KANO精神は台湾の誇り <特別対談> 李登輝vs魏徳聖 (上)

本日(1月24日)から李登輝元総統を感泣させた話題の超大作映画「KANO」が日本で公開さ
れる。北は仙台市の「フォーラム仙台」から、東京の「新宿バルト9」や「角川シネマ有楽町」、
南は福岡の「T・ジョイ博多」など、全国で公開だ。詳しくは公式サイトの「劇場情報」をご覧い
ただきたい。

 この映画の日本公開に合わせ、昨日、月刊「Voice」2月号の巻頭に掲載された李登輝元総統と映
画「KANO」プロデューサーの魏徳聖氏との対談「KANO精神は台湾の誇り」の全文も公開と
なった。

 本誌でもこの対談の全文をご紹介したい。ただし、14ページに及ぶ長い対談なので2回に分けて
ご紹介したい。

 先にこの対談のことを本誌で紹介したときに「お二人の気持ちが通じ合っていることがよく伝
わってくるからなのだろうか、なんとも言えない清々しさを覚える対談だ」と記したが、再読して
もその清々しい読後感は変わらない。お二人とも台湾が大好きだという気持ちが強く伝わってくる
し、目指す方向もよく似ているからだろう。

◆映画「KANO」上映館
 http://www.eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=296


KANO精神は台湾の誇り <特別対談> 李登輝vs魏徳聖 (上) 【月刊「Voice」2月号】  日本統治時代の台湾から甲子園をめさず球児たちの不屈の青春を描いた映画『KANO』が日本 で公開される。  この機会に、台湾を代表する映画監督であり、『KANO』の製作総指揮を務めた魏徳聖氏と李 登輝元総統の対談が実現。  日本人が忘れてしまった日台の歴史、そして絆がいま鮮やかに甦る! 魏徳聖(ウェイ・ダーション/Wei Te-Sheng)映画監督 1969年、台湾台南市生まれ。2008年に初の監督作『海角七号 君想う、国境の南』を発表。台湾で
歴代2位となる興業成績を収め、注目を集める。2011年、『セデック・バレ』を発表。2014年に台
湾で公開された『KANO』では製作総指揮を務めた。

李登輝(リー・テンフェ/Lee Teng-hui)元台湾総統

1923年、台湾・淡水郡生まれ。台北市長、台湾省政府主席、台湾副総統などを経て、88年、総統に
就任。90年の総統選挙、96年の台湾初の総統直接選挙で選出され、総統を12年務める。著書に、
新・台湾の主張』(PHP新書)ほか多数。

◆台湾野球の原点にあるもの

 魏 今回は李登輝元総統(以下、李元総統)と対談する機会をいただき、まことに光栄です。も
うすぐ92歳の誕生日を迎えられるとのことで、おめでとうございます。

 李 ありがとう。私は魏さんが手掛けた『KANO』をみたあと、感動のあまり泣いてしまって、そ
のことは台湾でもニュースになりました。子供たちと真剣に向き合うことで、弱小だった嘉義農林
学校(以下、嘉農)を甲子園の決勝まで導いた近藤兵太郎監督は、真の指導者だと思いました。日
本人、本島人(台湾人)、そして原住民からなるチームを一つにまとめ上げた手腕は、じつに優れ
ている。ちなみに嘉農が甲子園の決勝に進んだ1931年、私はまだ9歳の子供でした。ただ、台湾か
ら選抜されたチームが甲子園で強豪を次々と破っている、との報道を聞いて、大人たちに交じって
嬉しかった記憶があります。

 魏 当時まだ子供だった李元総統が嘉農の活躍をご記憶とのことで、少々驚いています。当時、
台湾人の野球に対する知識は、それほど深いものではありませんでした。嘉農の活躍は、まさに台
湾に野球が広がるきっかけとなったんです。

 当時のチームのエース、呉明捷選手は嘉農を卒業後、早稲田大学に進学し、六大学野球で活躍
(通算7本の本塁打記録は、1957年に立教大学の長嶋茂雄選手が8本の新記録を出すまで、20年間破
られなかった)。大学卒業後も台湾に帰ることなく日本でビジネスを手掛け、日本人女性と結婚
し、1983年に病死しました。私は呉明捷選手の息子を探し出しましたが、日本では呉氏がどんな人
物だったかを知る人は少なかった。これは意外に思うと同時に、残念に思いました。

 李 あなたがいいたいことはよくわかります。戦後の日本人は、台湾と日本の歴史について知ら
ない人が多いですから。『KANO』に登場する陳耕元(日本名:上松耕一)選手も実在の人物で、台
湾原住民のプユマ族の出身でしたね。93年、作家の司馬遼太郎さんが台湾を訪れた当時、総統だっ
た私の紹介で、司馬さんは陳耕元選手の次男、建年氏に会っています。陳建年氏はのちに私の推薦
で、台東の県長(知事)を務めた人物です。司馬さんは建年氏の家族と会食した際、陳耕元選手の
夫人で、建年氏の母にあたる蔡昭昭さんから二度も「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」
と問われ、答えに窮してしまった。そんな場面を司馬さんは『街道をゆく 台湾紀行』に書いてい
ます。「なぜ日本は台湾を捨てたのか」という問いの意味がわかる日本人が現在、はたして何人い
るか。

 魏 私が映画『KANO』の原形となる史実を見つけたのは、じつは『セデック・バレ』(2011年)
の脚本を書いているときでした。

 李 『セデック・バレ』は、いわゆる霧社事件(1930年に起こった台湾原住民による最大規模の
抗日事件)のことを描いた映画でしたね。あなたの処女作『海角七号 君想う、国境の南』(2008
年)に加え、私はあなたがつくった映画3本を全部みていることになる(笑)。

 魏 ありがとうございます(笑)。私は成長するにつれ、台湾原住民にどう接したらいいのか、
悩むようになりました。「原住民のほうも、軽々しく情けをかけられたくないだろう」との思いが
あったのです。だからこそ、台湾原住民の知られざる、そして尊重すべき歴史が描けると考え、こ
の史実を映画にしようと決意しました。霧社事件の直接の原因は、日本人巡査が原住民の若者を殴
打したことにありました。文化的な行き違い、摩擦。日本人と台湾人という異なるエスニシティ
(民族性)の対立です。

 李 私の父親は一時、巡査を務めていて、霧社事件に動員されそうになったことがあります。事
件の背景には、日本人の台湾原住民に対する民族的な優越感があり、それに原住民が反発したこと
があるのは間違いない。

 魏 セデック族の300人ほどの男子は、近代兵器で武装された日本軍相手に死を覚悟して徹底抗
戦しました。彼らは何のために戦ったのか。自らの誇りを守るためです。降伏を潔しとせず、自決
する者もいた。こうした彼らの武勇、誇りの貫き方をみて、われわれの武士道精神と変わらないで
はないか、と捉えた日本人もいました。

 霧社事件は、嘉農が甲子園で決勝を戦った1年前に起こっています。嘉農の近藤監督は、民族的
な差別をしない人でした。それぞれの民族の特長を生かして、甲子園優勝という同じ目標、夢に向
かって、チームをまとめ上げた。霧社事件が起こった当時、原住民を管理していた巡査とは対照的
な姿勢だったと思います。

 李 あなたは『海角七号』でも、日本人と台湾人の交流を描きましたね。「日本人であろうが、
台湾人であろうが、あるいは原住民であろうが、お互いを想う気持ちに民族など関係ない」「たと
え使う言葉は違っても、またお互いの価値観、習慣は違っても、気持ちを通じ合うことができ
る」。このようなテーマでつくられた映画だと感じました。

 私が台湾民主化、本土化の過程で打ち出したのが「新しい時代の台湾人」というコンセプトで
す。外省人(日本敗戦後、中国大陸から渡ってきた住民)と本省人(それまで台湾に住んでいた住
民)の対立はもうやめよ。あるいは、エスニック・グループ(民族集団)の違いによる差別をやめ
よ。この民主台湾に住み、生活を営み、公のために尽くそうとする人は、すべてが等しく台湾人で
ある、という思想です。私は、あなたの映画には、こうした思想がまさに描かれているような気が
するんです。それは台湾の古い思想を打ち破り、台湾人の新しい文化を生み出すことにとても寄与
していると評価しています。

◆なぜ日本が好きなのか

 魏 (データを見ながら)どうしてこんなにも多くの台湾人が日本を好きなのか、という編集部
からの質問ですが、文化的な考え方が似通っているからだと思います。それはやはり日本が台湾を
50年間統治したことによる影響が大きいでしょう。私自身、どこか旅行に行くのなら、まず日本を
訪ねたいですね。日本は安全で清潔、そして自然が美しいというイメージがあります。

 先日、中国の映画監督と話をしていたとき、日本の北海道に雪が降るシーンを撮りに行く、と
いっていました。中国でも雪が降るのに、なぜわざわざ日本まで行くのか、と聞くと、「中国では
雪と人間の関係が荒っぽい」というのです。ちっともロマンチックではない、と。中国の人間は、
雪に対してどこか心を閉ざしている面がある。しかし日本の場合、雪と人間の関係が優しくて美し
い。彼はそういうんです。日本人は自然と合わせることがとても上手なんですね。雪景色のなかで
も、環境に溶け込んで人間らしい愛を発揮している。

 もっとも、日本もいいところばかりではありません。映画『KANO』をつくるに際し、技術的なこ
とに関して日本側の協力をかなり得ました。そのことには感謝しています。ただ、日本人は非常に
細かい。あれも心配、これも心配。あまりにも小さなことを考えすぎる気がします。

 李 日本人はよくいえば、丁寧。悪くいえば、細かすぎる。私の家内がまさにそう(笑)。家内
も私同様、日本式の教育を受けたのですが、きっとその影響でしょう。家庭内の話なら笑い話で済
むかもしれませんが、政治の指導者がそうしたことでは困ります。

 2014年9月、私が日本を訪問したのは、「これからの日本は進路を自分で決める時代が来た」と
いうことを伝えるのが目的の一つでした。安全保障の面に関して、これまで日本はアメリカに完全
に委ねた状態だった。「憲法9条があるからこそ、日本は平和を維持している」といった意見も、
少なくない人びとのあいだに根強くあるようです。しかし、60年以上にわたって憲法が一字一句も
改正されていないことのほうが、私にはむしろ異常に思えます。アメリカの弱体化、中国の台頭と
いう現実から目を背け、安全保障や憲法の問題を放置したり、無関心でいることは、日本という国
の安全を著しく脅かすものと感じているのです。

 これまで日本はアメリカを頼りにしてきましたが、いまやアメリカのほうが日本を同等に、もし
くはそれ以上に頼りにしている。こうした現実を日本は直視すべきであると考えています。

◆「嘉南大圳の父」八田與一

 魏 私が八田與一という日本人技師について知ったのは、霧社事件について調べているときでし
た。霧社事件の原因を追究するのは、簡単なことではありませんでした。1930年前後の警察の制
度、山間地の部族の関係、あるいは国際的にみて台湾や日本の関係はどうなっていたのか。さらに
その前の20年、その後の20年にわたって歴史を調べました。こうした過程で八田技師の功績を知
り、ほんとうにびっくりしました。私の中学時代には、まだ台湾の教科書で八田與一のことについ
て教えていなかった。ほんとうは彼のことを映画にしたかったのですが、スケールが大きすぎて私
の手に負えないと断念しました。

 李 「嘉南大圳の父」と呼ばれる八田與一について台湾の教科書で教えるようになったの
は、じつは私が96年の総統直接選挙で選出されてからのことでした(大圳は大きな水路の
意)。従来の台湾では中国の歴史ばかりを教えていましたが、台湾の歴史を教える必要があるとい
う意図から編纂されたのが『認識台湾』という教科書です。日本統治時代のことも客観的な視点か
ら触れていますが、初めて八田技師に関する記述が載った。残念ながら、この『認識台湾』という
教科書は陳水扁総統時代、2003年の教育改革でなくなってしまいました。いずれにしても、あなた
が中学生のときは、八田與一について授業で教えておらず、彼の功績について知らなかったのも無
理はありません。

 魏 そうだったのですね。いまでは台湾で八田與一に関する本は何冊も出版され、図書館で閲覧
することもできます。

 李 映画『KANO』にも八田與一が登場しますね。台湾にダムと灌漑用水路を建設し、当時は不毛
の土地であった嘉南平原を台湾一の穀倉地帯に変えた八田は、台湾にとって恩人ともいえる人物で
す。彼が手掛けた烏山頭ダム(1930年完成)は当時世界最大。このダムに加えて、八田は嘉南平原
に“蜘蛛の巣”のように張り巡らせた約1万6000kmの水路工事を行なった。地球の全長が約4万k
mであることを考えれば、工事の規模が想像できるでしょう。嘉南平原に住む台湾農民60万人は八
田がつくった新しい水路から水が流れてきたとき、「神の水が来た」といって涙を流したそうで
す。

 台湾人が好んで用いる言葉に、「日本精神(リップンチェンシン)」があります。これは日本統
治時代に台湾人が学び、日本の敗戦によって大陸から来た中国人が持ち合わせない精神として、台
湾人が自ら誇りとしたものです(「勇気」「勤勉」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」と
いった精神を表す)。私は八田こそ、こうした「日本精神」を代表する人物だったと考えていま
す。

 魏 李元総統がいわれた「日本精神」と八田與一との関係について、正直、私にはわかりませ
ん。私が八田に感じるのは、とても技術肌であるということ。また彼は人間にとって何が必要であ
るかを考え、その実現に向けて行動したということです。

 李 八田與一の最期は、南方開発要員としてフィリピンに向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻
撃を受けて船が沈没し、遭難するというものでした。その妻・外代樹は日本敗戦の3年後、夫のつ
くった烏山頭ダムの放水口に身を投じて夫の後を追いました。八田夫妻に対する台湾人の感謝と哀
惜の念がいかに強いか。それを物語るのが、次の逸話です。

 工事に携わった人びとが烏山頭ダムの畔に建てた八田の銅像は、戦時中の金属供出令から逃れる
ため、倉庫に隠されました。また、日本敗戦後、大陸から渡ってきた国民党は日本統治時代の銅像
や碑文を破壊して回りましたが、そうした災難からも守られました。そして現在、八田の命日にあ
たる5月8日には、その銅像の前で毎年慰霊祭が行なわれ、日台の絆の象徴となっているのです。

                                       (つづく)


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