李登輝元総統を追悼する本会関係者のコメントが新聞など掲載されています。これまで産経新聞に掲載された群馬県の山本厚秀(やまもと・あつひで)理事と元仙台市長の梅原克彦(うめはら・かつひこ)常務理事の記事、毎日新聞に掲載された関西在住の辻井正房(つじい・まさふさ)副会長と清河雅孝(きよかわ・まさたか)理事のコメントをご紹介してまいりました。
本日は、栃木県の地元紙「下野(しもつけ)新聞」に掲載された林建良(りん・けんりょう)常務理事と宇井肇(うい・はじめ)理事のコメントをご紹介します。
—————————————————————————————–李登輝氏死去 日光で植樹、句碑も見学 ゆかりの人々、悼む声【下野新聞:2020年8月1日】https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/341977
台湾の李登輝(りとうき)元総統の死去を受け、生前ゆかりのあった日光市内の関係者からは31日、別れを惜しむ声が相次いだ。
「もっと長生きして日本、台湾、世界の指導者でずっといてほしかった」。親交があった「日光日台親善協会」会長宇井肇(うい・はじめ)さん(73)=同市石屋町=は悼んだ。
出会いは台湾を訪れた2002年。以来、顔を合わせるたび「日光には絶対に行きたいと言っていた」。07年、松尾芭蕉の足跡をたどる旅の一環で念願の来訪が実現。同市山内のレストラン「明治の館」近くには李氏が植えたカワヅザクラが残る。宇井さんは「世界屈指の政治家だが、気さくで温和な優しい人だった。民間のわれわれのことも大切にしていただき、いろんな考えを教えてくれた」。
日光東照宮では陽明門や芭蕉の句碑などを見学した。稲葉久雄(いなば・ひさお)宮司(79)は「海外の要人で句碑まで見学する人はそういない。歴史文学もよくご存じで日光も大事にしてくれている印象だった」と惜しんだ。
同市小林の塩野室診療所所長林建良(りん・けんりょう)医師(61)=鹿沼市坂田山=は「入院したと聞き、ずっと心配していた。寂しくて、悲しい」。
01年以降、自宅に何度も招かれ、日本の将来について語り合ったという。「日本がしっかりしていれば台湾は大丈夫だと。愛する『二つの祖国』のことを常に考えていた」と振り返る。
「一緒に仕事を」と請われ、一時は故国へ帰ろうと考えた林さん。診療所を継ぐ医師が見つからずにいると、李氏は「日本の農村地帯を見捨てるわけにはいかない。頑張れ」と励ましてくれたという。「太陽のような存在だった」。
(岡田優子、岩崎駿祐)
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