中華奧林匹克委員會」(ChineseTaipei Olympic Committee)の名称を改正し、日米が台湾名で参加できるよう牽引し、英国やEU、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどが賛意を示す形になることを願っています。
本会も引き続き「台湾正名運動」の一環として、台湾が「台湾」としてオリンピックに参加できるよう微力ながら力を尽くしたいと思います。
—————————————————————————————–台湾が「台湾」の名前で五輪に参加する日は近付いている【ニューズウィーク日本版:2021年8月17日】https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/08/post-96920.php
東京五輪で台湾の選手は大活躍した。バドミントン男子ダブルスとウエイトリフティング女子59キロ級では金メダルに輝き、国・地域別で22位となる12個のメダルを獲得。台湾史上、五輪で最高の成績を上げた。
しかし五輪の公式サイトを見ると、「台湾」選手の成績はどこにも載っていない。台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という名前で参加しているからだ。選手たちが掲げるのは、台湾国旗ではなく五輪マークをあしらった旗。表彰台で流れるのは国歌ではなく、台湾の「国旗歌」だ。
こうした措置は1981年に、台湾オリンピック委員会とIOC(国際オリンピック委員会)との間で決められた。当時は台湾(中華民国)がそれまで占めていた国際的地位を、中華人民共和国が次々と奪っていた時期だった。
この状況で台湾の選手が引き続き国際スポーツ大会に参加するには、台湾を独立国家と見なさない中国を刺激しないことが必要だった。こうして生まれたのが、「チャイニーズ・タイペイ」という妥協の産物だ。
以来、正式な国名を名乗れない台湾の人々は怒りを募らせ、この措置をめぐる論争が続いてきた。2018年には、国際スポーツ大会で「台湾」と名乗るべきかを問う住民投票まで実施された。
「台湾人は、国の代表として選手が競技に挑み、表彰台に上がるときにチャイニーズ・タイペイと呼ばれることを望まない」。こう明言するのは、元陸上選手で住民投票実施を主導した1人である紀政(チー・チョン)だ。
名称変更を声高に主張する人がいる一方で、国際大会からの排除を恐れて変更に反対する選手もいる。現政権も名称変更を積極的には主張しておらず、IOCもそうした訴えを慎むよう警告している。
◆報復で国際大会が中止
最大の「警告」は、19年に台湾の台中で開催予定だった国際スポーツ大会「東アジアユースゲームズ」が18年7月に中止に追い込まれた一件だ。住民投票を行ったことへの報復として、中国が組織委員会の中止決定を主導したとみられている。
中国で台湾政策を担う台湾事務弁公室は当時、「台湾独立分子の目に余る挑戦」が中止を招いたと主張。結局、住民投票は反対52%、賛成43%で改名は実現しなかった。
東京五輪では台湾の多くの人々が、「台湾」の名称を支持する道を選んだ。蔡英文(ツァイ・インウェン)総統は「#TeamTaiwan」というハッシュタグ付きのツイートで選手の活躍を連日のように祝福。開会式後にはフェイスブックに「台湾は世界の一員」だという内容も投稿した。
蔡は名称変更の是非に言及していないが、中国側は不満だったようだ。中国の台湾事務弁公室は「スポーツ大会で卑怯な手段を使って独立への動きを企てた」として、「一つの中国」の原則を強調した。
台湾の選手たちは堂々と主張している。バドミントンで金メダルを獲得した王齊麟(ワン・チーリン)は「私は王齊麟。台湾の出身」とフェイスブックに英語と中国語で投稿し、台湾国旗の絵文字を添えた。王とペアを組んだ李洋(リー・ヤン)も、勝利を「母国台湾にささげる」と投稿した。
改名の機運が再燃しそうな選手たちの大活躍。24年パリ五輪で、果たして「台湾」の姿は見られるだろうか。
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