李登輝元総統追悼:李登輝の戦略的思考と死生観 井尻 秀憲(東京外国語大学名誉教授)

 「私は旧い人、旧い思想の人、旧い時代の人間です。しかし、日本では李登輝に興味を持っている人が少なくありません。その理由は、李登輝が口にし、著作にして反映する日本の伝統や日本人の教養の深さは、現在の日本では既に見られないからです。また、今日の日台関係では、東西文明の融合と、日本人と台湾人の心の絆を結びつけることに、現実的意義があります」

 この文章は、李登輝氏が、拙著『李登輝の実践哲学』出版に際し寄せてくれた「読者へのメッセージ」の抜粋だが、当時の私は李登輝との長時間の対話を通じて思想的に葛藤し、歴史的事実関係を検証しながら「知られざる李登輝の素顔」を描写するだけで精一杯だった。

 思えば、李登輝元総統の教えは、台湾という小さな島国のリーダーが中国、アメリカ、ヨーロッパなどの大国を相手にしてグローバルに闘った経験であるがゆえに、同じく島国である日本の各界の人々にとっても有益である。

 では、李登輝は過去の12年間の施政のバックボーンとなる自己の「実践哲学」をどのように考えてきたのであろうか。

 彼にとっての政策と戦略の「動機付け」は、「人民のため、人民を豊かにしたい、そのための政策であるべきこと、これははっきりしている」ということだった。また李登輝にとって、政策戦略の「動機付け」の部分では思想哲学が影響するが、政策実践の「プロセス」においては、哲学との直接の関係はなく、政策の「プロセス」の段階では、例えば農業経済学や社会諸科学を学んだ経験から、社会に対する政策・戦略の「選択・決定」の過程に入り、そこでは「哲学者から政治家に代わる」と語っていた。

 そこでの思考は、「理知的か、理性的か」という二つの側面があり、理性の部分は科学的にやっていく「実践」であって、「哲学と実践」では両方が同時に並行する。つまり「リーダーとしての立場」があり、「人民の利益がまちまち」であるとき、「主観を通さず、自然に任せ、環境が整ったときに、政策を打ち出す」というものだった。ここでは「時間の重要性」を示唆する。すなわち物事は「思考」→「動機付け」→「実践」→「政策・戦略の結果」という形で進行する。

 李登輝の「政策実践」はこうした形で、まずは国内での「中国との内戦状態の終結」から「平和的民主化」の達成、次いで東南アジア・米国・中東歴訪という「国交なき国々との非公式・準公式の現実外交」へと移行していった。

 同時に李登輝の精神・思考を解説するためには、ヨーロッパ的な思想風景、仏教、日本精神との融合、アメリカの合理主義、キリスト者としての「祈り」、中国文明への理解など、複雑な混合を読み解き、説明する必要がある。

 もとより、李登輝の政策・戦略の実践は、必ずしも当初の意図通りにスムーズに進んだ訳ではない。彼自身も相当の困難のただ中にあった。そうした葛藤の際に李登輝は、「死と復活」、「死」を見つめることで、一旦、「無関心(その境遇から心理的に離れ)」、そののち再び「生きる」ことの重要性に戻る「死生観」を抱いていた。

 私はこれまで、李登輝自身との直接対話を繰り返しながら3冊の著作(『台湾経験と冷戦後のアジア』『中台危機の構造』『李登輝の実践哲学』)を上梓してきたが、李登輝元総統は、これらに目を通しながら、逐一有益な示唆を与えてくれた。そうした経緯を経ながら、私の李登輝像は現在に至っている。

 李登輝総統、ありがとうございました。

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