関口長太郎大人の生誕152年を機に「関口長太郎先生のご生誕を祝う会」が顕彰碑前で営ま
れた。
この「祝う会」は本邦初の企画で、本誌でも開催について何度かご案内してきたが、岡
崎市で学習塾を開く杉田謙一氏が発意し、代表を務める「愛知の教育を考える会」が主催
して執り行った。当日は本会愛知県支部のメンバーも参加し、関口長太郎大人の偉業を偲
んだ。
地元紙の「三河新報」が当日の模様を報道している。下記にご紹介したい。来年もまた
執り行われることを期待するとともに、残る六士先生の楫取道明(山口県)、中島長吉
(群馬県)、桂金太郎(東京府)、井原順之助(山口県)、平井数馬(熊本県)の顕彰に
関する何らかの催しが営まれることを期待したい。
西尾小の初代校長 関口長太郎の遺徳しのぶ─生誕152年祭「台湾精神育てた偉人」
【三河新報:2011年11月13日】
写真:西尾小の西にある関口長太郎の顕彰碑を囲む参加者
西尾市立西尾小学校の初代校長で、日本統治時代の台湾で新教育に情熱を傾けながらも
殺害された関口長太郎(一八五九−九六)の「生誕百五十二年祭」が十一日、同校西の顕彰
碑前で営まれ、遺徳をしのぶとともに地元での顕彰を求めた。
「台湾で語り継がれている関口先生の業績が、地元でほとんど知られていない。先生の
思いを自分たちの思いとして、教育復興に努めたい」と岡崎市の学習塾講師・杉田謙一さ
んが代表を務める「愛知の教育を考える会」が初めて企画した。
この日は、同会や日本李登輝友の会のメンバー約二十人が参加。会員が「関口先生の涙
雨だ」と呼ぶ雨の降る中、杉田さんがあいさつし、参加者の一人が顕彰碑に向かって教育
勅語を読み上げ、全員が献花した。その後、西尾市青年の家で意見交換を行った。
杉田さんは「関口先生は身を捨てて台湾精神を育てた郷土の偉人で至高の教育者。生命
以上の価値としての教育を、身を持って示してくれた先生の精神は今の世に、今の日本に
必要なものと確信している。生誕の日を機に業績顕彰に取り組む」としている.
日清戦争後、日本統治の台湾教育を託された伊沢修二の選任で全国から選ばれた関口ら
六人は、渡台後、台北から北十二キロの地にある景勝地・芝山巌(しざんがん)で寺子屋方
式の教育を開始。台湾の民度向上に向けた教育活動が行われた中、一八九六(明治二十九)
年一月一日、抗日暴徒にと遭遇した教師六人は殺害された。関口は三十七歳だった。この
凶事は「芝山巌事件」と呼ばれ、六人の中には吉田松陰のおい・楫取道明もいた。教師六
人の教育に対する情熱は、「芝山巌精神」として台湾の人々に語り継がれているという。