日米やイギリス、EU諸国、オーストラリアなどほとんどの先進国が台湾のWHO(世界保険機関)参加を支持してきた。日本の地方議会でも兵庫県、宮城県、山口県などの県議会、神戸市や名古屋市などの市議会も「台湾のWHO参加を求める意見書」を可決している。
いまや台湾のWHOの年次総会へのオブザーバー参加のレベルを超え、WHOそのものへの加盟を求める声が続出している。ベルギー連邦議会下院は7月16日、WHOはもとより国際民間航空機関(ICAO)気候変動枠組み条約などへの有意義な参加をベルギーやその他の欧州諸国が支持する「台湾の民主主義の発展と国際参加を支持するよう政府に呼び掛ける議案」を賛成130、反対0、棄権13で可決したと報じられた。
一方、台湾のWHO加盟に主権独立国家でなければ参加できないという「建前」を前面に出して反対するのは中国だ。いわば、民主、法治、基本的人権などを価値とする民主主義国家と一党独裁国家のせめぎあいになっている。
中国は台湾を核心的利益と主張し、自国領だと言ってはばからない。自国領ゆえに台湾は主権独立国家ではないと主張し、WHOへの参加資格はないと反対する。つまり、この論理はマッチポンプなのだ。自らマッチで火をつけて自らポンプで消すという、自作自演の言い草でしかない。
中国が1949年に建国してから台湾を統治したことがあったのならまだしも、これまで一度として台湾を統治したことのない中国が、国連の常任理事国議席が台湾(中華民国)から中国に移ったことを根拠として台湾を自国領と主張するのはまったく筋が通らない話だ。
中国の主張は、いまのロシアの国連の常任理事国議席は旧ソ連の議席を踏襲し、中華民国を踏襲した中国とまったく同じ立場にあるが、ロシアが旧ソ連領はロシアの領土だと主張しているのと同じで、荒唐無稽の理不尽な主張なのだ。
ましてやWHOは、健康に恵まれることは基本的人権のひとつというその憲章からしても、医療に地理的空白があってはならないことは当然のことだ。武漢肺炎を押さえ込んで「台湾モデル」とまで言われる成功を収めている台湾には、参加の正当性を裏づけるのに十分な努力の対価でもある。
京都女子大学の松本充豊(まつもと・みつとよ)教授も、この台湾の成功は、中国にとっては「制度の優位性」を否定する「不都合な真実」だと指摘しつつ「台湾は感染症の抑制に成功した経験と知見を備えており、そのWHO参加には疑う余地のない正当性がある」と述べる。
また、政府に対して「日本は主要国と連携して引き続き台湾のWHO総会へのオブザーバー参加を支持し、その是非を決める加盟国にも広く支持を働きかけていく必要がある」と要望し、WHOに対しても「WHOの改革が進むならば、より長期的な視点から、台湾を取り込む新たな制度的な枠組みが積極的に議論されてもよいであろう」と指摘している。同感だ。
下記に、台湾のWHO参加をめぐるよく整理され、抑制された筆致ながら核心を衝いた松本氏の論考を紹介したい。
なお転載にあたって原題の「台湾のWHO参加問題から見えてくるもの」から、論考の主旨に沿って「疑う余地のない正当性を有する台湾のWHO参加」と改めたことをお断りする。
—————————————————————————————–松本充豊(京都女子大学教授)台湾のWHO参加問題から見えてくるもの【nippon.com:2020年7月20日】https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00598/
◆根底には中台の対立
2020年5月、新型コロナウイルスの世界的大流行が続く中で世界保健機関(WHO)の年次総会が開かれた。そこでクローズアップされたのが台湾のオブザーバー参加問題である。
今回、感染拡大の封じ込めに成功した台湾に、世界各国から注目が集まった。台湾はWHOから排除されている。日米欧の主要国では台湾のWHOへの参加を支持する声が高まったが、「台湾は中国の一部である」とする「一つの中国」原則を掲げる中国は断固反対した。結局、台湾のオブザーバー参加は見送られた。台湾の蔡英文総統は「WHOは圧力を受ける中で、わが国の参加を再び拒否した」と批判した。台湾の参加をめぐる議論は年内にも開かれる予定の次の総会に先送りされた。
グローバルに拡大する感染症への対応には、国家間の対立や国際社会のパワーバランスが大きく映し出される。台湾のWHO参加をめぐって米中の対立が先鋭化したことはそれを物語っている。さらに根底にあるのが中台の対立である。台湾のWHOへの参加は中国の影響力によって阻まれてきた。中国に融和的な国民党の馬英九政権のもとで、台湾は2009年から16年までWHO総会に「中華台北」の名義でオブザーバー参加が認められていた。しかし、中国から距離を置く民進党の蔡英文政権が誕生すると、17年から台湾は再びWHOから締め出された。
中台の対立は新型コロナウイルスへの対応をめぐって一段と深刻化している。台湾のWHO参加問題は中台間での信頼関係の欠如、相互不信の増大を反映している。
◆中国の危機感、台湾への焦りといら立ち
中国は今回、台湾の専門家がWHOの専門家会合に個人資格で参加するところまでは認めた。しかし、台湾の総会参加には反対を貫き、それを阻止するための外交努力を惜しまなかった。そこには、「一つの中国」原則が動揺することへの中国の危機感がある。中国は「一つの中国」原則を国際社会で公認された準則であると強調する。既存の国際秩序にかかわるルールに挑戦する姿が目立つ中国だが、自らの影響力を支える「一つの中国」原則は絶対に守らねばならない既存のルールなのである。
さらに、台湾が国際社会で存在感を強めていることへの焦りといら立ちが見て取れる。それが「一つの中国」原則を揺るがしかねないからだけではない。台湾の成功が中国の「制度の優位性」を否定する「不都合な真実」だからである。ことし1月末、習近平国家主席は訪中したWHOのテドロス事務局長との会談で、防疫対策では「中国の特色ある社会主義制度の優位性を十分発揮した」と強調し、テドロス事務局長も中国の「制度の優位性」を称賛した。
他方、台湾は民主主義体制のもとで防疫対策に成功した。都市封鎖も行わず、情報公開に徹して感染拡大を抑え込んだ。日米欧の主要国などの民主国家から台湾への称賛と支持が寄せられた理由はここにある。民主自由の台湾の存在が中国にとって大きな脅威となった。
◆原則主義を強める習近平政権
中台の対立が深刻化している一因は、中国の習近平政権が「一つの中国」をめぐり原則主義を強めたことにある。習近平は中台の対話と交流の「政治的基礎」とされる「92年コンセンサス」を「一つの中国」原則を体現するものと明言している。
1992年に中台で達成したとされる「92年コンセンサス」については、「一つの中国を確認した合意」とする中国側に対し、当時台湾側を代表した国民党は「一つの中国の内容はそれぞれが述べることで合意した」と主張していた。その「あいまいさ」に利用価値を見出した中国の胡錦濤政権は、「一つの中国」をある程度共有しつつ、根本的な対立を棚上げすることで、台湾の馬英九政権との関係改善にこぎつけた。
胡錦濤政権は台湾の民意を意識して柔軟に対応した。台湾では民主化を経て「自分は台湾人である」「台湾は台湾であり、中国ではない」と考える住民が増えていた。胡錦濤は台湾に向けて「一つの中国」原則を明言するのは避け、台湾に「利益を譲る」ことで台湾住民の歓心を得て、統一に有利な状況を作り出そうとした。WHO総会で台湾のオブザーバー参加が実現したのも、中国側が「国際参加」を求める台湾に配慮したためだった。台湾側にも、たとえ「中国の一部」としての参加であっても、それを台湾の外交上のブレイクスルーと受け止め評価する民意があった。
原則主義を強めた習近平政権では、胡錦濤政権にあった柔軟性が失われた。逆に台湾に対する硬直的な対応ばかりが目立つ。「92年コンセンサス」を受け入れない蔡英文政権との対話を停止し、圧力を増大させている。台湾への軍事的威嚇を繰り返し、外交手段により台湾の国際空間を縮小させている。WHOからの排除はその最たるものである。
蔡英文政権の対中政策は「現状維持」である。「一つの中国」にかかわる「92年コンセンサス」は受け入れないが、中国を挑発せず、台湾独立を追求するものでもない。しかし、「一つの中国」原則を拒絶する蔡英文政権に対する習近平政権の不信感は根強い。そのいかなる活動も習近平政権の目には「挑発行為」としか映らない。台湾によるWHO参加の訴えも、諸外国へのマスクの寄付や輸出も、中国は「感染症対策を利用して台湾独立を謀る」行為と断じ、批判を繰り返している。
◆強まるばかりの対中不信
台湾住民の対中不信も強まるばかりである。それが中台対立の深刻化を招いているもう一つの要因である。習近平政権は台湾の民意にもうまく対応できていない。むしろそれに逆行するような統一攻勢を強めている。習近平は2019年1月に行った重要講話で、台湾に対して武力行使を放棄しないと明言する一方、「一国二制度の台湾モデル」を話し合うことを呼びかけた。その後、「逃亡犯条例」をめぐり香港情勢が悪化した。「一国二制度」のモデルとされた香港の惨状を目にして、台湾住民の台湾の将来への不安、中国に対する不信感と警戒心は一気に高まった。台湾の民意はことし1月の台湾総統選挙で明確に示され、「台湾の主権と民主主義を守る」と訴えた蔡英文が圧勝した。
新型コロナウイルスの感染拡大は、総統選挙の余韻が冷めやらぬ中で起こった。中国は感染拡大の最中も台湾への圧力の手を緩めず、感染症対応でも原則主義を崩さなかった。武漢封鎖直後、台湾住民を武漢から退避させるチャーター機の派遣をめぐり、「一つの中国」原則に固執する中国は中国東方航空機の派遣を押し通した。「武漢・台北便」が国際便であるとの印象を与えないようにするためだった。その後も中国の台湾に対する非協力的で理不尽な対応は続いた。ただでさえ悪化していた台湾住民の対中感情はさらに悪化してしまった。
そもそも台湾には2003年のSARSの苦い経験から、中国への強い不信感と危機意識があった。中国の情報提供が遅れたために台湾でSARSの被害が拡大したと考えられていたし、中国の情報隠匿への疑念もあった。それは今回の新型コロナウイルスへの素早い初動対応につながった。
中台は感染症への対応に緊張緩和の糸口を見出すことができていない。対立の深刻化にともなう信頼関係の欠如が、お互いの不信感を増幅させることになった。中台関係の現状は台湾のWHO参加問題に重くのしかかっている。
◆国際協調への試金石
台湾の防疫政策は世界から注目を浴びている。それは台湾がWHOから排除されているという国際社会の現実の理不尽さを一段と際立たせている。WHO参加への台湾住民の期待も、「中国の一部」としての参加の枠組みに収まるものではなくなっている。一方で、中国は台湾に対する強硬な態度を崩さないことが予想される。台湾のWHO参加をめぐり中国と激しく対立した米国は、かねてより「中国寄り」だと批判していたWHOからの脱退を国連に正式に通知した。いずれも感染症対応をめぐる国際協調に影を落としている。
新型コロナウイルスの感染拡大は、グローバルな感染症が経済、産業や安全保障など幅広い分野に甚大な影響を与えることを国際社会に知らしめた。グローバルな感染症への対応には「地理的空白」があってはならず、国際社会が一体となったグローバルベースの取り組みが求められる。台湾は感染症の抑制に成功した経験と知見を備えており、そのWHO参加には疑う余地のない正当性がある。台湾の経験、情報や知見を共有することは、国際社会全体にとって大きな利益となる。
主権国家しか加盟できない現在のWHOの枠組みのもとでは、台湾の総会へのオブザーバー参加を通して、その経験と知見の共有を図ることが最も現実的である。日本は主要国と連携して引き続き台湾のWHO総会へのオブザーバー参加を支持し、その是非を決める加盟国にも広く支持を働きかけていく必要がある。さらに、次なる感染症への対応に備えたWHOの改革が進むならば、より長期的な視点から、台湾を取り込む新たな制度的な枠組みが積極的に議論されてもよいであろう。
台湾のWHO参加問題は感染症対応での国際協調への試金石である。台湾の総会へのオブザーバー参加の実現はその第一歩であり、しかも大きな一歩となるはずだ。
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松本充豊(まつもと・みつとよ)1969年、京都生まれ。1996年、東京外国語大学外国語学部卒業後、2001年、神戸大学大学院国際協力研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。長崎外国語大学准教授や天理大学教授などを経、2015年、京都女子大学現代社会学部教授に就任。専門は比較政治学、現代台湾政治、中台関係など。主な共著に『中台関係のダイナミズムと台湾』『アジアの国際関係─移行期の地域秩序』『現代台湾の政治経済と中台関係』『現代台湾政治を読み解く』など。
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