李登輝前総統の外国人特派員協会におけるブリーフィングと質疑応答【2】

李登輝前総統は日本滞在最終日となる6月9日午前11時から、東京・有楽町の外国人特
派員協会(The Foreign Correspondents’ Club of Japan)において、訪日中最後となる
会見を行った。会場には200人を超える記者、多数のテレビカメラが集まった。李氏は30
分間のブリーフィングで訪日の感想を述べ、残りの30分で記者たちの質疑に答えた。

 質問が靖国神社参拝について触れると、李氏は時に声を張り上げ、中韓に何も言えな
かった日本政府の弱腰を批判。「国家のために命を落とした若者を慰霊するのに、なぜ
外国に批判されなくちゃならないのか!」と語ると、記者団からは期せずして拍手が沸
いた。

 また、「日本の人々はあまりにも中国を知らな過ぎる。22歳まで日本人だった私も今
や86歳(台湾の旧暦で計算)。ずっと中国社会で生きてきた私が得たことは、中国人に
なりきって考えないと、中国人のやり口はわからない。日本的考え方で中国のことを考
えてもダメだ」と述べた。

 やはり日本の政治家とは役者が違うことをまざまざと感じた会見であった。なお、会
見のため、文章に起こしてわかりにくい箇所は適宜修正した。【早川友久・記】


李登輝前総統の外国人特派員協会におけるブリーフィングと質疑応答【2】

■日本の伝統は失われていなかった

 次に旅行の感想を申し上げましょう。

 私は一昨年、(名古屋へは)60年ぶりに家族4人で日本を一週間訪問し、観光する機会
を得ました。東京に出て来られないために、名古屋を中心に金沢、石川県をまわり京都
まででこの旅行を終えました。

 そして今回は、念願の「奥の細道」をたどる旅ができたわけですが、同時に、東京に
来られたということが私にとって、いろいろな面において今回の旅行を多種多様な形で
展開することができました。

 前回と今回の旅行で私が強く感じたことは、日本は戦後60年に大変な経済発展を遂げ
ているということです。たとえば、この有楽町。私はかつて戦後しばらく住んでおりま
したが、そのときの状態と比べてみれば天地の差があります(一堂笑い)。まったく変
わった状態であります。私は昭和21年まで、有楽町近く、新橋の焼け野原の中の一軒家
に住んでおりました。日本はこのような焦土の中から立ち上がり、遂に世界第2位の経済
大国を作り上げました。

 政治も大きく変わり、民主的な平和国家として世界各国の尊敬を得ることができまし
た。その間における国民の努力と、指導者の正確な指導に、敬意を表したいと思います。

 もうひとつ感じたことは、日本文化のすぐれた伝統が進歩した社会で失われていなか
ったということです。失われた面もあります。ところが、ほとんど失われていなかった
と私は思っています。

 日本人は敗戦の結果、耐え忍ぶしか道がありませんでした。忍耐する、それ以外には
何もできないと、経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされたのです。そうした
中にあっても、日本人は伝統や文化を失わずに来たのです。

 日本での旅行で強く記憶に残っているのは、さまざまな産業におけるサービスの素晴
らしさでした。そこには戦前の日本人が持っていた真面目さ、細やかさがはっきりと感
じられました。

 今の日本の若者はだめだという声も聞きますが、私は決してそうは思いません。日本
人は戦前の日本人と同様、日本人の美徳をきちんと保持しています。社会が全部秩序よ
く運営されて、人民の生活が秩序よく守られているということです。確かに外見的には
緩んだ部分もあるでしょう。それはかつての社会的な束縛から解放されただけで、日本
人の多くは今も社会の規則にしたがって行動しています。

 私が東京から仙台に行くまで、あるいは日光に行くまで、交通規則をよく観察してみ
て、日本人は本当に社会の規則にしたがって、みんな正しく行動しているということで
す。このような状態はなかなか他の国では見つかりません。社会的な秩序がきちんと保
たれ、公共の場所では最高のサービスを提供しています。公共の場所ではできるだけ清
潔な状態を維持しております。長い高速道路を走ってみても、チリひとつありません。
ここまでできる国は国際的に見て、恐らく日本だけではないでしょうか。

■大きく変わり始めた日本人の国家や社会に対する態度

 さらに私が感じたのは、日本人の国家や社会に対する態度が、何だか少しずつ変わっ
てきたような気がします。かつて日本の若い人々に会ったときに、私に言うには「自分
さえよければいい、国なんか必要ない」という考え方が強かったようでしたが、最近に
おいては、日本人の国家や社会に対する態度がここへきて大きく変わり始めたというこ
とです。

 戦後60年間の忍耐の時期を経て、日本は経済発展の追求だけでなく、アジアの一員と
してその自覚を持つに至りました。武士道精神に基づく日本文化の精神面が強調され始
めたのです。日本文化の持ついわゆる社会精神的な面がいま非常に高く評価され始めて
おります。

 日本の文化は歴史あって以来、大陸から西洋から、滔々と流れ込んできた変化の大波
の中で、驚異的な進歩を遂げ続けてきました。ところが、結局一度として、それらの本
流に飲み込まれることなく、日本独自の伝統を立派に築き上げて来ました。日本人には、
古来そのような稀なる力と精神が備わってきているのです。外来の文化を巧みに取り入
れながら、自分にとってより便利に、受け入れやすいものに作り変えています。

 このような新しい文化の創造、作り方というのは、一国の成長、発展という未来への
道について非常に大切なものと私は思っています。そしてこうした天賦の才、天から授
けられた日本人の持つこの才能に恵まれた日本人がそう簡単に日本的精神といった貴重
な遺産や伝統を捨て去ることはないと私は固く信じております。

 日本文化とは何か。このたびの旅行において感じたことを再度申し上げると、それは
高い精神と美を尊ぶ、いわゆる美学的な考え方を生活の中に織り込む、心の混合体こそ
が日本人の生活であり、日本文化そのものであると言わざるをえません。

 次に、日本を訪問する機会がありましたら、日本は歴史的にもっと創造的な、そして
生命力を持った国に生まれ変わっているものと私は信じております。これをもって私の
報告といたします。ありがとうございました。            【(3)に続く】



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